3月 10, 2018 18:02 Asia/Tokyo
  • 子供らの喜び
    子供らの喜び

今回は、喜びが魂の健康に果たす役割についてお話することにいたしましょう。

前回の番組では、人間は体と心の2つの側面でさまざまな能力を有していることについてお話しました。これらの能力がバランスよく発達すると、その人は本当の意味での幸せを手にし、人間としての完成度を高めることになります。

 

人間の健康に大きな影響を及ぼす要素の1つに、喜びがあります。喜びは、人間が感じる精神や意識の状態の1つです。

医学の専門家の見解では、人間は美しい言葉をかけられたり、敬意にあふれた行動を示されたりしたとき、神経システムが自動的に活発化し、心拍数が速まり、アドレナリンという物質が血液中で多く分泌されるようになります。この状態では、もやもやした感情や苦痛、頭痛やきりのない空想、不安や倦怠感といった多くの不快な状況が解消されます。

 

 

 喜びは、魂の健康の1つであり、人間によりよい生活を目指して生きるための動機付けを与えます。うつ状態とは逆に、喜びは、人間の社会的な交流や認識にプラスの効果をもたらし、創造力を増し、寿命を延ばします。

 

神は、コーラン第10章、ユーヌス章、「ヨナ」第58節で、信仰を持つ人々の喜びの種類や生き方を明らかにし、神の預言者に向かって次のように語りかけています。

“言え、『神の恩恵と慈悲により、喜びに浸るがよい。それは、あなた方が自分のために蓄える財産よりも優れ、有益なものである』と

この節は、他のいくつかの節と共に、コーランが、聖なる目的や価値に基づいた喜びに注目していることを示すものです。信心深い人々は、洞察力や物事を見抜く力に優れ、神が僕たちに降り注いでいる慈悲や恩恵に注目し、内面的な喜びを感じています。

魂の健康に恵まれている人は、内面的な喜びをより多く感じ、そうでない人よりも平均寿命がはるかに長くなっています。実際、心の中に信仰心が芽生える事は、全ての不安やうつ状態が静まる事を意味しています。それは、強い信念と信仰心を持つ人は、物事の捉え方や行動が神へと向かうものだからです。

喜びの表現は、大きな声で笑うことに限られません。神の満足を得るためのものである場合もあります。そのような人は、寛大で高い適応能力をもち、優しさを備えています。また、神の満足を得るために、他の敬虔な人たちを喜ばせようとします。その人の魂の健康は、その人の確信から生まれたものです。さらに、その確信は、神への服従からくるものであり、このような考え方によって、安心感、希望、信頼、喜びといった精神的に最も重要なニーズが満たされることになるのです。

 

 

イスラムは、健康を重視し、価値あるものと見なしています。このため、イスラムの伝統や法規範においては、健康に関する教示が数多く存在してます。イスラムでは、ほかのイスラム教徒たちを喜ばせることが非常に重視されており、他人に微笑みかけるだけでも報償が得られると言われています。

心理学者の研究によれば、口元をほころばせ、微笑む人は、寿命が延び、健康になるとされています。

偉大なる預言者は、信者たちに対し、「あなた方の微笑みは、あなた方の兄弟にとっての寄付に等しい、として微笑みを奨励していました。預言者は、ほかには例をみないほどの親密さや潔さ、人々への慈しみにより神から賞賛され、またイスラム教徒の気質の1つは喜びにあふれ、冗談が好きであることだとしています。

言うまでもなく、物事が順調に進んでいる際に喜びを感じるのは自然なことですが、逆境や危機的な状態でも自分に負けないことが大切です。これについて、イマームの一人は、「信心深い人とは、喜びが表情に表し、悲しみが内面に秘める人だ」と語っています。

 

イスラムでは喜びや悲しみにおいて極端に走ることは、一種の精神病のしるしとされ、この2つの要素のバランスが取れている状態が、魂の健康を示すものとされています。イスラムでは、泣くことと笑うことを対極にあるものとは見なしておらず、また、どちらかを優れたものとも見なしていません。泣くことも笑うことも、どちらも生きていく上での事実として受け入れています。

とはいえ、普通の状態では、人間の生活は悲しみや涙ではなく、喜びに溢れている方が好ましいものですが、宗教の慣習においては、祈祷の際に涙する事も奨励されています。それは、祈祷の目的がある種の安らぎや喜び、表面的でない心の奥深くにおける喜びを得ることにあるからです。

次回もどうぞ、お楽しみに。

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