2月 21, 2018 15:14 Asia/Tokyo
  • イランにおける知識生産活動
    イランにおける知識生産活動

この時間は、これまでの番組の内容を総括することにいたしましょう。     

前回の番組では、医学、衛生、治療、健康に関するイランの科学的な発展についてお話ししました。また、イランは医学の分野に物質的、精神的な投資を行うことで、地域の健康・衛星技術の中心になっていること、多くの医学分野において、世界に追いついていることをお話ししました。

 

この分野におけるイランの科学的な発展は、過去40年の間、イランが最も厳しい政治的、経済的な圧力を受け、アメリカ率いる覇権主義体制が、イランの発展を妨げようとしていた中で実現されたものです。

 

また、世界の研究業績データベースの報告により、2016年、イラン人学者は医学分野で4700本の論文を発表し、中東と北アフリカで1位、世界では16位となりました。この時間と次回のこの番組の中で、イランにおける知的生産活動を総体的に振り返っていくことにしましょう。

イランにおける知識生産活動

 

イランにおける知的生産活動の総括では、これまで、大まかに分けて次の4つのテーマでお話を進めてきました。

 

一つ目は、有益な知識に基づき、イスラム教の知識や科学に対するアプローチを調査し、イスラムの偉人たちの知識の習得に関する見方をご紹介しました。

 

二つ目は、イスラム初期のイスラム・イラン文明の形成に科学が及ぼした影響を調査し、ファーラービー、イブン・スィーナー、アブーレイハーン・ビールーニー、ジャーベル・イブン・ハイヤーン、ハーラズミーといった学者が、イスラム文明の繁栄に及ぼした影響について分析しました。

 

三つ目は、現代に入り、イスラム革命の主張を中心に、イランのイスラム体制やイスラムの思想における知識や科学の地位について、イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師の見解をご紹介し、革命の前と後の科学や知識の生産状況を比較しました。

 

四つ目は、世界の研究業績データベースの報告をもとに、世界の知的生産活動におけるイラン人学者の役割についてみていきました。その中で、イランは基礎科学、医学、生物学、ナノテクノロジー、航空宇宙科学、不妊治療といった分野で大きな発展を遂げていることをお話しました。

 

イランは1979年のイスラム革命勝利後、特にこの20年の間に、覇権主義体制の厳しい制裁にもかかわらず、多くの科学技術分野において目覚しい発展を遂げてきました。たとえば、イランの大学生の数は、革命前には10万人だったのが、近年は400万人以上に増加しています。

イランにおける知識生産活動

 

世界の研究業績データベースの報告によれば、イランはこの20年、世界の知的生産活動の先駆者でした。トムソンロイターのサイエンス・サイエンテーション・インデックスによれば、2016年のイランの知的生産活動は、前の年に比べて増加したということです。この報告によれば、2016年、イラン人研究者の論文の数は、世界全体の6.1%を占め、世界の知識生産活動におけるイランのシェアは、過去16年で18倍に増加しました。また、世界の引用文献データベース・スコーパスは、2014年の世界20カ国の科学的な成長について発表し、その中で、イランは科学的な成長速度で世界3位となっています。

 

学術分野におけるイランの目覚しい発展が実現されたのは、イスラムの教えとイランの豊かな文化に基づき、イスラム革命の主張において、知識と学者が高い地位を有していることによります。コーランには、知識と学者が、イスラムにおいて特別な地位を有していることを示す多くの節が存在します。たとえば、そうした節の一つで、神は、知識を持つ人々に対し、大きな地位を約束しています。

 

コーランの節だけではありません。イスラムの預言者ムハンマドの言葉や行動においても、知識や学者は高い地位を有しています。預言者ムハンマドは、学者は預言者と等しい地位にあるとし、次のように語っています。

「誰でも、知識を習得し、神の満足のためにそれを人々に教える人に、神は70人分の預言者の報奨を与える」

コーラン

 

知識や学者の重要性に関する預言者ムハンマドの言い伝えや発言だけではなく、彼の行動もまた、彼が学者や知識、その持ち主を高い地位の持ち主と見なしていたことを示しています。たとえば、預言者ムハンマドは、バドルの戦いの捕虜たちに対し、釈放の条件としてイスラム教徒に読み書きを教えることを定め、イスラム初期から、人々のために教育の場を設けていました。

 

イスラムの知識に対する考え方を説明する中で、この番組で注目された重要な点は、イスラムの教えにおいて、知識や科学は、信仰や神を知るための階段であり、暗闇から解放されるための光である一方で、逸脱や迷いの手段にもなりうるということです。言い換えれば、知識や学問は、個人や社会の幸福に貢献することもできれば、その堕落や腐敗の原因にもなりえます。

 

イスラムは、真の知識、個人や社会の現世と来世の幸福に貢献する知識とは、神に近づくことを目的とした、社会のニーズを満たすための有益な知識だとされています。この議論の中で、イランのコーラン解釈者、モタッハリー師の見解を参照し、有益な知識とは、イスラム社会における現代的な知識と宗教的な知識の矛盾を解消するものであり、この中では、社会の現世と来世のニーズを満たすために必要な知識のすべては、有益なものと見なされます。

 

有益な知識は、人類社会とイスラム社会、人々のニーズを学者が満たすこと、知識と学者の結びつきを強調しています。第一に、知識がその持ち主にとって有益なものになるのは、学者が信仰を持ち、知識を神のために習得するときです。シーア派6代目イマーム、サーデグは次のように語っています。「誰でも神のために知識を習得し、それを実践し、それを他人にも教える人は、天界において偉大な人物と称され、神のために学び、神のために行動し、神のために教えたと言われる」

 

イスラム教徒は、イスラム暦2世紀から5世紀、西暦8世紀から11世紀にかけて、学術的に大きな発展を遂げ、あらゆる学問の分野で活躍しました。この時期のイスラム教徒の思想的な発展の基盤のひとつとなったのは、哲学や学術に関する偉大な著作がアラビア語に翻訳されたことでした。

 

さまざまな言語の学問のアラビア語への翻訳は、8世紀から9世紀に多くの学術機関で盛んに行われ、10世紀から11世紀の前半まで続けられました。この150年間、ソクラテス、アリストテレス、プトレマイオス、ガレノスといった偉大な哲学者の著作がアラビア語に翻訳され、アラビア語は数世紀の間、世界の学術言語として最も重要な地位を有していました。

 

こうした流れにより、10世紀から11世紀にかけて、イスラム文明が繁栄しました。この時期、偉大なイスラム法学者が現れました。この期間は、2つの理由により、イスラム文明の黄金期と呼ばれています。一つ目は、この時期にイスラム諸国が、富と文化の点でも栄誉の頂点に立ったこと、二つ目は、多くのイスラム学がこの時期に広まり、多くの学問がアラビア語に翻訳されたことです。

 

この議論に続き、イスラム文明と学問の繁栄、そしてその後の衰退の原因についても見ていきました。初期のイスラム政府やイスラム教徒の間に偏った考え方がなく、柔軟な精神が広がっていたこと、イスラム教徒の間に独創性や好奇心が広まっていたこと、同じ信条による連帯と統一が見られていたこと、そして他者の見解を無条件に受け入れるのではなく、論理や理性が注目されていたことが、イスラム文明の繁栄の要素となりました。反対に、十字軍戦争とモンゴル族の襲撃の2つが、イスラム文明の衰退に大きな影響を与えました。

 

また、イラン・イスラム文明と西洋文明の違いについてもお話しました。この2つの文明は互いに影響を及ぼしあいながらも、イスラム文明は多くの点で西洋文明とは異なっています。