祈祷 (音声)
願いをかなえる、目的を果たす、あるいは問題を解決するために、いくら努力を行っても不可能なことがあります。
時に、希望を失い、努力をやめてしまうことがあるでしょう。時に、何かをするために計画を立て、あらゆる方向から注意深く考えたとしても、ささいな出来事によってそれらがすべて崩れ、何の結果も得られないこともあります。それは、人間の知識が限られており、一つの現象に影響を及ぼしうるすべての要素について、予想することができないためです。そのため、あらゆる出来事や問題を把握できないのです。
イスラム教徒は、このようなとき、自分の合理的な願いをかなえるため、あるいは病気や経済的な困窮などの問題を解決するために、神に助けを求め、祈りを捧げます。言い換えれば、さまざまな個人的事柄において神を拠り所とします。神は全能であり、世界のすべての事柄は神の手の中にあります。そのため、私たちが努力を示せば、神はそれらを可能にしてくださいます。そのため、何かをするときに神を拠り所とすることは、人間が努力をしなくてもよいということではありません。人間に与えられた最高の恩恵とは、礼拝や祈祷によって、神と語り合うために与えられた機会です。
神に祈りを捧げること、それは一日のうち、いつ行っても構いません。しかし、人々が眠りにつき、静寂に包まれている明け方が、祈りを捧げ、神に助けを求める上で最も適した時間です。聖典コーランでは、明け方に罪を悔い改める人間を称賛し、彼らには神の恩恵があるとしています。日々の雑事のために、朝早く起きることができない人もいるでしょう。ラマザーン月は、断食を行う人々にとって、明け方に、その貴重な時間の恩恵を利用する機会となっています。
イスラム教徒以外の人も、神に助けを求めたり、神に祈りを捧げたりすることができるのでしょうか?
陽気な人間は、人生に対して悲観的だったり、怒りっぽかったりする人に比べて、肉体的、精神的な病気にかかる割合が低くなっています。そのため、人間に喜びを与えるあらゆる要素は、実際、その人の精神的、肉体的な健康を促進します。心理学者は、夜明けに礼拝や祈祷を行う人は、精神の健康を保つとしています。また、朝早く起きて礼拝や祈祷をすることは、抑うつを防ぐ要素の一つだとしています。
コーランも、夜明けの祈祷を強調しています。夜明けに祈祷を行うことには効果があり、精神失調の要素を減らします。朝早く起きて朝の礼拝を行おうと心がければ、実際、抑うつや不安から生じる多くの問題が大幅に減少するのです。
イスラムは、さまざまな事柄を視野に入れた宗教です。つまり、人間の現世と来世の幸福のために計画や教えを提示しています。イスラムの教えを見れば、イスラム教徒の個人的、社会的な生活、政治、経済、精神面を網羅しているのが分かるでしょう。一見すると個人的な行いに見える宗教行為の多くにおいて、イスラム教徒は、他者との社会的な関係につながる一部の礼儀や作法を守る必要があります。例えば、礼拝の際、その場所、服装、体を清める水も、他者の権利を奪うことによって手に入れられたものであってはなりません。これはつまり、他人の権利を守ることを重視しています。
イスラムでは、友人や親類とのつきあいを大切にし、常に彼らの状態を気にかけ、彼らの問題の解消に努めるよう強く推奨しています。基本的に、イスラムは友愛と慈愛の宗教であり、敬意や礼儀に基づいた他者との関係を強調しています。イスラムでは、親戚との付き合いや、他人への親切を心がけることが強く勧められています。友人や親戚との語り合いの中で、時に最も美しい道徳的な価値が見られることがあります。また、彼らが抱える問題が明らかにされ、その解決策が話し合われ、考えられることもあります。時には、災難に巻き込まれている人の顔に微笑みが生まれ、心が明るくなることがあります。この他、両親、特に年老いた両親への孝行、子供たち、特に孤児たちへの親切も、イスラムで強調されています。
イスラムは、動物に対する正しい行動についても忘れていません。イスラムは、環境問題や動物の権利の遵守も考慮しており、この問題を論理的な見方によって公平に扱っています。