イスラムの見解での家庭における妻の責務
家庭は、1つの社会組織です。全ての社会組織において、業務は協力により進められ、メンバーの一部が協力しなければその組織は混乱に陥ります。
イスラムでは、家庭の管理という責務は夫に課されており、また愛ある家庭の内部の運営と監視は、妻の責務とされています。家庭の運営において、妻の役割が高く位置づけられていることから、妻は家庭の柱とされています。シーア派初代イマーム・アリーもこの点を指摘し、次のように述べています。“妻は、配偶者と家事の責任者、監視人である” 妻が家庭内を正しく監視することにより、家庭内に親しい雰囲気が生まれ、健全で喜びにあふれる幸福な生活の下地が出来上がります。それは、妻の優しさや愛情のもとでこそ家族が安らぎを得られ、進歩できるからです。
イスラムの見解では、家事は妻の主要な義務ではなく、妻は自ら進んで家事をしなければ、家族にサービスする義務はありません。もし、夫が妻にこれを強要した場合には、妻はこれに対する賃金を要求できます。もっとも、妻が家事を行うことは、家庭のよりよい運営や夫に対する家族運営の支援、子供の正しい教育にとってきわめて重要であり、価値あることとみなされます。また、妻が家事に協力しないことで、家族が多くの問題に直面することになります。
家事や、子供の世話や教育には、多くの努力と意志が必要です。そもそも、母親としての責務は、妻の責務の中でも最も美しく聖なるものであり、献身的な母親以外には、誰もこの役目をきちんと果たすことはできません。
家事に夫も参加し、協力することは、家庭内に優しい雰囲気を生み出す上で効果があります。これについて、イマーム・アリーは次のように述べています。
“ある日、イスラムの預言者ムハンマドが我々の家に入ってきた。そのとき、妻のファーティマは食事の支度をしており、私は彼女のためにレンズ豆を洗っていた。預言者ムハンマドは、創造主なる神の命として自分が語る言葉に耳を傾けるようにと告げた。家事を手伝うことにより、1年間の全ての日に断食をして、毎晩礼拝のために徹夜をした分の報奨がある”
人間は誰でも、その人特有の性格や複雑な特徴を持っています。幸せで親密さにあふれる生活を送るには、あれをすべき、これはすべきではないと細かく指示するのを控え、それぞれの個人的、文化的、家庭面での違いを互いに尊重しなければなりません。夫は、自分の妻に信用される存在となる必要があります。
自分の妻から配偶者として受け入れられることで、夫は自信を持つようになり、それにより家族の成長のための相応しい下地が出来上がります。相手の秘密を守り、誠実に行動することで、相手を配偶者として認めることになります。妻がこれを守らない場合、夫は妻に不信感を抱き、夫婦間に距離ができ、優しさが薄れていきます。コーラン第2章、アル・バガラ章「牝牛」第187節の解釈では、妻は夫の衣服であり、また逆に夫は妻の衣服であるとされています。この節において、神は夫婦が互いを美しく装飾し、互いの欠点を隠しあい、互いを守りあい、そして罪から遠ざけるとしています。このため、この節に対する解釈は最終的に、夫婦間の親しさを示しており、ともに同じような形で語っていることから、夫婦の平等について考慮しています。
家庭における女性の最も重要な役割として、夫に対し誠実で正直であることが挙げられます。このことは、家庭の絆を強める上で最も重要な要素であり、これにより互いの信頼が構築されるとともに、夫婦がともに優しく接するようになります。言うまでもなく、妻と夫は多くの場合、それぞれ異なる家庭環境で育っており、彼らの習慣の一部や文化も異なっているのが普通です。夫婦の相互理解には、努力と献身が必要です。もっとも、家族のまとまりについては、妻の方がより大きな役割を担っています。おそらくはこうした理由で、宗教の偉人たちは、夫に対しよき妻であることを、聖なる努力と見なしていると思われます。即ち、妻が夫に優しく振舞うことは、宗教的な努力に等しいと見なされているのです。シーア派初代イマーム・アリーは、これについて次のように述べています。 “女性にとっての聖なる努力とは、夫に対し親切にすることである”
妻によるよい対応の1つは、夫を愛することです。基本的に、家族の絆は心や言葉、行動を伴う愛情により形成されます。言うまでもなく、家庭の存続も愛情の維持にかかっています。互いの愛情と優しさによる生活こそが長続きするのです。シーア派4代目イマームサッジャードは、配偶者に対する愛情の必要性について次のように述べています。 “あなたも知っているように、あなたの配偶者の権利は、あなたとともに生活し、喜びの源となるようもうけられたものであり、これがあなたに対する神の恩恵であることを心得ておくべきである。配偶者は、あなたから親切を受ける権利を有している”