3月 14, 2016 23:13 Asia/Tokyo
  • サファヴィー朝の栄華を象徴するチェヘルソトゥーン庭園博物館
    サファヴィー朝の栄華を象徴するチェヘルソトゥーン庭園博物館

今回も前回に引き続き、私・山口雅代がイラン中部にある古き都、イスファハーンの観光名所をご案内してまいります。

サファヴィー朝の栄華を象徴するチェヘルソトゥーン庭園博物館

前回は、サファヴィー朝の全盛時代を象徴し、ユネスコ世界遺産にも登録されているナクシェ・ジャハーン広場と、ここにあるいくつかの見所をご案内いたしました。今回はまず、この広場から出て、チェヘル・ソトゥーン庭園博物館に皆様をご案内したいと思います。この宮殿は、1657年にサファヴィー朝のアッバース2世により、迎賓館として建設されました。チェヘルソトゥーンとは、ペルシャ語で40本の柱を意味しますが、これは宮殿にある20本の柱がこれに面した大きな池に写ることで40本に見えることによるものです。本命の宮殿に足を運んでみますと、入り口付近の広いスペースに3本ずつ6列の柱が屋根を支え、そして正面に2本の合計20本の柱が立っています。驚いたことに、壁も柱もすべて木造建築であり、それぞれの柱の根元には4匹の空想上の動物のようなものが取り巻いています。アーチ型の入り口から中に入ると、かつては謁見の間として使われていた広いスペースは博物館となっており、当時の王朝時代に使われていた王侯貴族たちの品物などが展示されていました。さらに驚いたのは、ここにある色鮮やかな壁画です。6枚ある壁画は、戦いや酒宴の様子が描かれており、描かれている人物のうち男性たちはほとんど頭にターバンを巻き、女性たちも華やかな服装で描かれていました。このようなところからも、栄華を極めたサファヴィー朝時代の雰囲気が感じられました。

イスファハーン市のご出身で、現在もイスファハーン市内に在住されているザハラー・アーベディーニーさんは、次のように語っています。

イスファハーンの一番の大きな魅力はどんなところにあると言えるでしょうか?

―イスファハーンを一言で言い表すなら、スカイブルーのドームのある町だと言えると思います。これはすなわち、精神的、神秘主義的により崇高なレベルを目指す、最終的には精神的な安らぎが得られる、そうした精神性あふれる町だと考えてよいと思います。こうした雰囲気は、やはり実際にご自分でイスファハーンに足を運んでいただいて、体感していただくのが一番でしょう。また、イスファハーンの歴史を大きく変えたのは、この町を流れるザーヤンデルード川の存在と言えます。ゆったりと流れるこの河川は、イスファハーンをご訪問された皆様に、安らぎを与えてくれるもう1つの要素ではないかと思います。この一大河川には、スィーオセポル橋など、歴史ある橋がいくつもかかっており、これらの橋を渡りながら、清らかな水をたたえて悠然と流れるザーヤンデルード川を眺めると、そのせせらぎの音により心の安らぎが感じられると同時に、希望までをも与えてくれるような気がします。心の安らぎと精神性を与えてくれる町、それがイスファハーンの最大の魅力ではないかと思います。

イスファハーンには、歴史的な見所がたくさんありますが、日本人の皆様に特にお勧めしたい見所はどこでしょうか?

―一番お勧めしたいのは、まずナクシェジャハーン広場です。ここには、イランの旧跡が大集合しており、この町の芸術と文化を代表していることからも、決して見逃せないスポットです。それから、年代の古いモスク、特に金曜モスクがお勧めです。このモスクはレンガ造りによる世界最古のモスクであり、先ほどお話したような精神性や、日ごろのざわついた環境を離れて厳粛な雰囲気を味わっていただくのに適していると思います。

最後に、日本人の皆様に一言メッセージをお願いします。


―イランにお越しになった際には、1日でも結構ですから時間を割いて是非イスファハーンに足を運んでみてください。ご自分でその素晴らしさを体感していただければ、イスファハーンはすっかり皆様のお気に入りの町となり、1ヶ月滞在されても飽きないかもしれません。皆様のご訪問を心よりお待ちしております。

今でも謎に包まれた、「揺れるミナレット」

さて、イスファハーンには他にも見逃せない観光スポットがあります。それは、市内から西に6キロほど離れた地区にある、「揺れるミナレット」として有名なモスクです。ミナレットの一方を揺らすともう一方のミナレットが揺れるというこの建造物は、今から800年ほど前に建設されました。全体としての景観は、看板がなければ思わず見過ごしてしまいそうな、ごく普通のモスクでした。ミナレットそのものの高さは7メートル、地上からの高さはおよそ17メートルあり、ベージュ色の下地に紺とスカイブルーのタイルで幾何学的な模様が施されています。ここでは、ある決まった時間にミナレットを揺らすことになっているとのこと。ほかの見学客とともに待つこと30分。やっと係員の男性がやって来て、建物の左側の入り口から中に入っていきました。そして屋上に出て、向かって左側にあるミナレットに近づき、見物客の視線が注目する中、ミナレットに両手をかけて渾身の力をこめ、ミナレットを揺らしはじめました。すると、面白いことに、右側にあるもう一方のミナレットが、共鳴するようにわずかながら小刻みに揺れているのが確認できました。なぜこのような現象が起こるのかは、今なお学問的に解明されていないということです。

