ガディールの祝祭
今日は、イスラム教徒、特にシーア派教徒にとって大きな祝祭のひとつである、ガディールの祝祭の日です。
この日に際し、今夜は特別番組をお送りします。
今から1428年前のゼルハッジャ月18日、イスラムの預言者ムハンマドは、最後のハッジ・メッカ巡礼の際、神の命に従い、およそ12万人のイスラム教徒の前で、アリーを自身の後継者として紹介しました。これは、メッカからメディナに向かう途中のガディールホムという場所で行われました。
預言者ムハンマドは、高い場所に立つと、説教を行い、アリーの手を高々と掲げて人々に言いました。
「私を主人とする者は皆、アリーを主人とする。神は、神を愛する者を愛され、神に敵対する者を敵と見なされる」
預言者ムハンマドはまた、コーランと預言者一門について、人々に次のように勧告しました。
「最後の審判の日、コウサルの泉のもとで私と面会するまで、この2つは決して切り離されることはない」
この神の命が人々に伝えられた後、コーラン第5章アルマーイダ章食卓の第3節が下され、このような吉報が伝えられました。
「今日、不信心者はあなた方の宗教に失望した。そこで、彼らを恐れてはならない。私を恐れなさい。今日、あなた方の宗教を完成させ、私の恩恵のすべてをあなた方に与えた。イスラムをあなた方のためによいものとした」
このようにして、ガディールホムの出来事があった日は祝祭となりました。
ハイバルの戦いの中で、預言者の教友の2人がそれぞれ2度、敵との闘いのために軍の司令官として派遣され、逃げ出したとき、預言者は言いました。「明日、神と神の預言者を愛し、神と神の預言者からも愛され、決して逃げ出すことのない人物に旗を渡すことにする」 そして、旗をアリーに委ねました。
アリーは、イスラムの預言者に信仰を寄せた最初の男性でした。ムハンマドが預言者となってから3年後、コーラン第26章シュアラー章詩人第214節が下され、預言者に、自身の親戚の間で導きを明らかにすることが命じられました。預言者は宴を開き、自分の親戚をイスラムへと導きました。その中で、アリー以外は誰もそれに答えませんでした。同じことが3回繰り返されました。預言者ムハンマドは言いました。「座りなさい。あなたは私の兄弟であり、後継者である」
その後も、預言者は何度も、アリーを自身の後継者、イスラム教徒を指導するイマームとして紹介しました。
ガディールは、アリーを後継者に紹介した最後の場所でした。預言者ムハンマドは、ゼルハッジャ月18日、ガディールホムで、特別な任務を終え、アリーを、自身の後のイスラム共同体の指導者に任命しました。
この日、人々の間では喜びが続いており、イスラムを愛する人々の目には、熱情の涙が流れていました。
イスラムでは、預言者の後にイマームという地位が存在します。預言者は、神の啓示を受け、宗教の基盤を打ち立てますが、イマームには啓示は下されず、宗教の基盤を打ち立てることもありません。しかし、預言者としての全体的な責務を受け継いでいます。
最後の預言者ムハンマドは、他の神の預言者たちと同じように、信条と戒律の点で、宗教の原則を明らかにし、イマームは、預言者が亡くなった後に宗教と宗教法を保護します。そのため、イマームは完全な人間であり、過ちとは無縁です。イマームは、神、復活、来世を信じ、確信の段階に至っており、宗教の真理を心で感じ、全身全霊をかけてそれを受け入れています。イマームは宗教の真理を心に描き、宗教を信じる人々にとって、その道徳や言動に従うような模範となることができます。
アリーは、このような特徴を持ち、預言者の真の後継者となり、預言者が亡くなった後にその責務を担うことになりました。宗教を守り、イスラム共同体を正しい道へと導き、彼らを現世と来世の幸福にいざなうことになったのです。
コーランによれば、イマームの特徴の一つは、人々を神の命へと導くことです。コーランはこれについて次のように語っています。
「また、彼らを我々の命によって人々を導く指導者とした。そして、善い行いをし、礼拝にいそしみ、喜捨を施すことを彼らに啓示した。彼らは私だけを崇拝していた」
イマームは、いくつかの特徴を持っていますが、それは誰もが持っているものではありません。その中でも最も重要なのは、過ちを犯さないということです。預言者の教友たちの中でも、アリー以外は、過ちを犯さないという特徴を持っていませんでした。アリーは幼少の頃から唯一神を信仰していました。イマームは、イスラムの戒律について完全な知識を持っていなければなりません。アリーは、完全かつ幅広い知識を有していました。預言者は自身を知識の町、アリーをその門として紹介していました。
キリスト教徒のアントン・バラなどの思想家は、次のように語っています。「アリーは、イスラム教徒の指導者であるだけでなく、全人類の指導者と見なされる。また、預言者が亡くなった後、共同体に光をもたらすために選ばれたともしびである」