光の彼方への旅立ち、ナムル章(10)
コーラン第27章 ナムル章 蟻 第50節~第56節
慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
第50節
「彼らは[サーレハを殺害するための]陰謀を企てた。我々もまた、大きな方策に出た。だが彼らは理解していなかった。」 (27:50)
وَمَكَرُوا مَكْرًا وَمَكَرْنَا مَكْرًا وَهُمْ لَا يَشْعُرُونَ (50)
第51節
「だから見るがいい。彼らの企みの結末がどのようなものになったかを。我々は彼らとその民の全てを滅ぼした。」 (27:51)
فَانْظُرْ كَيْفَ كَانَ عَاقِبَةُ مَكْرِهِمْ أَنَّا دَمَّرْنَاهُمْ وَقَوْمَهُمْ أَجْمَعِينَ (51)
第52節
「それからこれは、彼らの家だが、彼らが行った圧制のために廃墟と化し、空になった。この中には、知識を持つ人々への明らかなしるしがある。」 (27:52)
فَتِلْكَ بُيُوتُهُمْ خَاوِيَةً بِمَا ظَلَمُوا إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآَيَةً لِقَوْمٍ يَعْلَمُونَ (52)
第53節
「そして信仰を寄せた敬虔な人々を救った」 (27:53)
وَأَنْجَيْنَا الَّذِينَ آَمَنُوا وَكَانُوا يَتَّقُونَ (53)
前回の番組でお話したように、預言者サーレハに反対する人々の一派が、彼を殺そうと決めました。彼らは互いに誓いを立て、9つの異なる部族の中から代表者を決め、全員で共謀して、サーレハの殺害の責任が、一人、あるいは一つの部族のみにかからないようにしたのです。彼らは、預言者サーレハが家族や教友から離れて山あいで祈りを捧げるときを狙い、サーレハを襲って殺害しようとしていました。しかし、神の意志により、山崩れが起こって頭上から岩が降り注ぎ、山すそで待ち構えていた彼らを消滅させたのです。この4つの節は、次のように語っています。「彼らは自分たちの計画がうまくいき、サーレハを殺害できると考えていた。しかし彼らは、サーレハの神が彼らよりも強く、彼らのたくらみを完全に知り尽くしていることを知らなかった」
陰謀を企てた者たちが滅びただけでなく、この殺害に納得していたサムードの民も、神の厳しい罰を受け、滅びました。神にとって、罪を犯した人とそうでない人は同列ではありません。そのため、神の意志により、敬虔な人々はこの責め苦を無事に逃れました。
第50節~第53節の教え
・信仰を寄せた人がその義務を果たせば、神は不信心者の陰謀を即座に退け、彼らに支配することを許しません。
・神の掟は、偽りに対する真理の勝利です。偽りが表面的な勝利を手に入れることもありますが、それは永遠のものではありません。なぜなら偽りは基盤を持たない、消滅するものであるからです。
・かつての民が残した古代の遺跡を保護し、未来の人々の教訓の源になるようにしましょう。
・信仰と敬虔さによる報奨や効果は、来世だけに見られるものではありません。敬虔な人は現世でも、その行いの結果を見ることができます。同じように、圧制者の懲罰も来世だけに限られません。彼らは現世で、その行いの罰を目にすることがあります。
第54節
「また、[預言者]ルートの民を[想い起こしなさい。]彼はその民に言った。『この醜い行いを分かっていながら行うのか?』」(27:54)
وَلُوطًا إِذْ قَالَ لِقَوْمِهِ أَتَأْتُونَ الْفَاحِشَةَ وَأَنْتُمْ تُبْصِرُونَ (54)
第55節
「『あなた方は欲望のために女性ではなくて男性のもとに行くのか?あなた方は愚かな民である』」 (27:55)
أَئِنَّكُمْ لَتَأْتُونَ الرِّجَالَ شَهْوَةً مِنْ دُونِ النِّسَاءِ بَلْ أَنْتُمْ قَوْمٌ تَجْهَلُونَ (55)
預言者サーレハの運命を述べた後、この2つの節は、預言者ルートとその民の出来事を要約して伝えています。ルートの民の運命は、コーランのこれまでの章でも何度か出てきました。同性愛などの性的な逸脱は、これまでも歴史の中に存在してきました。ですから、コーランは何度もルートの民のことを述べ、彼らの悪い結末を伝えることで、未来の人々への教訓と警告になるようにしています。
この2つの節は次のように語っています。「預言者ルートは、彼の民の男性の間に広まっていた同性愛という不名誉で醜い慣習を非難し、あなたたちはそのような行いが醜いことを知りながら、なおも続けているのか?あなたたちは妻がいるというのに、なぜ、妻ではなくて他の男性たちを追い求め、女性たちを放り出すのか?」
当然のことながら、男性たちが女性ではなく男性同士を求めあうとき、女性たちは少しずつ、男性に対する関心を失い、今度は別の女性を求めるようになります。こうして、家庭の基盤が崩壊し、社会に離婚や別れが広がります。残念ながら、進歩を遂げたと考えられている現代の世界でも、同性愛は一部の男女の間で広がっています。そしてこの人間の本質に反する醜い行いは、一部の西側諸国で法的に認められているのです。
第54節~第55節の教え
・社会に広まる悪しき行いと戦うこと、それは社会の善良な人々や神の預言者たちの責務のひとつです。
・性的なニーズは人間の自然な欲求です。しかしそれは世界の創造主である神が明らかにした合法的な方法によって満たされるべきであり、自然の流れから外れ、個人や社会に多くの弊害をもたらすような方法によるものであってはなりません。
・同性愛などの性的な逸脱は、それが文化的で知識のある人々によって行われたとしても、無知や愚かさのしるしです。
第56節
「だが彼の民はただこう答えるだけであった。『ルートの一族をあなた方の町から追い出しなさい。彼らは清らかさを求める人々である』」 (27:56)
فَمَا كَانَ جَوَابَ قَوْمِهِ إِلَّا أَنْ قَالُوا أَخْرِجُوا آَلَ لُوطٍ مِنْ قَرْيَتِكُمْ إِنَّهُمْ أُنَاسٌ يَتَطَهَّرُونَ (56)
罪を犯した人に醜い行いをやめさせようとした、預言者ルートの論理的な言葉に対し、彼らはその言葉を受け入れる代わりに、愚かで厳しい態度を取りました。人々は完全に礼を失した態度で、「私たちに同調せず、いつも私たちの欠点を指摘するルートの一族や教友たちを、ルートと共にこの町から追い出してしまおう。そうすれば誰も私たちの邪魔をしたり、責めたりする者はいなくなる」と語りました。
そう、罪が広がると、清らかさが罪と見なされ、その罰は追放や投獄となります。清らかな若者であった預言者ユーソフも、穢れた人々との協力を拒んだときに投獄され、清らかさを保ったという罪で、人生の長い期間を牢獄の中で過ごすことになりました。
第56節の教え
・罪に対しては、罪を行った人が窮屈さを感じるよう、黙っていてはなりません。悪を否定することは、たとえ結果が伴なわず、追放されることになっても、公然と行うことが必要です。
・同性愛など、性的な関係の自由を叫ぶことは、迷いと無知に陥ったルートの民と同じ思想です。そのような自由は決して、文明や進歩のしるしではありません。
・環境が人間に罪を強いることはありません。堕落した人々の間にあっても、清らかな人間の暮らしは、堕落や罪に穢れることがありません。