アーシュラーの教訓とメッセージ
(last modified Wed, 27 Sep 2017 08:55:19 GMT )
9月 27, 2017 17:55 Asia/Tokyo
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    アーシュラーの教訓とメッセージ

イスラム暦60年、西暦680年、2つの相反するグループが対峙しました。ウマイヤ朝の為政者ヤズィードは、全力をかけて、社会から公正追求の精神を抹消し、自分の圧制的な目的を実現しようとしていました。一方で、シーア派3代目イマーム、ホサインは、父のイマームアリーの正義の教えの中で育っていたため、ヤズィードと彼の圧制的な思想に対抗しようと立ち上がりました。

イマームホサインとその教友たちによる680年の蜂起は、まる一日かかりませんでした。イマームホサインの一団は皆、ヤズィードの軍勢によって殉教しました。この聖なる蜂起は、世界のイスラム教徒に多くの教訓やメッセージを与えています。なぜなら、イマームホサインが殉教したアーシュラーの蜂起のメッセージは、人間の本能や理性に根ざしたものであり、それらの多くが、世界のすべての人に訴えかけるものであるからです。イスラム教徒以外の政治家や思想家も、イマームホサインと彼の理念について、書籍や論文を記し、分析しています。今夜のこの時間は、アーシュラーの蜂起のメッセージについてお話しましょう。

イマームホサインの聖廟

 

イマームホサインの蜂起は、神のためのものでした。この道において、イマームホサインは神のみを頼りにし、神の道における戦いや努力のためなら、多くの困難に耐えることも、イマームホサインにとっては容易なことでした。アーシュラーを巡る出来事の中で、イマームホサインとその教友たちは、何度もその基本的な問題を強調しました。神への信頼と信仰により、イマームホサインの一団は、常に、純粋な心で、神の満足を得るためだけに行動しました。そして神もまた、彼らの蜂起を永遠のものにしたのです。

 

全知全能の神への信頼と強い信仰心により、イマームホサインとその教友たちは、神からエネルギーを得て、ヤズィードの軍勢に勇敢に立ち向かうことができました。これは、アーシュラーの蜂起のもうひとつの教訓です。イマームホサインは、メッカからメディナに向かう途中の滞在地で、仲間たちに向かってこう語りました。

 

「忍耐強く抵抗しなさい。死によって、あなた方は苦しみや困難を乗り越え、広大な天国とその永遠の恩恵に至るだろう」

アーシュラーの教訓とメッセージ

イマームホサインは、殉教する前夜、教友たちに対し、必ず降りかかる危険に注目し、この戦いを去りたい者がいれば、ここを離れるようにと言いました。しかし、イマームの教友たちは、殉教を追求する心と神への信仰を物語る言葉によって、神の道を守り続けることを強調しました。教友のひとり、サアド・イブン・アブドッラーは次のように語っています。

 

「神に誓って。70回殺され、体に火がつけられ、再び私の灰がよみがえらされても、それでもなお、あなたを助けることをやめることはないでしょう。生き返るたびに、あなたを助けに駆けつけます」

 

イマームホサインの教友たちは、このような精神によって神の宗教と神の預言者の子孫を守るために立ち上がりました。

 

真理を求めること、誇りと高潔さを大切にすることは、あらゆる時代の世界の人々に対する、アーシュラーの蜂起の重要なメッセージです。イマームホサインが蜂起の中で基準としていたのは、真理と公正の確立、偽りと圧制の排除でした。ヤズィードは圧制的で腐敗した人物であり、不当にイスラム教徒を統治する地位につき、イマームホサインに忠誠を誓うよう迫っていました。しかしイマームホサインは決然と次のように語りました。

 

「この圧制的で穢れた人物が、私に二者択一を迫っている。剣を握って戦いに備えるか、卑しい服をまとい、ヤズィードに忠誠を誓うかである。だが、卑しさは我々からは程遠い。神とその預言者、そして我々を育てた清らかな人々は、卑しさを受け入れることを我々に許していない」

イマームホサインは、別の場所でもこのように語っています。「誇り高く死ぬことは、卑しく生きることに勝る」

イマームホサインの聖廟

 

このようにして、イマームホサインは、人々に誇りと高潔さの道を示し、圧制や卑しさのもとで暮らすことは、本当の死を意味するとしていました。真の高潔さとは、圧制や侵略に対して立ち上がり、公正、自由、栄誉を手にすることです。これは非常に気高い理想であり、それを実現する道において、命や財産を投げうつことをためらってはならないのです。

 

