光の彼方への旅立ち、ナムル章(9)
コーラン第27章 ナムル章 蟻 第45節~第49節
慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
第45節
「まことに我々はサムードの民に兄弟のサーレハを遣わした。[彼は人々に言った。]『神を崇拝しなさい』 それから彼らは2つの敵対するグループに分かれた。」 (27:45)
وَلَقَدْ أَرْسَلْنَا إِلَى ثَمُودَ أَخَاهُمْ صَالِحًا أَنِ اعْبُدُوا اللَّهَ فَإِذَا هُمْ فَرِيقَانِ يَخْتَصِمُونَ (45)
第46節
「[サーレハは]言った。『私の民よ。なぜ善の前に悪に急ぐのか?なぜ神に赦しを求めないのか?恐らく慈悲に授かれるというのに』 」 (27:46)
قَالَ يَا قَوْمِ لِمَ تَسْتَعْجِلُونَ بِالسَّيِّئَةِ قَبْلَ الْحَسَنَةِ لَوْلَا تَسْتَغْفِرُونَ اللَّهَ لَعَلَّكُمْ تُرْحَمُونَ (46)
第47節
「彼らは言った。『あなたとあなたと共にいる人々に悪い運命が出ました』 サーレハは言った。『あなた方の運命は神のもとにある。あなた方は試練を受ける人々である』」 (27: 47)
قَالُوا اطَّيَّرْنَا بِكَ وَبِمَنْ مَعَكَ قَالَ طَائِرُكُمْ عِنْدَ اللَّهِ بَلْ أَنْتُمْ قَوْمٌ تُفْتَنُونَ (47)
この章は初めからここまで、ムーサー、ダーヴード、ソレイマーンといった預言者たちの人生について述べていました。この3つの節は、サムードの民の間の預言者サーレハの使命について述べています。預言者サーレハは、同胞愛によって、懸命に自らの民を唯一神の信仰へといざなおうとしました。一部の人々は彼に信仰を寄せ、彼に従いましたが、別のグループは彼の導きを拒否し、不信心者になりました。当然のことながら、敬虔な人々と不信心の人々の間には対立が生まれました。その対立は、時に個人的なものでしたが、時には社会的な様相を帯びました。
預言者サーレハは、頑なな不信心者たちに対し、あなたたちの結末は地獄と責め苦であると警告し、「なぜ、醜い行いをやめようとしないのか?なぜ神に背くのか」と言いました。しかし彼らは、そのような警告に耳を傾ける代わりに、このように答えました。「あなたが本当のことを言っているのなら、なぜあなたの神は私たちに責め苦を下さないのか?なぜ現世で、私たちとあなたたちの間の清算が明らかにされないのか?」
この節は続けて、預言者サーレハは彼らにこのように語ったとしています。「なぜ、自らの過去を謝罪し、神に赦しを求めてその慈悲に授かる代わりに、責め苦が下るのを急ぐのか? 罪を悔い改めるのではなく、責め苦を求めるのか?なぜ、あなたたちの幸福と善の源となる神の慈悲に授かろうと努力する代わりに、あなたたちの悪や災難の源となる責め苦が下されるのを急ごうとするのか?」
これまでの経験が示しているのは、歴史を通して、反対者や否定者は、神の預言者たちの忠告や警告を受け入れるのではなく、彼らに対抗し、彼らを町から追い出すか、殺してしまおうとしました。預言者サーレハの物語でも、干ばつが地域を襲ったとき、彼らは言いました。「これらの災難は皆、あなたとあなたの信者たちの言葉によるものだ。だから自然が私たちに腹を立て、問題に巻き込ませた。あなたたちは、この民の不幸の原因になった悪い人々である」 サーレハはそれに対してこう答えました。「あなたたちの運命が良いものになるか悪いものになるかは神が決めることである。あなたたちは試されている。この干ばつは神の試練であり、誰かによってあなたたちに届けられたと考え、誰かのせいにするような悪い事柄ではない。あなたたちの醜い行いこそが、干ばつを引き起こしたのだ」
第45節~第47節の教え
・唯一神の信仰へのいざないは、神の預言者たちの導きの筆頭にあります。
・歴史を通して、正義と悪は常に戦ってきました。それでもなお、全ての人が真理を受け入れ、信仰を寄せ、善い行いをすることを期待すべきではありません。
・神の預言者たちの明白な論理に対し、不信心者たちは、吉兆を決める占いなどの迷信に陥りました。
第48節
「その町には9つの団体がいて、その土地を堕落させ、改めようとしなかった。」 (27:48)
وَكَانَ فِي الْمَدِينَةِ تِسْعَةُ رَهْطٍ يُفْسِدُونَ فِي الْأَرْضِ وَلَا يُصْلِحُونَ (48)
第49節
「彼らは言った。『神に誓って、彼[サーレハ]とその家族に夜襲をかける。それから彼の保護者に言おう。私たちは彼の家族の殺害現場にはいませんでした、間違いなく本当のことを言っています、と』」 (27:49)
قَالُوا تَقَاسَمُوا بِاللَّهِ لَنُبَيِّتَنَّهُ وَأَهْلَهُ ثُمَّ لَنَقُولَنَّ لِوَلِيِّهِ مَا شَهِدْنَا مَهْلِكَ أَهْلِهِ وَإِنَّا لَصَادِقُونَ (49)
この2つの節は、預言者サーレハとその教友たちを殺害する陰謀に触れ、次のように語っています。「サムードの民の間には、堕落し、悪い行いばかりに勤しむ集団がいた。彼らは、相応しい行いをしようとも、また醜い行いを改めようともしなかった。これらの集団は共謀し、預言者サーレハとその家族、教友を殺害し、その後で、誰かが疑われたら、私たちはそれに関与していない、別の集団がやったことだと口裏を合わせようとした」
興味深いのは、彼らが共謀するために、アッラーの名に誓いを立てたことです。それは彼らが、神を創造主として認めているものの、偶像を自分たちの運命を決定するものと見なし、それらを崇拝していたことを示しています。彼らは、「私たちは神に創造されはしたが、そのまま放っておかれたのだから、何でも好きなこと、正しいと思うことを行い、預言者が遣わされる必要はない」と言っていました。それはちょうど、神が創造主であることは否定しないものの、人間が自分で自分のことを決めるとし、他人に損害を与えなければ、何でも好きなことをする権利があると考える一部の現代の知識人たちと同じような考え方です。
預言者サーレハを殺害しようとする陰謀は、イスラムの預言者ムハンマドに対するメッカの多神教徒の陰謀を想いださせるものです。メッカの多神教徒は、預言者が夜、眠っている間に彼を殺害しようとしました。多神教徒は、それぞれの部族から1人を差し出し、これによって、全ての部族がこの殺害に関わるようにし、預言者の一族が、特定の部族を非難することができないようにしたのです。
第48節~第49節の教え
・預言者に反対する人々は、論理が通用する民ではありませんでした。彼らは預言者の導きが広まるのを防ぐために陰謀を企て、預言者の殺害を計画したのです。
・歴史には多くの教訓が存在します。一部の人が、神に誓いを立てて神の預言者たちを殺害しようとしました。これは人類の最悪の無知と迷いです。ハヴァーレジという人々も、神に近づくために、神の家であるモスクで、神の月であるラマザーン月に、神に選ばれた僕、、イマーム・アリーに剣を振りかざし、イマームアリーは殉教しました。