1月 12, 2018 00:01 Asia/Tokyo

芝田 さて、福本さん、新しい年に入ってもう半月ほどが過ぎました。イランはこの時期がお正月ではないので、ほとんど雰囲気が感じられなくて残念ですよね。

福本

そうなんですよね。ただ、私が習い事をしているお教室の先生、この方は日本人ですけれど、毎年きちんと注連飾りやお鏡餅を飾られて、年始のお稽古のときに迎えて下さるので、かろうじてお正月の雰囲気を味わわせていただいています。芝田さんは年末年始は日本に一時帰国していらっしゃいましたよね。

芝田

そうなんです。おかげさまで、お正月は日本で迎えることができました。年末に友達と銚子から九十九里を通って勝浦まで旅行したのですが、九十九里のビーチでは、本当に美しい朝日を見ることができました。初日の出ではなかったのですが、その朝日に誓った今年の抱負、これまでのところは少しずつですが、何とか実践できています。

福本

素晴らしい年明けを迎えられたんですね。ぜひ今年の抱負、聞かせてください。

芝田

早寝早起きと、やるべきことを後回しにしないこと、と決めたのですが、早寝早起きは時差の関係もあるのか、日本から帰った後は、自然に夜の9時から10時になると眠くなり、朝の4時ごろに目が覚めます。それでも6時ごろまで寝るのですが、11時ごろに寝て6時に起きる、この今のサイクルを何とか維持したいと思っています。

 

●リスナーより

「イランは電力消費量が世界水準の3倍とのこと。寒暖の差が激しい土地柄ゆえかもしれませんね。地理的要所にあり、電力中継ハブや輸出も考えるということなのかもしれません。貴国では、一般家庭用の電気は何ボルトで何ヘルツなのでしょうか?各国なぜか異なるようですね」

 

●ラジオより

芝田

お便りありがとうございます。イランの電気は日本とは異なりますよね。

福本

220ボルトです。そして、プラグの形も日本のものと違って丸ピンですよね。

芝田

そうですよね。私も先日、ちょうど電圧変換機を日本から持ってきたばかりです。ちょっと不便ですよね。

福本

我が家でも電気炊飯ジャーと私のパソコンは変圧器を使っての利用です。

芝田

ところで、電気といえば、先月テヘランで地震があったとき、うちは地震と同時に停電になりました。しばらくの間、電気が使えなくて、携帯電話の充電も少なくなっていたので、何があったのか、情報もなかなか得られないし、うかつに携帯電話を使って大事なときに連絡が取れなくなったりしたら困るのでそれも使えないしで、少し不安な思いをしました。

福本

地震があったのは夜の11時過ぎでしたっけ?非常灯のたぐいを常備しているお宅も多いようですが、それでも夜の停電は心細いですよね。地震と停電と言えば、私も最近友人たちとその話をしたばかりです。私の周りでも今回の地震を機に、非常袋を準備したという方、結構いらっしゃいますよ。

芝田

私も準備しました。今回の地震を機に、ラジオの必要性も強く感じました。

 

●リスナーより

「30年前にイランを旅行しました。イランの人が大変親切だったのを覚えています。機会があれば、また行ってみたいです」

●ラジオより

芝田

福本さん、30年前にイランを旅行したことのあるリスナーからお便りが届きましたね。

30年前と言えば、イランイラク戦争の末期、でしょうか。

福本

もしかしたら、戦争が終わってからかもしれませんね。夫の話では、戦争末期はテヘランにもミサイルが飛来していたらしいですから。うえはらさん、イランのどちらを回られたんでしょうね。

芝田

いろいろ聞いてみたいことがありますね。ところで、福本さんがイランを初めて訪れたのは、いつ頃のことですか?

福本

はい、1999年の3月1日でした。この日付だけは忘れません(笑)。

芝田

大きな日ですものね。1999年、今から20 年近く前になりますが、その頃と今を比べて、大きく変わったところはどんなところでしょうか?

