ペルシャ語、後世にまで残る偉大なる言語
最近、世界で権威のある雑誌の『カルチャー』に、イランの国語であるペルシャ語が、世界で今なお多くの人々の間で使用されている、10の古い言語の1つとして紹介されました。
雑誌「カルチャー」は、今なお多くの話者がいる世界の古い言語を紹介しています。ペルシャ語もそうした言語の1つとされ、このほかには南インドのタミル語、リトアニア語、アイスランド語、ヘブライ語、マケドニア語、スペインとフランスの国境地帯の一部で使われるバスク語、フィンランド語、ジョージア語、アイルランド語が古い言葉として紹介されています。なお、この序文には次のように述べられています。
「言語の変遷は、生物学的な変化に類似しており、世代ごとに起こる。このため、ある言語とその語から形成される言語との間に区別すべき相違点は存在しない。結論として、ある言語がそのほかの言語より古いと断定することは不可能であるといえる。なぜなら、それらは全て、人類そのものと同様の歴史を持っているからである。以下に述べる言語はそれぞれ、古代の特徴を有しており、これがそれ以外の言語との違いを明確にしている」
この報告ではさらに、ペルシャ語の使用者がイラン、アフガニスタン、タジキスタンに広がっており、さらに過去数百年に渡ってそれほど大きく変化していないことから、ペルシャ語をそのほかの言語と区別し、次のように述べています。
「今日、ペルシャ語の話者が、西暦900年当時に筆記されたものを読む場合、英語のネイティブがシェークスピアの作品を読む場合に比べて、はるかに容易に判読することが可能である」
イランの人々は、美しい言語であるペルシャ語を、何世紀にもわたり大切にするとともに、これを育て、磨き上げ、より美しいものにしてきました。サーサーン朝ペルシャ時代の宗教であるマニ教の経典やゾロアスター教の聖典アヴェスターに使用されたアヴェスター語、中世ペルシャ語のパフラヴィー語、そしてパルティア語の文献では、言葉が甘く、美しいことについて言及しています。こうした性質は、古代から語られており、その後イランの人々や外国のイラン学者らにより、ペルシャ語に対してのみ適用されてきました。
ペルシャ語は、長い歴史を経て現在の形になりました。ペルシャ語の歴史は、イランの悠久の歴史と同じくらい長く、数千年の歴史を歩んできました。私たちが現在、ペルシャ語と呼んでいるのは、いわゆるインド・ヨーロッパ祖語と呼ばれる語族の子孫に相当する言語です。ペルシャ語とインド系諸語との間には一連の共通点が存在することから、インド・イラン語派という1つのグループが形成されています。
紀元1000年までの民族移動の時代には、インド系の民族がヒンズークシュ山脈の方向に向かい、イラン系民族はイランと呼ばれる領域に住みました。このことから、イラン語派というグループが成立することになります。イラン系諸語は広大な地域に拡大し、東は中央アジア、北は現在のイラン北東部ホラーサーン地方、そしてホラズム、コーカサス地方、カスピ海沿岸にまで及びました。そして、西は現在のイラクに当たるメソポタミア、南はペルシャ湾やオマーン海にまで拡大しています。
イラン系諸語のこうした拡散は、今なお続いています。そして現在は、イラン国内のみならず、国境を越えて中央アジアやコーカサス地域、アフガニスタンやそのほかの中近東諸国にも広がっています。
アナ2;言語学者の見解では、これらの広大な地域に広まっているイラン系諸語は1つの共通する祖語から派生し、互いに親戚関係にあるとされています。その理由として、これらの言語の源が1つであること、基本的な語彙や文法構造の原則に共通性が見られることが挙げられます。ロシアの北オセチア共和国及び、ジョージアの南オセチア自治州で話されるオセット語、タジキスタンのザラフシャン川上流のヤグノビ峡谷で使用されるヤグノビ語、さらにアフガニスタンで広く使われているパシュトゥー語は、現代の言語学の点からイラン系諸語とされています。
