11月 27, 2016 17:13 Asia/Tokyo
  • 砂塵 
    砂塵 

今回は、砂漠化がもたらす結果の1つとして、現在自然環境を脅かしている砂塵について考えることにいたしましょう。

土壌の劣化や砂漠化がもたらす恐ろしい現象の1つに、砂塵が挙げられます。砂塵は、大気中に拡散する砂や土の埃、またそのほかの乾燥した粒子の集合体であり、空気の濁りの原因となります。砂塵が発生するのは多くの場合、乾燥した大気中の細かい砂や土の粒子などの埃が増加したときです。この現象は、太陽光線が地球に届かなくなるといった危機的な場合には、大気が真冬のように冷却する原因となります。このため、学者らは恐竜の絶滅といった歴史に残る動植物の絶滅の多くの原因が、砂塵によるものであると見ています。

 

これまでの歴史におけるそうした代表的な例として、1815年(確認済み)に発生したタンボラ火山の噴火灰による異常気象が挙げられます。この時、タンボラ火山の巨大噴火の影響は次第に遠方にまで及び、およそ50キロ立法メートルに及ぶ火山灰や砂塵、細かい砕石は煙とともに、はるかヨーロッパのロンドンにまで達しました。これらの噴出物は太陽光線をさえぎり、気温が上がらない状態を引き起こしました。このため、1815年は「夏のない年」と呼ばれています。

 

砂塵という現象は、地表面に発生源があり、サウジアラビアやイラク、クウェート、イラン南部をはじめとする世界の砂漠地帯全域において季節的に、特に1年のうちでも暑い時期に起こります。こうして発生した砂塵は数日間、あるいは20日から50日間という長期間にわたって続きます。ちなみに、竜巻は1センチ半から3センチ半という大粒の砕石を地上15メートルにまで吹き上げ、時速16キロで進みます。これに対し、砂塵は非常に細かい砂粒を非常に高く吹き上げ、それらの粒子が非常に細かいことから、長期間にわたってそれらを空中に滞留させ、時速40キロから80キロで急速に拡散されます。

 

都市や町における空気中のちり芥の許容量は、国際基準では1立方メートル当たり240ミリグラムから260ミリグラムとされています。この数字は、砂塵や黄砂などの発生とともに上昇し、時には許容量の15倍以上に達することもあります。しかし、砂塵の危険性を高めているのは、これらの粒子の種類とその化学的な構造であり、それは自然環境、特に人間の健康にとっての危険度を左右する最も大きな要因です。ちり芥の粒子は、大都市圏の汚染物質と結合したとき、有機物を含むことから粘り気があり植物や土壌やそのほかの物質に付着しやすい砂塵へと変化します。こうして、汚染や電気・工業機材の故障、さらにはアレルギー性の感染症の蔓延の要因が整ってしまうことになります。

 

イラクとサウジアラビアで発生した砂塵の粒子を分析した結果、これらの粒子全体の56%以上が250マイクロメートル未満であり、呼吸により人間の体の自然の防護システムをかいくぐって、肺にまで浸透することが分かりました。さらに、これらの粒子は人間の体の免疫力を弱め、咳やくしゃみでも肺の外に出すことができず、短時間のうちに血液に吸収されることから、病気の原因になるということです。

過去20年間にわたる学術的な調査の結果、世界で1年間におよそ50万人が大気中に漂うちり芥の粒子に遭遇し、早死にしているということです。こうした砂塵は、時に呼吸器系の疾患のある患者にとって、極めて有害です。また、砂塵やちり芥は植物に付着した場合にも悪影響を及ぼします。植物の茎や葉に砂塵が付着すると、光合成が妨害され、その結果植物の成長や新陳代謝に支障をきたします。一方で、砂塵は植物の受粉のプロセスをも阻害し、これにより果実などが実らなくなります。さらに、砂塵は経済的にも取り返しのつかない損害を引き起こし、社会的な出費をも増やすことになります。

 

科学者の見解では、土壌の劣化という現象は、適切な降雨量があり十分な湿り気のある地域では、砂塵の発生の原因にはなりにくいとされています。そのため、この問題は中東などの乾燥地帯では、特に北風の吹く時期により顕著に現れます。この北風は、6月から9月にかけてよく起こり、中東北部で形成され、トルコやイラク北部の山脈地帯を越えて、漏斗から吹き出されるように、イラクやシリアの砂漠地帯に流出します。そして、ペルシャ湾などの国際海域にまで到達し、砂漠化の影響により劣化した土壌に吹きつけて、砂や土を空中に吹き上げ、砂塵という形でこれらの地域の大都市の上空に達するのです。

 

この北風は、力学的に大きな力を持つことから、大量のちり芥の粒子を地面から吹き上げ、時には高度2400メートルから3000メートル上空にそれらの粒子を滞留させることができます。砂塵を形成するこうした粒子には、有害物質が含まれており、湿り気がほとんどないことから10日間は大気中に滞留したままとなります。

 

アメリカ海洋大気庁がイラクで行った調査によりますと、特にイランをはじめとする西アジア地域で砂嵐が激化する主な原因は、特にイラク東部のアールジャズィーラ地区で砂漠化が進んだことにあるとされています。この地区は、イラクの首都バグダッドの近郊にあり、またチグリス川とユーフラテス川の間に位置しています。この地域にはかつて、多数の湿地帯や湖が存在していました。しかし、1980年から1990年代にかけてイラク南部の葦原(葦原)が消滅したこと、またこの地域のエコシステムの意図的な破壊の代表例とされる、イラン・イラク戦争が、この地域で砂塵が発生する主な要因となっています。

 

当時、イラクのサッダーム政権の命令により、イラクのチグリス・ユーフラテス川流域の南部と中部地域の重要な地区が、土地政策により意図的に焼却されました。独裁者サッダーム・フセインの誤った軍事政策により、サウジアラビアの砂漠地帯の砂粒が、イラクの南部と南西部からナジャフ、カルバラー、サーメラーなどの各都市に到達することになります。サッダームの命令により、イラク軍の技術組織はメソポタミア湿地帯を焼却してしまいました。このため、この湿地帯にはもはや葦などの植物すら生育しなくなったのです。

 

独裁者サッダームが地域のエコシステムを破壊したため、イラク南部と中部の湿地帯では飛来してくる渡り鳥の姿も見られなくなりました。彼は、イランに対抗する防護用バリケードの設置を口実に、イラク南部の州にある1500万本以上のナツメヤシの樹木を伐採したのです。このことは、特に夏の畑作地を初めとするイラクの農業用地や牧草地をも破壊してしまいました。イラク軍は、同国南部の河川をせき止め、イラクの農業用地の劣化を加速する責務を請け負っていたのです。特にバスラ州やイランとの国境地帯では、ナツメヤシの樹林が破壊され、地雷や爆発物が仕掛けられました。この出来事は、イラクの人々の生活に直接、そして大規模かつ急速に影響した一方で、この国の大気汚染や大気中におけるちり芥の充満といった、長期的な弊害も引き起こしました。イランの多くの都市や、そのほかの地域諸国も、この自然環境の危機に巻き込まれ、今なおこの現象に苦しんでいるのです。

1990年代にサッダーム政権がメソポタミア湿地帯の破壊や砂塵という大惨事の発生に大きく関わっていたことは否定できない事実です。しかし、国連の報告は、この数十年におけるチグリス・ユーフラテス川のダム建設や水のせき止めに、最も大きく関わっていた国には、トルコも含まれ、このことはイラクやシリアでの湿地帯や湖の枯渇、西アジアでの砂塵の増加に大きく関係しているとしています。