歴史を通じて、人類は自らの必要を満たすために努力してきました。それは、人間が常に何かを必要とする生き物として創造されたからです。人間が陥りやすい過ちは、この必要なものを間違って認識する、あるいは必要に対して間違った解を採用することです。
1979年のイスラム革命を指導し、現在のイラン・イスラム共和国を築いたイマーム・ホメイニー師(1902~1989)は、時代や場所のニーズに応じた新しい社会統治のあり方を提示しました。
イランイスラム革命最高指導者ハーメネイー師は、私たちの人生の次の段階は現世の段階よりももっと完全なものであり、また、今の私たちが身体という壁に四方を囲われ制限を受けているとしています。
31年前の4月9日、イランのドキュメンタリー作家、写真家、ジャーナリスト、作家、さらには「イスラム的映画」の提唱者であったセイエドモルテザー・アーヴィーニー(1947〜1993)が殉教しました。ここではその生涯を振り返ります。
「祈り(祈祷)」は一種の宗教的行為や神への服従、神の僕たることであり、それを通して人間は神の本質に新たな注意を向けることになります。あらゆる宗教的行為が教育上の効果を持つのと同様に、「祈り」にもそのような効果があります。
イスラム教では隣人の権利が非常に重視されており、近隣住民との正しい交流により、1つの地区の構成員の進歩成長にとって好ましく、かつ見事な環境が出来上がり、その結果として社会が形成されるとしています。
イスラムの預言者ムハンマドの後継者であるシーア派初代イマーム・アリーは、側近のマーレク・イブン・アシュタルをエジプトの統治者に任命する際、統治契約書として記した書簡において、イスラムの政権と為政者のあるべき姿、住民の権利、政府と住民の関係などについて説明しました。
神が遣わした預言者たちは様々な困難を抱えていましたが、全体で見れば、人間をより高みに導くうえで大きな役割を果たしました。
人類はその歴史上、常に自らの必要を満たすべく努力してきました。それは、人間が生まれつき何かを必要とする生き物だからです。しかし、それには必要なものを見誤ったり、必要に対して間違った回答を選んだりする危険性も付きまといます。
イスラム暦ラマダン月には毎日異なる祈りがありますが、8日目に行われる祈りには、孤児に優しくする、貧しい人々に食事を施す、寛大な人々と交際するなどの教えが含まれています。