ペルシャ語は、言語学上、古代、中世、そして近世の3つの時代に区分されています。古代ペルシャ語とは、現在、イラン系諸語の最初の痕跡が確認されている時代から、アケメネス朝時代までのペルシャ語を指します。それらの言語のうち、碑文に残されている2つの主な言語が、アケメネス朝時代の楔形文字であり、またゾロアスター教の聖典に使われているアヴェスター語も、この時代のものです。
古代ペルシャ語は、世界の多くの古代言語と同様に、文法が複雑であり、名詞が7種類、或いは8種類に格変化するとともに、動詞も複雑に変化します。さらに、文法上の性が厳密に守られ、男性、女性、中性という概念が文法上大きな役割を果たすとともに、単数、2つを表す双数、そして複数という概念も存在します。
中期イラン語、或いは中世ペルシャ語とされる時代は、アケメネス朝末期から7世紀ごろのイスラム初期の時代までをさします。この時代のペルシャ語は、非常に広まっていたことから、言語学的、また地理学的に東イラン語群及び西イラン語群の2つのグループに分けられています。東イラン諸語のグループには、ソグド語、ホラズム語、サカ語などが挙げられます。一方、西イラン語群に属する言語には、パルティア語、サーサーン朝のパフラヴィー語などがあります。
中世イラン系諸語は、驚くべき変貌を遂げました。音声構造が単純化され、名詞や形容詞、代名詞の複雑な語尾変化がなくなり、動詞の態も単純化し、文法上の性別も消失しました。そして、イラン系諸語の新しい時代である近世が始まり、近世ペルシャ語が出現し、詩や文学、文化、諸科学、宗教、神秘主義哲学に使用される言語として定着しました。
ペルシャ語は、文法構造や音節の点からも、言語学者を魅了する独自の特徴を有しています。それは、文字の発音が容易であること、音の響きが美しいこと、文法がそれほど複雑でないこと、新たな語彙を生み出す可能性があることなどです。ペルシャ語は、接続的な構造であることからこの可能性が高くなっていますが、この特徴は世界のほかの言語にはあまり見られません。
しかし、甘美なペルシャ語が現代にまで残った秘密は、単に音声や構造、文法のみによるものではありません。それは、この言語によって伝えられた思想であり、イラン人の思想こそが、ペルシャ語を残してきた要因だといえます。
イランには、古代からアヴェスター語による神々への賛歌があり、ゾロアスター教の聖典アヴェスターの至るところで、人間性あふれるメッセージを感じ取ることができます。ギリシャやインドの諸科学や哲学も、各地域の学者たちとの交流や、彼らに関する書物を通してイランの文化や言語を充実させています。
サーサーン朝時代の文学は、イスラムがイランに伝わった後の数百年間に編纂され、非常に充実したものとなっています。この時期以降は、ゾロアスター教の百科全書デーンカルドが残されており、この書には宗教的、哲学的に最も複雑な内容が述べられています。この百科全書に収められている語彙を観察すると、ペルシャ語が持つ深遠な可能性が伺えます。
サーサーン朝末期、そしてイスラム初期の時代、ペルシャ語は、意識的に新たな語彙を取り入れます。それから1000年以上が経過しても、その当時の言葉は現代のイラン人にとって決して馴染みの薄いものではありません。
9世紀から10世紀に掛けてのイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝の総督たちは、ペルシャ語で話し、書くことを体制の原則としました。コーランのペルシャ語翻訳はこの時代から始まり、こうしてペルシャ語の語彙は時代の影響から守られ、叙事詩人フェルドウスィーの傑作、『王書』が生まれる下地が出来上がったのです。この傑作は、イラン人のアイデンティティを証明する作品として、歴史に残っています。
ペルシャ語は甘美な言語であり、後世にまで残るものです。このため、決して損なわれることはないと思われます。それは、この言語がイランの地に根を下ろし、現在のイランの国境を越えた地域でペルシャ語を使用する人々によってさらに強くなり、新たな花を咲かせ、さらに甘い果実を実らせるからです。