イマームアリーの殉教日に寄せて
(last modified Sun, 26 May 2019 19:30:00 GMT )
May 27, 2019 04:30 Asia/Tokyo
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    イマームアリーの殉教日に寄せて

27日にあたるイスラム暦ラマザーン月21日は、シーア派初代イマーム、アリーの殉教日です。

イマームアリーは、ラマザーン月19日に、イスラムの教えから外れたハワーリジュ派と呼ばれるグループの人物の剣によって負傷し、イスラム暦40年ラマザーン月21日の夜に殉教しました。西暦では、661年のことです。

 

イマームアリーはなぜ、イスラム教徒であることを主張する人々によって殺害されてしまったのでしょうか?

イマームアリーは、すべての人間的、イスラム的な価値を備えた完全な人間です。彼は公正な統治者であり、夜通し礼拝を行う敬虔な人物であり、深い洞察力を持った賢い人物であり、戦いの際には勇敢な戦士でした。また、優しい保護者、賢明な司令官、類まれなる優れた教師でもありました。イマームアリーという存在をどの角度から見ても、人間としての美徳をうかがうことができます。イギリスの哲学者トーマス・カーライルは次のように語っています。

 

「私たちはイマームアリーを愛してやまない。それは彼が非常に優れた人物であるからだ。彼の心からは善良さが沸き立ち、知識に溢れ、非常に勇敢である。この深い愛情を持った勇敢な人物は、クーファで殺害された。この犯罪は、彼の公正さによるものだった。彼は死ぬ前に自分を剣で刺した人物について、こう言った。『もし生き残ることができたら、この犯罪にどのように対処するかはわからない。でももし私が死んだら、あなた方に対処を託す。報復をするのであれば、剣を一度だけ振りかざしなさい。しかし許すのであれば、それはより敬虔な対応だ』」

 

それからおよそ1400年が過ぎた現在、世界はこの人物の殉教を追悼しています。イマームアリーの殉教は、人類の歴史において起こった最大の悲劇のひとつです。彼は、シーア派のイスラム教徒だけでなく、真理や公正、美徳を求めるすべての人にとって、愛すべき伝説です。そのため、清らかな心を持つすべての人が、イマームアリーの殉教を悼んでいます。

 

イマームアリーは、モスクで礼拝中に、自分をイスラム教徒だと考える人物によって、毒を塗った剣で刺されて殺害されました。そして現在も、このような卑劣な殺害に対して、なぜ、そのようなことが行われたのかという疑問が残っています。

 

この問題について考えた思想家の一人が、イランのモタッハリー師です。モタッハリー師は次のように語っています。

 

「アリーを誰が殺したのか、またなぜ殺されたのかと言われる。誰が殺したのか、それはアブドルラフマン・イブン・ムルジャムであり、何が彼を殺したのかと言えば、頑迷さ、愚かさ、狂信だ」

 

頑迷な思考は、イスラムの社会と思想にとって最大の脅威です。モタッハリー師によれば、アリーを殺したハワーリジュ派は、この大きな危険にあたります。ハワーリジュ派の思想の痕跡はいつの時代にもに存在しており、現在の世界でも見られます。では、このような精神が意味するのは、どのようなことでしょうか?そのしるしはどこにあるでしょうか?なぜ、これほど危険であり、この問題について常に考える必要があるのでしょうか?

 

モタッハリー師によれば、凝り固まった考え方こそが、イマームアリーが礼拝中に殺害される原因となったものであり、それは常に人類社会を脅かす危険になっています。

モタッハリー師

 

熟考と敬虔さは、個人や社会が幸福へと向かうための要素です。この2つのいずれかが欠ければ、幸福に至ることはできません。13世紀の著述家イブン・アビー・アルハディードは次のように語っています。「愚かさや凝り固まった考え方とは何かを知りたければ、イマームアリーを殺害した人々がそれを行おうとしたとき、特にラマザーン月19日の夜を選び、このように言ったことに注目すべきだ。『私たちは神を崇拝し、よいことを行いたいために、よりよい報奨を求めてそれを尊い夜に実行することにした』」

 

アリーを殺害した人々は、宗教を持たない人間ではありませんでした。しかし、宗教の表面だけに注目し、大きな罪を犯すことを不信心と見なしていましたが、そのことが、彼らの精神を危険なもの、恐ろしいものにしていたのです。

 

現在、イスラム世界を苦しめているのは、イマームアリーの殺害にいたったのと同じ思想です。ワッハーブ派をルーツとしたISISなどのグループは、新たな形のハワーリジュ派です。タクフィール主義は現在、根拠のない理由によって、世界の多くのイスラム教徒を不信心者と見なし、人々を殺害しています。

モタッハリー師は、ハワーリジュ派の思想のしるしを説明する中で、次のように語っています。

「ハワーリジュ派は、献身と闘争の精神を持ち、自分たちの思想において厳しく努力し、崇拝行為に勤しむ。夜は礼拝を行い、現世のことに執着したりはしない。だが、愚かで無知な人々であり、無知から真理を理解せず、解釈を誤っていた。そのために、浅はかで狭量な人々であった。イスラムとイスラム教徒を自分たちの限られた思想の壁の中に閉じ込め、他の人々は理解力がなく、地獄に落ちると主張していた。このような考え方が生まれたのは、宗教を理解する上で、深く考えることがなかったためであり、それは社会に大きな悪影響を及ぼす」

 

イマームアリーは、ハワーリジュ派の精神を、危険な病と呼び、次のように語っています。「ハワーリジュ派は表面的にはイスラムを守っているように見えることから、私以外の人間は、このグループと戦う勇気を持たなかった」

そのため、イマームアリーは、「私だけが、このイスラムに対する凝り固まった考え方による大きな危険を理解していた。もし彼らがその立場を固めれば、全ての人を同じ病に引き込み、イスラム世界は表面を重視する凝り固まった考え方に陥ってしまうということを理解していたのは、私だけだった」

 

そう、人類の歴史の中で、否定できないすべての美徳を持ち、偽善的で偏った考え方を持つ人々の特徴を明らかにできたのは、イマームアリーのみでした。こうして、1400年以上が経った今、イスラム教徒は、真理と偽りを区別するための明白な基準を持つことができるようになったのです。

 

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