ISISの終焉に対する反応
イラクとシリアの政府軍と民兵組織の勝利、そしてテロ組織ISISに占領されていた都市や村の多くが解放され、この2カ国で、ISISが終焉を迎えていることについて、多くの反応が伝えられ始めています。
イラク北部・モスルにおけるISISの敗北がこの始まりとなりました。西側諸国からの支援を受け、2003年のイラク侵攻の不名誉を覆い隠すために結成されたISISによる体制は、おそらくこのような形で中東情勢をコントロールできると考えられたのでした。
軍事的な面から、ISISは連鎖的な敗北を遂げています。モスルから、少し前にテロ組織の掃討が完了したレバノン・シリアの国境にある高地までの、この敗北の連続は、テロ組織の衰退を早めています。
レバノンの新聞アルナハルは、シリア軍の東部デリゾールへの進攻を、ISISとの戦いにおけるシリアのアサド大統領の重要な勝利だとしました。デリゾールは、ユーフラテス川沿いにあり、シリアの石油の生産地とみなされています。ISISはこれを抑えることで、利益の多い収入源を獲得していました。アルナハルのアナリストは、シリア軍の勝利は新たな戦略的な変化だとして、この重要な変化は、シリア全土でテロが終焉することの証だとしました。
レバノンの新聞アルバナーも、地域におけるISISの敗北による影響の別の側面に触れ、次のように記しています。
「デリゾールの包囲網が打破される前に、われわれは、一部のヨーロッパ諸国がシリアに関して立場を変えたのを目撃している。これらの国は、もはやアサド大統領の政権転覆を口にしなくなった。また、シオニスト政権イスラエルの指導者やアナリスト、メディアの中では、アサド大統領が敗北するという希望は消え去り、シリアの軍と同盟国、アサド大統領の勝利を伝えている」アルバナーはまた、次のように記しています。
「また、ロシアのプーチン大統領、イランのザリーフ外務大臣もこれを重要な勝利だとした出来事は、テロリストの支援者に大きな結果をもたらすことになる。プーチン大統領は、デリゾール解放におけるシリア軍の勝利を受けて、アサド大統領に対する祝辞の中で、『デリゾールの包囲網が打破されたことは戦略的に価値ある勝利だ。これは、シリアの完全なテロの掃討作戦において重要な行動だ』と述べた」
シリア軍のテロとの戦いにおける勝利を受けて、フランス、イギリスを初めとするヨーロッパ諸国の政府は、アサド大統領の退陣はシリアの和平プロセスの前提条件ではないとしました。フランスのルドリアン外務大臣は、イラク関係者との会談の中で、フランス政府はもはやシリアの危機を作り出していないとして、次のように語りました。
「フランスはアサド大統領の退陣を必要とする前提条件を設けておらず、これに関して、フランスはシリア人自身の決定を支持する」
また、イギリスのジョンソン外相も、次のような立場をとっています。
「前提条件として、アサド大統領の退陣を語ってきたが、現在、アサド大統領の退陣は政治的な移行プロセスの中で行われるべきだ」
フランスの政府高官は、その少し後に、アサド大統領は和平プロセスの中で不必要な存在だとしていますが、このような彼らの矛盾した見解は、6年間のシリアとイラクにおける政策の失敗を認めていることを示しています。彼らにとって、シリアの状況は想定外でした。西側諸国は、3ヶ月以内でアサド大統領を追い出し、西側やシオニスト政権イスラエルの意に沿った体制を確立し、抵抗の拠点を滅ぼすことができると考えていました。
どのようにしてシリア危機が発生し、欧米諸国の政府がこの危機に関与してきたのかに触れることで、シリアとイラクの、軍と民兵組織の勝利の重要性と、ISISの占領地の連鎖的な解放をよりよく理解することができます。
