ことわざ:「ハーンでもわかるほど塩辛い」
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「ハーンでもわかるほど塩辛い」
それほど遠くない昔、それぞれの村には村長がいて、その人は「ハーン」という称号で呼ばれていました。
村の人々は、毎年、丹精して育て、苦労して収穫した小麦や大麦、野菜や果物の中から、その何割かをハーンに差し出さなければなりませんでした。ハーンは村の絶対的な権力者でしたから、思いのままに振舞うことができました。ハーンには何名もの家来がいて、この家来たちは、ハーンに命じられるままに、村の人々に対して無理難題を言いつけては、横暴に振舞っていたのです。
それぞれの村の状況はどこも似たようなものでした。これはそうしたある村でのお話です。その村のハーンは、村の人々からゴリーハーンと呼ばれていました。ゴリーハーンは、広い立派なお屋敷で家来と召使に囲まれて暮らしていました。ゴリーハーンも他のハーンと同様、ハーンとは名前ばかりで、村人のためにたいした仕事もせず、怠惰で気ままな生活を送っていたのです。彼は、ただ食べては眠るといったことを繰り返していました。
ゴリーハーンの家にはお抱えの料理人がいました。この料理人は毎日、朝、昼、晩、ゴリーハーンのために厨房に立って料理を作っていました。ゴリーハーンの料理人は、腕前は決して悪くはありませんでしたが、ハーンの行動、とりわけ彼の怠惰で傍若無人な振る舞いには大いに不満を抱いていました。そうなると料理を作るにも力の入るはずはありません。ゴリーハーンの料理人が作る食事は、味もおそまつ、匂いも食欲をそそらず、おまけに栄養もありませんでした。ある日は味付けが濃く、ある日はやたらと水っぽく、ある日はあごが疲れるほど固い、といった調子でした。
ゴリーハーンの側近たちも、そのような食事を口にしたくはありませんでしたが、仕方がありません。なぜならゴリーハーンは、料理人が作るお世辞にもおいしいとは言えない料理にも文句を言うことがなかったからです。
ゴリーハーンは、ハーンという自分の地位にあぐらをかき、怠け者で、傲岸不遜な上に
趣味の悪い人間でした。そして、料理に関してはどんな食事が出されるかは重要ではなく、何でも食卓に並べられたものは口に入れ、「うむ、おいしい」と言い、指までなめている始末でした。
ゴリーハーンの側近たちは、ことあるごとに料理人に向かって注意しました。しかし、料理人は彼らの言うことに頑として耳を傾けようとはしませんでした。側近たちは何度も、その食事のまずさについて料理人に意見してほしいと、ハーンに訴えようとしましたが、誰一人、それを切り出す勇気はありませんでした。なぜなら、現状に満足しているハーンに訴えたところで、理解してもらえるどころか、逆に気分を害したゴリーハーンに屋敷を追い出されかねなかったからです。側近たちは、食事を除けば待遇の良い今の仕事を失うのを何よりも恐れていました。
その日も料理人は、いつものようにやる気のかけらも見せずに厨房に立ち、料理を作っていました。そして、ふとしたはずみに、塩の塊が料理人の手から滑り落ち、あっという間に煮えたぎる鍋の中に入ってしまったのです。料理人はその塩の塊を鍋から取り出そうとしました。しかし、既に塩は溶けてしまって、これでは料理を作り直さなければなりません。料理人はやれやれと溜息を付きましたが、そこでふと思い直しました。
「何で私が、あんな怠け者で横暴なゴリーハーンとその側近たちのために、そんな面倒なことをしなきゃならないんだ」
さあ、食事ができあがりました。ゴリーハーンとその側近たちは揃って食卓に付きました。料理人もいつものように、こしらえた料理を大きな皿に盛って食卓へと運んできました。ハーンを除いて、側近たちはあまり気が進まない様子で、大皿から自分の皿へと料理を取り分けました。ゴリーハーンも、自分の取り皿にたくさん料理を盛りました。そして、側近たちが最初の一さじを口にほうばった瞬間、皆の口から悲鳴に近い声がもれました。料理はあまりにも塩辛く、とても食べられたものではありません。ゴリーハーンの側近たちは塩辛さに顔をしかめながら、互いに目配せをしました。
「今度という今度は、こんな塩辛い料理を作った料理人に仕返しをしてやろう」と。
さて、ゴリーハーンの反応はどうだったでしょうか。彼は二口、三口スプーンを口に運びましたが、側近たちのように騒ぎたてることもせず、何も言いませんでした。ですが、さすがに今回ばかりはハーンも何かを感じたようで、スプーンを置くと、料理人の方に向き直ってこう言いました。
「この料理は少し塩気が多すぎやしないかね?」
料理人は平然と答えました。
「いいえご主人様、そんなことはないと思います」
ゴリーハーンが初めて料理人が作ったものに抗議するのを目にした側近たちは、ここぞとばかりに料理人の返事にこぞって抗議の声を上げました。側近の一人が大声で料理人を叱責しました。
「恥を知れ。この料理はしょっぱすぎて、ハーンでさえそれが分かったほどだ」
側近の言葉を聞いたゴリーハーンは思わず食事の手を止め、そして問いただしました。「今何と申した?それはつまり、こういうことか?いつも料理はまずかったが、私ひとりが気がついていなかったということか?」
ハーンの問いかけに側近の一人が答えました。
「おっしゃる通りでございます」
その言葉はゴリーハーンのプライドを激しく傷付けました。側近たちの侮辱的な言葉に我慢がならなくなったゴリーハーンは、おもむろに木の棒を取り上げ、彼らを屋敷から追い出してしまったのです。そうして、呆気に取られている料理人に向かって言いました。
「もう彼らに料理など準備してやる必要はない」
それだけ言うと、ハーンはまた食卓に座って、残りの塩辛い料理をすべて平らげてしまいました。
このときから、誰かが誤った行いをしたり、立場を悪用したりしたとき、それがあまりにも目に余って、普段は何も言わない人までが抗議したとき、こんなふうに言われるようになりました。
「ハーンでも分かるほど塩辛い」