 

ザーヤンデルード川にかかるイランの33間橋スィ―オセ・ポル

イスファハーンを語る上で欠かせないもう1つの要素は、この町を南北に横断し、全長400キロにわたって流れるザーヤンデルード川と、この川にかかっているいくつかの歴史ある橋の存在です。その中でも特に有名なのが、33間橋と呼ばれるスィーオセ・ポルです。この橋は、サファヴィー朝のアッバース1世の都市計画に基づき、1602年に完成しました。全長300メートル、幅14メートルに及ぶこの橋は、全部で33のアーチがあることから、ペルシャ語で33を意味するこの名前がつけられています。車は通行禁止となっているため、さわやかな日差しのもと、さながら歩行者天国のように沢山の人々が往来しています。さらに、この橋の東へ2キロほどの地点にある、ハージュー橋にも足を運んでみました。1666年に完成したこの橋は、全長133メートルにおよび、2段構造になっているのが特徴です。下の段は、かつては水門の役割を果たし、また水際まで降りることができる階段があります。ここ数年で、ザーヤンデルード川は水量が著しく減少したということですが、それでも泰然自若と流れるこの大河がかもし出す景観はとても感慨深いものでした。さわやかなそよ風に吹かれながら、ザーヤンデルードの川べりをそぞろ歩きすることも、イスファハーン訪問の楽しみの1つといえるでしょう。

イランの中のアルメニア人社会・ジョルファー地区とヴァーンク教会

さて、先ほどの33間橋を渡り、橋の向こうの南側にある大通りを通ってある住宅街に入った途端、ついさっきまでたくさん見られた、黒くて長いチャードルを被った人々をぱったり見かけなくなりました。しかも、普段あまり聞き慣れない言葉が耳に入ってきます。さらに、商店などの看板に何やら見慣れない文字が書かれています。それもそのはず、ここはジョルファー地区と呼ばれ、キリスト教徒のアルメニア系住民が住んでおり、ここで使われている言葉はアルメニア語です。ジョルファーというのは、イラン北西部、アゼルバイジャン共和国との国境にある町ジョルファーに由来します。この地区での見所は、やはりイラン国内に在住するアルメニア正教徒にとっての宗教的、精神的なより所であるキリスト教会、ヴァーンク教会だといえるでしょう。この教会は、1605年に設置されました。さて、いざ到着してみると、相当に人気のあるスポットのようで、大勢の人々が出入りしています。建物の玄関口にはやはり、アルメニア語で文字が刻まれており、ここからはアルメニアの世界なのだということを実感しました。何が待ち受けているのかと少々緊張しながら、中に入ってみました。

この教会の敷地内には、一見すると普通のモスクのようなドームもありますが、キリスト教会というだけあって、十字架のついた鐘楼のある塔も設けられています。敷地内に足を踏み入れてみると、やはり、敷地内の案内表示も、ペルシャ語とアルメニア語という2つの言語で表記されています。しかし、この教会の最大の見所の1つは、そのすぐそばにある、イスラム風のドームのついたメインビルにある礼拝堂ではないでしょうか。入り口から通路を抜けてその礼拝堂に入ると、イスラム風のアーチをかたどった内壁全体に、見事な宗教画が描かれています。真っ先に目についたのは、天国へ上る人々と地獄へ落ちる人々を描いた、「最後の審判」の油絵でした。このほかにも、聖書に出てくる物語が内壁いっぱいに描かれており、見学者は独特の厳粛なムードの中で、この見事な宗教絵画に見入っていました。ここでは、イスラム教の建築様式とキリスト教の文化の見事な融合を感じることができました。

礼拝堂を出ると、広い中庭をはさんで博物館が設けられています。この博物館には、イランにおけるアルメニア人とアルメニア正教の歴史、アルメニア人虐殺に関する品々や書籍、聖書などが収蔵されています。ここで特に見学者の注目を集めていたのは、世界一小さなサイズの聖書と、アルメニア文字で聖書の一節が刻まれた毛髪でした。

博物館を出て、この教会の敷地の出口に向かおうとしたところで、その一角にアルメニア人の大虐殺を記念する石造りのモニュメントがありました。1915年に発生したこの出来事では、150万人ものアルメニア人が犠牲になったとのこと。博物館内に展示されていたこの事件に関連する資料や遺物とともに、あらゆる民族、言語、宗教の人々が平和共存することの大切さを切実に訴えかけているように感じられました。

これまでご紹介した見所のほかにも、イスファハーンにはまだまだ数多くの観光スポットがあります。今回は時間の都合で割愛せざるを得ませんでしたが、それでもまさに世界の半分としてのイスファハーンの醍醐味を味わうことができました。日本では、「日光を見ずして結構と言うなかれ」と言われますが、それと同様に、イスファハーンを見ずしてイラン旅行は完結しないと言ってもよいのではないでしょうか。