イスラム革命のメロディー(音声)
1979年のイランイスラム革命の勝利の中では、音楽は非常に大きな役割を果たし、その当時歌われていた歌は今も人々の記憶に残っています。
各国の政情と共に、その文化や芸術も大きく変化します。イランイスラム共和国において、革命の歌は英雄伝の歌と呼ばれており、革命がピークを迎え、勝利した時期、またその後も、革命を支持し、旧体制に反対する中で作られました。これらの歌の多くが、地下スタジオでアマチュアの歌手たちによって録音され、一般に広められました。現在、これらの音楽は革命記念日の放送で大々的に流され、学校で、革命勝利記念日のイベントの一部として生徒たちによって歌われるようになって何年もたちます。
「人々の力により起こったイスラム革命の勝利の秘訣、柱の一つは、人々の間に生じた連帯や統一であった。彼らが心と声をひとつにスローガンを叫び、王制打倒という一つの目的を持っていたことにより、こうした重要な事柄は実現し、我々はイスラム革命の勝利を目の当たりにすることになった」
ゴルリーズは続けてこのように語っています。
「確かにこの統一と連帯においては様々な要因が決定的な役割を担っているが、音楽芸術における長年の経験から言えることは、人々を革命の至高なる理念や目的に達する上で団結させた要因の一つは音楽、革命歌の作曲であった。もちろんこれらの作曲者はイランの人々の革命のスローガンからインスピレーションを得て、作曲に尽力していた」
実際、イランの音楽の原則は常に人々と共にあり、社会の文化や秩序に注目を寄せていました。こうした音楽はイスラム革命の中で、またその後も、人々の傍らに立ち、彼らを支援していました。イスラム革命は何よりもまず、音楽家や詩人たちの中で起こり、社会の内部の炎を詩や音楽の形で、社会情勢の中で燃え立たせました。
音楽の専門家で作曲家のピールーズ・アルジュマンドは、イスラム革命をイランの音楽の救世主だとし、こうした大きな出来事は音楽を衰退から救い出したと強調しています。
「パフラヴィー政権時代、イランでは多くがポップミュージックに傾いていたが、音楽家たちは伝統音楽の消失に懸念を持っていた。革命前、西洋のポップミュージック、後に庶民的ポップスの広まりは、多くの伝統音楽家たちが音楽が完全に失われるのではないかと懸念するほどのものだった。しかしながら革命後、最初の数年間、我々は英雄伝的、革命的な音楽を耳にするようになり、これはイスラム後二番目の歴史時代といえるものだ。一番目が立憲革命期であり、二番目がイスラム革命期である。革命の最大の成果は、音楽が完全に国民的なものになったことで、注目に値するふさわしい作品が制作されるようになった」
革命初期の一部の歌の歌詞は、イランの著名な詩人達の作品の名から選ばれ、それは歌詞を求める人々の賢明さと的確さを示すものです。これらの歌は永遠に残るものであり、今も人々の頭の中に流れています。
伝統音楽の歌手、ヘサーモッディーン・セラージはこのように語っています。
「革命の音楽は実際、その前と後、どちらも同じであり、その当時、非常に強力な作品を提示した。それらをイランの音楽史上、二度と見られるとは思わない。チャーヴーシュ音楽協会もまた、革命の前であり、革命後も多くの革命的、英雄伝的な作品を提示した。それらは成功例であった。こうした成功もまた革命の状況が理由だった。つまり完全に英雄伝を求める雰囲気だった。詩人たちは英雄叙事詩を語り、作曲家は全身全霊をかけて曲を作り、歌手もそのように歌っていた」
革命の数ヶ月前から人々の革命的な怒りを代弁したイランの伝統音楽は、モハンマドレザー・ロトフィーなど音楽の巨匠の参加により、イスラム革命の芸術に再び命を吹き込みました。多くの歌がイスラム革命が勝利する数ヶ月前から制作され始め、革命が勝利してからもずっと人々に聞かれています。また中には、革命後の音楽の形成に大きな影響を及ぼした歌もあります。
1980年のイランイラク戦争の開始により、初めはスローガンを伴った急進的な革命の詩や音楽は新たな領域に入りましたが、時代の移り変わりの中で、イランの優れた音楽ジャンルになりました。明らかに、革命の歌や曲、詩の制作、イスラム革命の前後やイランイラク戦争時代の革命の音楽全体において非常に活動的な実りある流れが存在していました。イラン音楽全体におけるその影響は、明らかにこれまでにも見られ、そして今後も見られるものなのです。
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