ラマザーン月、聖なる月(11)
(last modified Wed, 27 Apr 2022 16:16:00 GMT )
4月 28, 2022 01:16 Asia/Tokyo
  • ガドルの夜の儀式
    ガドルの夜の儀式

ガドルの夜が正確にいつであるのかが明らかになっていないのは、イスラム教徒がラマザーン月の終盤の10日間の夜を、神への礼拝とコーランの朗誦、祈祷によって過ごせるようにするためかもしれません。ガドルの夜が明確であったら、多くの人は、その夜にだけそうした崇拝行為を行っていたかもしれません。

現在、ガドルの夜がいつであるかが正確に分かっていないため、敬虔な人々は、ガドルの夜である可能性があるすべての夜に、神の名を唱え、罪の赦しを求め、さらなる報奨を得ます。

 

預言者ムハンマドは、ラマザーン月の最後の10日間に隠遁生活を送っていたと言われています。ラマザーン月の最後の10日間が訪れると、預言者は寝床をたたみ、本格的な礼拝のための準備をし、用意されていた場所で礼拝に勤しみました。

 

聖典コーランによれば、礼拝のための隠遁とは、預言者イブラヒームの教えの中で、神への崇拝のひとつと見なされ、その信者たちが実践する事柄です。預言者スライマーンも、聖地で隠遁生活を送り、礼拝に勤しんでいました。そこで水や食べ物が用意され、彼はそこで礼拝を行っていました。

 

預言者ムーサーは、共同体を導くという重大な責務を負っていながら、しばらくの間、人々のもとを離れ、トゥールの山で神と語り合っていました。

 

預言者ムハンマドも、預言者イブラヒームの宗教を信奉した祖先たちと同じように、礼拝のための隠遁などの行為を実践していました。預言者ムハンマドが礼拝のために一人過ごした場所は、ハラーの洞窟でした。預言者に任命され、メディナに移住した後は、預言者のモスクが、そのための場所で、彼はそこで唯一の神と語らっていました。

 

礼拝のための隠遁を意味するアラビア語の単語には、どこかに滞在する、留まる、あるいは何かを伴うといった意味がありますが、イスラムでは、至高なる神に近づくために聖なる場所に留まることを意味します。この行為は、この世の物質的な現象に囲まれた人間が、自分を取り戻す上で非常に適した機会です。これは、精神的な価値観を利用するために、しばらくの間、物質的な要素を離れ、慈悲と恩恵に溢れた神の愛情の海へと飛び込めるようにするためのものです。

 

礼拝のための隠遁は、罪を悔い改め、許しを得るための機会です。罪の悔悟とは、立ち返ることを意味します。罪を悔い改め神に服従すること、悪から善へと向かうこと、利己主義から神の重視に向かうこと。そのため、罪の悔悟とは一言では言い表すことができず、罪を犯さないようにするための強い決意と行動を示しているのです。

 

「彼らはそれを圧制や反抗によって否定した。心の中ではそれを確信していたというのに。そこで見るがよい。堕落した人々の結末がどのようなものであったかを」

 

このコーランの節は、圧制者の状況について、彼らが心の中では信じていることを、どのように否定するかを述べています。そして預言者ムハンマドに次のように語りかけています。「圧制者たちは、心の中では確信を持っていたことを否定していた。この彼らの行動は、優越主義や圧制からくるものだった。だから見るがよい。このように自分の本能に反して行動する人々の結末が、どのようなものであったかを」

 

神の預言者の責務のひとつは、忠告を与えることです。神の預言者たちは、道に迷った人々に出会った際、彼らが置かれている状況と、彼らを待ち受けている悪しき運命について警告していました。

 

原則的に、穢れと無知に陥っている人々は、自分の状況を正しく理解することができません。この節で神は、自分の責務を懸念していた預言者に対し、次のように語っています。「不信心者には、忠告を与えても与えなくても違いはない。彼らが自分たちの道を捨てることはない。それは寝たふりをする人と同じである。寝たふりをする人は、周囲からどれほど大きな声が聞こえても眠っていて聞こえないふりをする。真理を知りながら、不信心に走る人に預言者たちがどれほど忠告しても意味がない」

 

人間は時に、真理を理解しながら、それに心を委ねようとはせずに抗おうとします。また時にはそれ以上に、真理を無視し、不信心に走ることもあります。預言者ムーサーが自分の導きを明らかにしたとき、フィルアウンとその側近たちは真理を理解しました、。預言者ムーサーは、明白なしるしを持って彼らのもとに行きました。ムーサーの奇跡を目にし、真理が明らかになった宮廷の魔術師たちは、信仰を寄せ、全身でその信仰を守りました。しかし、フィルアウンの一族は、ムーサーが真理であることを確信していたにもかかわらず、圧制や欲望によって、真理に屈しようとはしなかったのです。

断食明けの食事

 

今日は地元のモスクにやって来ました。ラマザーン月になると、モスクは人々で溢れかえります。断食者の祈りのささやきがあちこちから聞こえ、集団が列をなし、神は偉大なりという声が響いています。夕方の礼拝が終わると、一気に騒がしくなります。断食明けの食事が並べられ、新鮮なパンの香りが漂います。ナツメヤシとスープなどの簡単な食事が並び、誰もが祈りを捧げながら、一日の断食を解くのです。

 

イラン人が一日の断食を終える際に食べるもので最も重要なものは、パンです。パンは世界でも最も消費量の多い食品となっています。

 

パンは、他の食品と同じように、体のエネルギー源となります。言い換えれば、パンは、成長の要素となります。シーア派のイマームたちは、パンを最もおいしい食べ物として紹介しています。

 

宗教の指導者たちは、最良の施しとは、恵まれない人々にパンを与えることだとしています。そのため、イランでは、多くの貧しい人々にパンが無料で配られます。つまり、何か願い事がある人は、人々にパンを振舞ってそれが叶うように祈ります。

 

パンには、炭水化物や鉄分、カルシウム、各種のビタミンが含まれています。パンはイスラムだけでなく、すべての人類社会において、特別な価値を有しています。イランの栄養学の専門家、ベフダーディプール氏は次のように語っています。

 

「精白パンなどよりも、胚芽が含まれているパンを消費する必要がある。胚芽は実際、食物繊維であり、糖質や脂質の吸収を遅らせるか、あるいは抑える働きがある。血中脂肪の数値が高い人は、普通のパンではなくて胚芽パンを食べるようにすると、脂肪値を低く保つことができる」

パン

 

ラジオ日本語のユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。

https://twitter.com/parstodayj

https://www.instagram.com/parstodayjapanese/

http://urmedium.com/c/japaneseradio