イマームアリーの生誕日に寄せて
(last modified Sat, 07 Mar 2020 20:30:00 GMT )
3月 08, 2020 05:30 Asia/Tokyo
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    イマームアリーの生誕日に寄せて

シーア派初代イマーム、アリーは、歴史の中で輝き続ける完全な人間の模範です。

この偉大な人物の生誕日に際し、その人生や特徴についてお話してまいりましょう。

 

 今日は、イマームアリーの生誕日です。この偉大なる人物は、歴史の中で、多くの人間に影響を及ぼし、力強い魅力を有しています。イマームアリーが、カアバという名の聖なる地でこの世に生を受けた日、すべての人はこの出来事に驚きました。なぜなら、それまでにカアバでこの世に生まれた人はいなかったからです。それは、この誕生の偉大さを示しています。イマームアリーは、後にその実り多い人生の中で、さまざまな考え方に変化を与えると共に、人々の心に信仰と喜び、情熱を注ぎました。

イマームアリーの生誕日に寄せて

 

 今日は、多くの知識を持つ賢い指導者であったイマームアリーの生誕日です。彼は、バランスの取れた強い人間であり、他人に対して公正な態度を取る以前に、自分自身に対して公正を守っていました。また、彼の存在の中では、道徳的な美しい言葉が最高の形で具現され、深い思想と愛情を持っていました。夜には、神以外のすべてのものを断ち切って神に礼拝を捧げ、昼間は社会的、政治的な活動の中心にいました。イマームアリーの献身と勇気は、誰もが認めるところであり、その忠告は、真理に見せられる人々の心に影響を与えていました。毎晩、星を見ては涙を流し、その愛情に溢れた祈祷の言葉が辺りに響き渡っていました。イマームアリーは、あらゆる美しさをもつ完全な人間の象徴でした。イマームアリーの生誕日に際し、真理と公正を愛する全ての人にお祝いを申し上げましょう。

 

 イマームアリーは、預言者ムハンマドのおじ、アブーターリブの4番目の息子で、ムハンマドが預言者としての使命を授かる10年前のイスラム暦ラジャブ月13日、清らかで偉大なファーティマを母として、カアバ神殿で生まれました。アリーは6歳のときまで、父親であるアブーターリブの家で育ちました。この間、メッカの町は飢饉と物価の高騰に襲われていました。そのため、アリーは数年間、預言者ムハンマドの家で暮らし、育てられました。

 

 ムハンマドが預言者となった後、アリーは預言者に信仰を寄せた最初の男性となりました。アブーターリブは、息子のアリーが預言者と共に礼拝に勤しんでいるのを見たとき、何をしているのかと尋ねました。アリーはこう答えました。「私はイスラムに信仰を寄せ、神の満足を得るために、いとこと一緒に礼拝をしています」 アブーターリブは言いました。「彼と離れてはならない。彼はあなたを幸福へとのみ、導いてくれるだろう」

 

 ムハンマドが預言者となってから3年目、神はコーランの節を下し、預言者に、自分の親類をイスラムへと導くよう求めました。神の預言者ムハンマドは、およそ40人の親類を招待して彼らに食事を振舞いました。しかし、その日は自分のメッセージを彼らに伝える機会に恵まれませんでした。また別の日にも彼らを招待し、こう言いました。「あなた方のうち、誰が私を助け、私に信仰を寄せ、私の死後に私の後継者となるだろうか?」 そのとき、アリーが立ち上がり言いました。「神の預言者よ、私はこの道においてあなたを助ける用意ができています」 預言者は言いました。「座りなさい」 それから再び、同じことを言いました。しかし、アリー以外に立ち上がる者はいませんでした。預言者は3度目に同じことを繰り返しました。再びアリーが立ち上がり、預言者を助ける用意を口にしました。預言者は言いました。「アリーはあなた方の中で、私が死んだあとの私の後継者である」

イマームアリーの生誕日に寄せて

 

 神の預言者ムハンマドがメッカで多くの困難に耐えながら導きを行った13年が過ぎた後、メディナへと移住する状況が整いました。移住することになった日の前夜、アリーは預言者の命を守るため、預言者の代わりに彼の寝床に入りました。自分の身を捧げることで、預言者に多神教徒からの損害が及ぶのを防ごうとしたのです。アリーの献身が歴史の中で永遠に刻まれるよう、神はコーランの節の中で、この献身を賞賛しました。預言者の移住後、アリーは3日のうちに神の預言者が預かっていたものをその持ち主に返しました。それからアリーは、母親と預言者の娘のファーティマ、そしてその日までメッカに留まっていたイスラム教徒たちと共にメディナに向かいました。アリーがメディナに着いたとき、彼は足にけがをしていました。預言者はアリーに会ったとき、その献身に感謝し、彼を賞賛しました。

 

 移住から1年目、預言者は、移住者とメディナで預言者たちを助けた人々の間で、同胞の契約を結びました。その年、預言者はアリーに言いました。「あなたは現世と来世で私の同胞である」 移住から2年目、アリーは、預言者のもとにいる最もふさわしい人間として、預言者の娘ファーティマと結婚しました。その後、バドルの戦いが起こりったとき、アリーの勇気は誰もが認めるところとなりました。

 

 イスラム教徒の学者の一人はこのように語っています。「ウフドの戦いで、アリーは名声を得、預言者は彼について、真にアリーは私と一心同体であると言ったほどだった」 この戦いで、天からこのような声が聞こえました。「アリーの他に勇者はなく、ゾルファガールの他に剣はない」 移住から5年目、ハンダグの戦いが起こり、アリーは、アムレヴ・イブン・アブデヴァドと対峙しました。そのとき、預言者ムハンマドはこういいました。「あらゆる信仰が、あらゆる不信心との戦いに立った」

 

 ハイバルの戦いが起きたとき、預言者はこのように言いました。「明日、この旗を、決して逃げることはなく、敵に背を向けることのない人物の手に委ねる。その人は、神とその預言者に愛され、神がその人のために、この砦を広げる人物である」 アリーは、イスラム軍に勝利と征服をもたらした、この旗手でした。アリーはどこにいても、預言者の傍らにいました。こうして、ガディールホムで、預言者は彼を自分の後継者と呼び、このように語りました。「私を保護者と見なす者は、このアリーが、その人の指導者である」

 

 アリーは、このように歴史の中で輝き、人々の心を魅了していますが、一体、どのような特徴を持っていたのでしょうか。なぜ人々は彼に親近感を持つのでしょうか。アリーは、神と結びついていたために、人々に愛されています。アリーは神を求める人間であり、そのために、彼は歴史の中で永遠の存在になっています。

 

 アリーの地位や人格は非常に気高いものでした。しかし、その地位に気づいているのはほんの一部の人たちでした。アリーは、自分自身について次のように語っています。「明日、私の知られざる特徴があなたたちに明らかになる。私が死んだ後、私の代わりに別の人物が現れたとき、私のことを知るようになるだろう」 

 

イマームアリーの特徴のひとつは、類まれなる公正にありました。イマームアリーは、権力の座に就いた後、メディナで演説した際、このように語りました。「不当に誰かに委ねられた土地、神の財産から不当に誰かに与えられた財産は、イスラム政府の財産として国庫に戻される。正当を損なうものはない。時が経過したからと言って、過去を見逃すことにはならない。まことに公正の中には問題の解決がある」 その後、イマームアリーは、不当に占拠された財産のすべてを国庫やその持ち主に返しました。

 

 

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