ISISは2003年のアメリカのイラク侵攻による情勢不安の中で生み出された集団です。アメリカ政府は、ISISを育てることで、イラクからの大規模な軍の撤退の中で、情勢不安をコントロールし、イラクでの目的を遂げようと期待していました。アメリカはこのことが、イラクの情勢を不安定にし、テロ組織がイラクの多くの村や町を占領することで、イラク政府は、窮地に追い込まれ、治安の確保のために、全力で資金をつぎ込まざるを得ず、アメリカの支援に頼ることになると考えたのです。
また、北アフリカにおける連鎖的な人々の蜂起は、アメリカに、イラク占領をきっかけとする大規模な計画を遂行する上での、新たな機会を与えました。
アメリカとヨーロッパのNATO北大西洋条約機構加盟国は、アラブ諸国の専横者に対する中東・北アフリカの革命の波に乗り、この革命を自分たちの利益になるよう導こうとしました。
エジプトでは、ムスリム同胞団から支持されていたモルシ政権が崩壊することで、革命を追求する人々は失敗することになりました。また、リビアでは、カダフィ政権が倒れることで分裂し、テロ組織の戦場となりました。しかし、シリアでは、ほかの危機に見舞われたアラブ諸国とは異なる情況を呈していました。
シリアは、チュニジア、リビア、エジプト以上の戦略的な地位を中東で有しており、このため、地域内外の支援が、大規模な危機が発生する上で最大の影響を及ぼしていました。
ヨーロッパ諸国の政府は、シリアの反体制派を支援し、国外のアサド反対派を組織化することで、3ヶ月以内に合法的なシリアの政権を崩壊させることができると考えていましたが、これは失敗に終わりました。
シリアは、イスラムの抵抗の中心の中にあり、また彼らの支援者であり、イランやレバノンのシーア派組織ヒズボッラーと同じ意志を有していました。一方で、ロシアも、シリアに大きな権益を有しており、ヨーロッパ諸国やその地域の同盟国が危機を作り出すことで、それが危険にさらされました。たとえば、シリア西部のタルトゥースにはロシアの軍事拠点が存在しますが、アサド政権が崩壊すれば、ロシアは中東地域に影響力を及ぼす唯一の拠点を失うことになります。
政治、治安、地理的な一連の状況により、シリア危機における国民、地域、国際的な連帯が生み出されました。このような状況の中で、EUと、その筆頭であるイギリス、フランスはシリア危機において、アサド大統領と対峙し、合法的なアサド政権の崩壊を追求しました。しかし、シリアの反体制派を組織化し、彼らに資金援助や武器支援を行い、シリア政府に厳しい制裁を行使したにもかかわらず、彼らの戦略的な目標の実現は失敗することになりました。
この政策の結果、シリアのテロ組織の勢力が拡大しましたが、これらのテロ組織は西側政府に反目することになり、西側にとっての深刻な脅威となったのです。
ヨーロッパ諸国は、消耗戦と、テロ組織の強化により、シリア、そして地域の大きなレベルでの目的を遂げることができると考えていました。しかし、実際には、シリア危機が消耗戦になることで、ヨーロッパにおけるテロの脅威が高まり、これにより、対ISIS有志連合を結成せざるを得なくなりました。
近年発生しているテロ事件は、テロ組織によって抵抗の中心を脅かしてきた行動が、西側政府自身に跳ね返ってきたものです。このため、彼らは政策を見直すことを余儀なくされました。
これまで、シリアとイラクのテロの脅威に対抗できた唯一の勢力は、シリアとイラクの軍と民兵組織、レバノンのシーア派組織ヒズボッラーなどの抵抗戦線であり、イランはこの抵抗戦線を支援しています。これは、欧米諸国が地域で作り出した危機が終わったということを意味しません。現在、抵抗戦線は、シリアやイラク、レバノンにおける政治、軍事のバランスにおいて優位に立っており、欧米諸国や、その地域の同盟国は、地域の展望や、政治的、軍事的バランスに関して、抵抗勢力の役割を無視することができなくなっています。