公正、自由、栄誉といった気高い理想を実現するためには、洞察力や見識が必要です。アーシュラーの蜂起は、社会の人々やエリートでさえ、洞察力や見識がなければ、真理の道を識別し、正しい道を進むことは不可能だということを示しました。カルバラでも、イマームホサインに自分たちの町に来てほしいと訴えていた人々がイマームホサインに対峙したとき、正しい道を見極め、命をかけてイスラムとイマームホサインを支援し、歴史に永遠に名を残すことができたのは、たったの72人でした。

 

イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、このアーシュラーの教訓について次のように語っています。

 

「なぜ預言者ムハンマドがなくなってから50年後、クーファとカルバラにイスラム国家の運営にかかわるすべてのイスラム教徒が集まり、預言者の子孫をあのような悲劇的な形で殺害したのか、イスラム教徒はそのことを考える必要がある。なぜそのようなことが起こったのだろうか?」

 

イマームホサインは、社会の思想的、宗教的な指導者であるイスラム法学者たちに対し、次のように語りかけました。

 

「宗教の学者たちよ。もしわれわれを助けることなく、公正と正義を手にするために我々に協力しないのであれば、圧制者があなた方に対してさらに力をつけることになる。彼らは、預言者の炎を消すことに、さらに積極的になるだろう」

 

イマームホサインはメディナを去るとき、兄弟のムハンマド・ハニーフィーヤに次のような遺言を残しました。

 

「私は、祖父であるムハンマドの共同体を改革するために行動を起こし、善を勧め、悪を否定したい。そして祖父のムハンマドと父のアリーの方針通りに行動する」

 

イマームホサインは、祖先の宗教が危険にさらされているのを感じ、その解決策は、善を勧め、悪を否定することにあると考えていました。これは、人々へのアーシュラーの根本的なメッセージのひとつです。そのため、イマームホサインは、カルバラの戦場で堂々と次のように語っています。「もし、ムハンマドの宗教が、私を殺すことによって確かなものになるのであれば、敵の剣よ、私の体を貫くがよい」

 

イマームホサインは、当時、善を勧めて悪を否定するという重要な宗教義務を捨てることの結果について次のように語っています。「イスラム教徒がヤズィードのような圧制者によって支配されている今、イスラムは終わったと考えるべきだ」 イマームアリーも、以前に遺言の中で、善を勧め、悪を否定することの重要性に触れ、次のように語っていました。「善を勧め、悪を否定することをやめてはならない。やめてしまえば、あなた方は悪に支配され、その後、祈りをささげても、それがかなえられることはない」

 

アーシュラーの蜂起の中では、男性たちが戦い、殉教しました。その一方で、女性たちもまた、蜂起の前にも、またアーシュラーのその日、そしてその後も、優れた役割を果たしました。イマームホサインは、最初からメッカへの旅、そしてカルバラに赴いた際にも女性たちを同行しました。女性たちは、カルバラの舞台で、男性たちに士気を与え、彼らの看病に勤しみました。しかし、女性たちの重要な役割が本当に始まったのは、アーシュラーの悲劇が表面的に終わったときからでした。

 

預言者一門の女性たちは、果敢にも、ヤズィードの政権の堕落を明らかにし、アーシュラーの蜂起の目的を説明しました。中でも、イマームホサインの姉妹であったゼイナブは、たぐいまれなる役割を果たしました。ゼイナブは、クーファの人々の間で演説を行い、彼らに恥と後悔の念を抱かせ、人々を統治体制に対して立ち上がらせる寸前まで導きました。

 

クーファの為政者、ズィヤードの宮廷において、ゼイナブは彼の皮肉や侮辱に直面したとき、イマームホサインとその教友たちの殉教についてこのように語りました。「私は美しさ以外のものを目にしませんでした。カルバラの殉教者たちは、神から、殉教することを選ばれた人々でした」

イマームホサインの聖廟

 

ゼイナブは、ヤズィードの宮廷でも勇敢に演説を行いました。

 

「ヤズィードよ、できる限り策略や欺瞞を用いなさい。しかし、どれだけ努力しても、私たちのことを人々の記憶から消し去ることはできません。また、私たちの啓示を消滅させることも不可能です」

 

このようにして、アーシュラーの蜂起の中で、預言者一門の勇敢で偉大な女性たちが果敢にこの蜂起について人々に広めることになりました。

 

イスラム暦61年モハッラム月の出来事、特にアーシュラーの日の教訓は、すべての時代、すべての場所において生き続けています。

 

真理と公正の追求者と圧制者の戦いは、常に存在し続けるのです。