アンクルトムの小屋2
この時間は、1927年にポラード監督によって製作された「アンクルトムの小屋」の2つの場面について分析し、ハリウッドの黒人に対する捉え方についてさらに詳しくお話ししましょう。
前回お話ししたように、シェルビー農場の主人は、借金の返済のためにトムをハリスという主人に売ってしまいます。ハリスはトムを家族と引き離し、彼を船に乗せて自分の農場に連れて行こうとします。しかし、トムは船の中で、セントクレアという人物の娘、エヴァンジェリンと知り合い、こうしてセントクレアはハリスからトムを買い取ります。
エヴァンジェリンとセントクレアの死後、エヴァンジェリンの母親は、トムを奴隷市場に売り出し、レグリーという悪辣な奴隷主に売り払います。レグリーは、トムを遠隔地の農場へと連れていきます。そこには、レグリーに従順な黒人の2人の奴隷と、キャシーという黒人の女性奴隷がいました。
奴隷主のレグリーは、トムとともに、エライザという若い女性のことも買い取りました。前回お話ししたように、エライザもトムと同じようにシェルビーの農場の奴隷で、息子と一緒に逃げようとしていました。しかし、息子は誘拐されてしまいます。エライザは奴隷市場に連れていかれ、レグリーに買われました。
エライザの夫のジョージは、息子が売られた主人の家を見つけ、密に息子を逃がします。しかしエライザは、悪辣なレグリーの手に落ちました。ここからは、アンクルトムの小屋の2つの場面についてお話ししましょう。
アンクルトムの小屋の86分から始まるシーンでは、奴隷主のレグリーが、キャシーに自分の時間を邪魔されたと言って、彼女に嫌がらせをします。
それから、レグリーの2人の黒人奴隷が、トムを無理やり、この部屋の扉のそばに連れていき、扉をたたきます。主人のレグリーが入るように言います。2人の黒人奴隷は、トムの背中を押して部屋の中に入らせ、レグリーにこう説明します。「この黒人が懇願しています」 そして、レグリーの指示により、トムをレグリーの足元に座らせます。
主人のレグリーは、上半身が映るミディアムショットで、トムの襟首をつかみます。それから、険しい表情のレグリーの顔がクローズアップされます。そこから画面が変わり、おとなしい表情のトムが現れます。
白人の主人のレグリーの目には、悪辣さが波打っています。そこに鞭が持ち込まれ、トムにキャシーを打つことが命じられます。キャシーは嫌悪と怒りに満ちたまなざしをレグリーに向けます。トムは、自分にはキャシーを鞭で打つことはできないと抗います。するとレグリーのこぶしがトムの顔に沈みます。トムは地面に倒れます。
レグリーはこう言います。「お前のために1万2000ドルも払ったのだ。お前の心と体を買ったのだ」 トムは、天を指さしながら、こう答えます。「私の体はあなたのものかもしれません。でも、心は神のものです」 レグリーはトムを殴りながら、部屋の外に連れ出し、2人の黒人奴隷に、彼を思う存分、殴るように指示します。
アンクルトムの小屋のこのシーンは、アメリカの不平等な奴隷制度では、主人が黒人奴隷を完全に支配していたことを示しています。主人は、奴隷を買うために金を払う代わりに、彼らを絶対的に服従させることができ、彼らを自分の財産の一部と考えていました。
2人の黒人奴隷も、レグリーに協力してトムを苦しめます。これは、多くの黒人が、白人の支配的な思想や精神によって、人間性や誇りを失い、自分の仲間のことを助けようとしてはいなかったことを示しています。主人のレグリーに苦しめられても、人間性や誇りを失っていなかったトムのような人物はまれだったと言えるでしょう。
97分から始まるシーンでは、エライザとキャシーが、レグリーの手を逃れ、トムに助けを求めています。2人は、トムの助けを借りて、地下から屋根裏に向かいます。そこは主人のレグリーが訪れることのない場所です。なぜならレグリーは、自分が殺した人々の魂がそこに残っていると考えていたからです。
トムは、いくらレグリーに迫られても、エライザとキャシーをかくまっている場所を明かそうとしません。そのため、レグリーとその手下の2人の黒人たちはトムに暴行を加え、こうしてトムは亡くなってしまいます。トムの魂がレグリーを苦しめます。レグリーは、トムの魂に悩まされ、窓から身を投げて死んでしまいます。
映画のラストでは、トムの最初の主人の息子のジョージ・シェルビーが、ジョージハリスとその息子のハリーとともに、トムを買い戻すため、レグリーを探しています。しかし、間もなく彼らは、トムの苦しみに満ちた人生が終わったことを知ります。しかし、エライザは、夫のジョージハリスと息子のハリーとの再会を果たします。
ここまで見てきたように、アンクルトムの小屋という映画では、黒人が、経済的、社会的に低い立場にあり、白人の主人に依存した生活状況であったことが分かります。多くの黒人は、映画の中でマイナスのイメージのある役を演じています。とはいえ、トムのように、賢くて誇りのある優しい黒人も登場します。
アンクルトムの小屋とバース・オブ・ネイションを比較するとき、バースオブネイションに見られた白人至上主義から、それが緩和される方向に向かっていることが分かります。アンクルトムの小屋では、白人と黒人の対立が、それほど明らかではありません。
アンクルトムの小屋は、一部の例外的なシーンを除いて、黒人を非文明的であるようには見せていません。それに比べ、バース・オブ・ネイションでは、完全に白人が優位であるように示されていました。
バース・オブ・ネイションは、白人と黒人の関係の説明に関しては、完全に現実からはかけ離れていましたが、アンクルトムの小屋では、この関係が、ある程度、歴史的、社会的な現実に基づいたものでした。例えば、歴史でも言われているように、白人が黒人を鞭で打つ行為は、白人の黒人に対する圧制のひとつです。バース・オブ・ネイションでは、そのことは触れられていませんでしたが、アンクルトムの小屋では、そのようなシーンが出てきます。
現実主義への傾向はみられるものの、それでもなお、黒人に対する侮辱的なアプローチは見られます。黒人は単純な人々であるように示され、農場などの都市から離れた環境におり、歌を歌うなどの、社会的な慣習に反した行動をとる人々として描かれています。
概して、黒人の運命や生活は、白人の手に握られています。トムの家族も、主人の借金の返済を理由に、離れ離れになってしまいます。白人の主人は、黒人の精神までも支配しようとしますが、黒人の英雄の反発に遭います。トムは、主人のレグリーが、自分の人間性や誇りを踏みにじるのを許しません。しかし、白人の主人は、自分の手下の黒人の助けを借りて、トムに激しい暴行を加え、こうしてトムを殺してしまいます。