イスラム共和制における政治参加
イランでは現在、選挙前の独特のムードが漂い、複数の選挙の開催に向けたカウントダウンが始まっています。
来月19日には、第12期イラン大統領選挙に加えて、第5期市町村評議会選挙、そして国会中間選挙が開催されます。これらの選挙には、様々な趣向を持つ政治団体や派閥が参加します。今夜は、イランのイスラム共和制における政治参加についてお話することにいたしましょう。
選挙への参加には、2つの重要なポイントが存在します。1つは、大勢の人々の共同参加の原則であり、これによりすべての選挙が合法性を帯び、国家の政治的な将来に影響を及ぼす勢力となります。これについて、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、次のように述べています。
「私がこれまで何度も述べたように、選挙への参加という原則は、もっとも優れた候補者を選ぶことよりも重要であり、これは最も重要な事柄である」
そして、選挙における2番目のポイントは、国家の体制における1つの責務を請け負う意思を表明し、投票者の選択に自らをゆだねる候補者らが参加することです。このこと自体、ある意味で責任ある選挙への参加の一部といえます。実際に、この2つの要素が民主的な選挙の基盤を構成していることになります。
これまでの38年間にわたるイスラム共和制の生きた経験、そして選挙への国民の参加は、選挙に国民が大々的に参加すればするほど、その選挙がイラン国民の権威や体制の力に対し、より奥深い影響を与えてきたことを証明しています。これについて、ハーメネイー師は次のように述べています。
「より多くの人々が選挙に参加すればするほど、国家の権威や体制の耐久性が上がり、体制の信用度も上昇するであろう。なぜなら、体制とは人々によるものだからであり、選択に対する人々の思い入れや情熱、すなわちを国民の意思をより所としているからである」
民主体制における選挙は、一般的に共同参加を原則としています。ですが、この共同参加という概念は、それぞれの体制ごとにレベルが異なり、様々な方式で実現されます。イスラム共和制においては、共同参加とは政治的な発展の側面の1つであることに加えて、社会的な側面を持つとともに、ある意味で宗教性を帯び共感による団結のシンボルとされています。この特徴は、宗教に基づく民主主義を奥深い躍動的なものにするうえで大きな効果を発揮し、またその継続によりイスラム共和制はより大きな力をつけてきました。
実際に、人々の共同参加は健全で効力のある選挙の実施における骨子であり、これなくしては民主主義の原則に基づく結果を選挙に期待することはできません。国民の選挙への参加意欲が欠如していたり、また弱ければ、その結果も社会の要求に合致したものにはならないと考えられます。これに関して、イランの政治問題の専門家、マティーン・アンジョムルーズ博士は、次のように述べています。
「政治への共同参加は、民主主義の指標の1つである。民主主義には、いくつもの指標が存在しており、それらには三権分立、共同参加、競争、言論の自由、選挙への参加が挙げられる。だが、もし集約して言うなら、民主主義の最も重要な指標は、まさにこの共同参加と競争だと言える。このため、共同参加は、政治的なプロセスにおいて極めて重要な役割を果たしている。また、共同参加はその質と量という2つの部門に区分できる。すでに存在する政治的、社会的な複数の構造に基づき、その共同参加が質的あるいは量的であるかに違いが生じる」
イランにおける選挙の実施は、その政治史においておよそ100年に及ぶ経歴を有しています。イランでは、1906年8月に初めて国会が結成されました。しかし、歴史を振り返ると、共同参加や選挙にそもそも実質的な概念がなかったことが分かります。
イランで、立憲革命後に初めて国会選挙が実施されたとき、国会における代表者を擁立できたのは、特定の社会階層のみでした。当時のイランの政情では、選挙は国民にとっての1つの民権や、本当の政治参加としてみなされていませんでした。すなわち、選挙は事実上、イランにおける植民地主義の潮流の1つでしかなく、もはやイラン社会にとって表面的な要素と化していたのです。
ガージャール朝のモザッファロッディーン・シャーの時代に制定された法律では、女性には投票権がなく、投票するには特別な条件がつけられていました。それは、ガージャール朝の王族や貴族、貿易商人、地主、さらには国王の命令で自らの代表を選ぶことが許された特定の職人階級であることといった社会階層面での条件でした。また、一般庶民の間で投票権を有していたのは価値のある不動産物件を有する人々であり、収入の少ない職人や社会的な階層の低い人々には投票権がありませんでした。このため、選挙における共同参加はそもそも無意味だったのです。これについて、マティーン・アンジョムルーズ博士は次のように述べています。
「この論点はおそらく、立憲革命時代にさかのぼると思われる。当時は、初めて法律や立憲政治といったテーマがイランに入ってきた時代であり、人々はある意味で少しずつ自らが国家権力に参加することを学び始めていた。なぜなら、それ以前にはイランには限りなく絶対的で一方的な権力が君臨していたからである。人々は、選挙や国会を通じて、国家権力に自らのシェアを有することで、自分たちを統治する権力を立憲的なものにすることを少しずつ学んでいったのである」
しかし、1979年のイスラム革命の後における国民投票は、それまでと異なるものでした。革命の勝利は事実上、イスラム共和制の成立に向けた初の国民投票の実施の前哨戦となったのです。まさに、この国民投票の後、イラン国民は選挙への参加を、社会の政治的な運命の決定に参加するための、自らの法的、民生的な義務とみなし、選挙の結果が行政に対する国民の意思の反映となるようにしたのです。
共同参加のプロセスには、2つの重要なポイントが存在します。1つは、健全な選挙の実施の原則であり、その責務は、健全で透明な選挙の実施に当たっての監督者や行政責任者、そして選挙の実施担当者にあります。そして、2番目のポイントは、憲法という枠組みに沿って、選挙の行く末を決定する存在としての国民の役割です。これにより、国家の政治・行政システムが強化され、国民も大々的な参加により、選ばれた体制や責任者を自らが信任している旨を表明することになります。
市民権という視点から見ると、選挙への参加は、民主的な方法での国家の行政運営への参加を意味します。こうした選挙では、社会を構成する国民の全て、あるいはその一部が1人または複数の責任者を選出することになります。しかし、別の視点から見ると、イスラム的な倫理基準や価値観を維持した上での、国民の積極的、意識的な選挙への参加は、奥深い社会的な影響力を持っており、社会における政治面での倫理の向上につながるとともに、最終的にイスラム共和制が強化されることになります。
選挙への国民の参加は、国民が国家行政の運営に対する選挙の影響力を確信していることを示すものです。この方向性からして、選挙で得られる結果は、国民の支持を受けています。このため、選挙という重要なイベントに参加する人々は、事実上自らの社会的、政治的、宗教的に重要な責務を果たしていることになり、これこそがイスラム体制への参加という奥深い概念なのです。これに関する、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師の言葉をご紹介し、今夜の番組を締めくくることにいたしましょう。
「イランイスラム共和国は、神の力をより所とし、国民の存在の力を確信しており、世界のいかなる勢力をも恐れることはない」