福本

なにしろ、20年ほど前のことですから。空港も今のイマームホメイニー国際空港ではなかったですしね。あの時は真夜中に到着したのですが、空港も薄暗くてやたらと殺風景でした。テヘランに限って言えば、街並みも人々のファッションも大きく変わりました。街なかを走る車も当時は古い型の国産車が多くて、バイクの4人乗りとか。まだ、イランイラク戦争が終わって10年余りですからね。今はテヘランのシンボルとなっている世界で7番目に高いといわれる電波塔のミーラードタワーもありませんでした。その当時からテヘランは建築ラッシュでしたが、アルボルズの山並みを背景にして、高層ビルがどんどん建てられています。立体交差の幹線道路も随分と増えて、加えて当時はなかった地下鉄が随分と路線を増やしていますよね。

芝田

言われてみると、確かに町並みは大きく変わりましたよね。きっと当時の写真と比べてみると、ずいぶん道路や建物が増えていることでしょうね。建物や道路だけではなく、商品の数も増えましたよね。大型のショッピングセンターがどんどんできて、いろいろな商品が手に入るようになり、昔は日本でしか買えなかったものも、イランでもそろえることができるようになっています。では、逆に変わっていないところは、どんなところですか?

福本

たくさんありますよ。緑と公園の多い街並み。イラン人の親日的なところ、情に厚いところ、旅行者に親切なところ、小さな子供を見るとあやさずにはいられない子ども好きなところ、それからイマームホサインの殉教日に代表されるアーシュラーなどの宗教行事が国を挙げて開催されるところなどでしょうか。

芝田

お便りにも、イランの人が大変親切だったのを覚えています、とありました。イラン人はその頃からずっと親切な人たちなんですね。うえはらさんには、次回以降のお便りで、その時の旅行について詳しく教えていただけたらなと思います。

 

●リスナーより

「イランの天気について解説がありました。イランでも冬は雪が降ると聞いてびっくりしました。イランは暑い国だとばかり思っていので本当にびっくりしました」

 

●ラジオより

芝田

お便りありがとうございます。こういう声は多いですよね。

福本

ヤシの木や砂漠を行くラクダ、キャラバンの鈴の音といったところでしょうか。どうしても西アジアという位置ですとか、ペルシャという言葉の語感からの想像なのでしょうね。

芝田

ペルシャとイランが結びつかない、という人も多いかもしれません。私もイランのことを知らなかった頃は、砂漠の国なんだろうと思っていました。でもテヘランでは四季があるし、つい先日、雪が降ったばかりですよね。

福本

このIRIBの敷地内も建物やたくさんの木々が雪化粧してとてもきれいでしたね。

芝田

はい、本当にきれいで写真に残しておきたいくらいでした。私が2度目にイランを旅行したときにも雪が降って、イラン人の友人に北部の山に連れていかれて雪合戦をしたのですが、この雪合戦が大人から子供まで容赦のない結構本気の戦いで、雪が降ることとともに、それについてもびっくりしたのを覚えています。

 

●リスナーより

「イランでは、キャデラック、クライスラーといったアメリカの高級車を所有することはありますか、教えてください」

 

●ラジオより

芝田

昔はアメリカの車を見かけたことがありましたが、最近ではなくなりましたよね。

福本

それも古―い、よく走ってるわねっていうくらいのキャデラックとかでしたよね。イランは道が広いので、昔はアメリカの車を好む人が多かったと聞いたことはありますけれど。今は事情も変わって高級車はヨーロッパの車ですよね。ポルシェがテヘランの渋滞の中をのろのろ走っていて、まぁもったいないと思ったことがあります。

芝田

確かに。最近は、ベンツやBMWもよく見かけますし、日本のトヨタの車が以前に比べて増えました。

福本

他にも、中国製、韓国製の車が多く走っていますよね。そして、イラン製の車の数も、もちろん多いです。

芝田

日本から来た私の友人が、イランは白い車が多いね、と言っていました。白い車は黒い車に比べて埃が目立たないからなのかな、と勝手に解釈しています。イラン製の車は色のバリエーションが少ないように感じています。そのせいもあるのかもしれません。それにしても、テヘランは車の数が増えました。

福本

出勤に自家用車を使う人が多いですし、これでは毎日の渋滞がなかなか緩和されませんね。