イスラムと自然環境(1)
前回は、環境保護というテーマがコーランで強調されているのみならず、イスラムの預言者ムハンマドとイマームたちの伝承にも残されていることについてお話しました。今夜は、このテーマについて考えることにいたしましょう。
前回は、イスラムから見た自然環境の重要性についてお話しするとともに、コーランの多くの節においても、自然界に存在する全ての要素が重要なものであると述べられていることにも触れました。コーランによれば、自然界やそこに存在するものは、人類のための神の恩恵にあたり、それらの保護に努めることは全人類の義務とされています。
イスラムで自然環境が重視されていることの1つの指標として、緑の空間の拡大が挙げられます。樹木を植えて緑化空間の拡大に貢献することで、その樹木を植えた人は善行を行ったとみなされます。また、一部の伝承においても、清潔な空気や飲料水、作物の栽培が可能な肥沃な土壌のない生活は、忌まわしいものとされています。
一部の伝承においても、たとえ最後の審判の日がめぐってきたとしても、誰かの手に植物の苗が握られていたならば、それを地面に植えるべきだとされています。さらに、そのほかの多くの伝承にも、全ての人々が自然環境を保護し拡大する必要性が述べられています。
さらに、宗教関係の文献資料においては、自然界の要素を発展させることにはご利益があるとされています。これについて、イスラムの預言者ムハンマドは次のように述べています。 “樹木に水を与えることは、のどの渇きに苦しむ信者の喉を潤すことと同様にご利益や報酬が伴う。樹木を植えること、河川をめぐらすこと、そして町を発展させるための井戸の掘削によるご利益は、学問の教育やモスクの建設、自分の死後に子孫を残すこととともに、人間の罪を許し、死後に人間に帰ってくる”
イスラムの戒律や伝承では、自然環境の保護を奨励することに加えて、自然環境への侵略や汚染が禁止されています。これについて、預言者ムハンマドは次のように述べています。
“樹木を伐採してはならない。樹木を伐採すれば、神はあなたに責め苦を与える”
預言者ムハンマドはまた、樹木を植えることの重要性をも強調しており、これについて次のように述べています。
“もし、誰かが樹木を植えたり、或いは畑に作物を植え、人間や動物、鳥たちがそこに実ったものを食したならば、その樹木を植えた、或いは作物を植えた人の施しとみなされる”
宗教の偉人の多くも、樹木を植えることの重要性を強調しており、自ら樹木を植えています。例えば、シーア派初代イマーム・アリーは、現在のサウジアラビアにある町メディナにおいて、数多くのナツメヤシ園を作り、それらの多くを神の道にそった目的のために寄贈していました。預言者ムハンマドも、イスラムのための聖なる努力を奨励するとともに、樹木の伐採や畑作地の焼却を極力回避していたのです。
シーア派の宗教学者たちも、イスラム教徒との戦闘状態にある敵の領地においてさえ、樹木の伐採や畑作地の破壊を禁じていました。樹木を植えることが奨励され、樹木の伐採が忌み嫌われていたことは、イスラムにおいて自然環境が重視されていることの明白な例であることにほかなりません。
預言者ムハンマドはまた、大地に敬意を払うよう強調するとともに、人間の行動の善悪を明示し、大地に敬意を払うことを、人間が日々の糧を得るすべであるとしていました。
大地が私たちに伝達する情報とは、大地に含まれている要素や資源に対する人間の保護利用の状態です。著名なイスラム法学者の学説によれば、空気と大地、そして太陽の光は自然界における包括的な要素であり、特定の個人や組織の所有権に属さない共有財産とみなされるとともに、全ての人々がこれらを正しく活用する権利がある一方で、これらの悪用により他人の生活を危険にさらしてはならないとされています。こうした神の恩恵や資源が、特定の人物に剥奪されてはならず、全ての人々に共有されるべきものであるという見解は、イスラムの出現当初から存在しており、これは環境保護に寄与しうるものです。
イスラムでは、動物にも注意を払うことが強調されています。預言者ムハンマドは、イスラムの道において努力する人々に対し、正当な理由なしに動物を殺生してはならない、と述べています。
イスラムではまた、四足動物を含めた動物を見せしめのために殺生したり、食することが強く非難されています。イスラムのある伝承では、「神は、動物を見せしめのために殺す者を呪われる」と述べられています。さらに、野鳥の雛がいる巣穴を攻撃することや、彼らの安らぎ、そして安眠を壊すことも非難されています。これについて、預言者ムハンマドは次のように述べています。
“ひな鳥のいる巣を攻撃してはならない。彼らが休息しているときに、彼らの安らぎや安眠を、翌朝太陽が昇るまで壊してはならない”
イスラムでは、動物も大切にされています。この点は、フランスの思想家ギュスターブ・ル・ボンも注目しており、次のように述べています。
「イスラム諸国では、特別な動物愛護は必要ない。イスラム圏は、動物にとっての天国だといえる。イスラム教徒は、犬や猫、鳥の権利を遵守している。特に、モスクや歩道では、鳥たちが完全に自由に飛び回っており、礼拝の合図を流すミナレットには鳥たちが巣を作っている。われわれヨーロッパ人は、イスラム教徒から多くの事を学ぶ必要がある」
これまでにお話してきたことに注目すると、イスラムの見解では人間は事実上、地上の繁栄を委任された神の代理人であるといえます。人間は、代理人、或いは統治者として、地球という預かり物を大切に保管し、これをこ壊したり、いためないように守り、知識や学識をもって地球を活用し、繁栄させることに努める必要があります。さらに、人間以外の別の生物が生息している環境を確保し、地球上のすべての存在物が地球を恒久的に活用できるような可能性を整えなければなりません。
崇高なる神を思い起こし、地上における神の代理や統治について考え、全ての存在物に対する聖なる本質をよく理解することは、生態系のバランスの維持により自然界を適切に活用する秘訣だといえます。これについて、コーラン第4章、アン・ニサーア章、「婦人」第126節には次のように述べられています。
“天地にある全てのものは神のためにあり、神は全ての事を包含される”
世界においては、人間だけが自然を支配する伝統にそって、統治における自らの約束事を守った上で、自然界の汚染やその不適切な利用を回避し、自然環境のバランスを維持することに全力を注いでいるのです。
神は、自然と全ての存在物を維持する存在です。このことは、コーラン第11章、フード章、「フード」第57節で次のように述べられています。
“誠に、われの主は全てのものを見守られる”
神の代理人、そして統治者としての人間も、動植物や水、土や空気といった大自然の恵みや資源を、破壊や浪費から守らなければなりません。言い換えれば、大地や水、天空、そして自然界の全ての要素は、神からの預かり物として人間に委託されたものであり、それらは節度を守って利用されるべく現世に置かれたものです。このため、人間は自然を守る責任者なのです。
このため、イスラム政府において、自然環境に対する人間の行動が監視、管理されるとともに、環境に害悪を与える人々は処罰し、人間による自然環境の悪用の結果について何も知らない人には、警告を与える必要があります。
イスラムは、人間と自然環境を分離しておらず、この2つの要素を相互に補完しあう存在とみなしています。このため、イスラムは環境保護に向けた最も完成度の高い内容を奨励しており、神の定めた道と調和する関係における人間の全ての側面を、コーランにおいて説明しています。ですから、社会においてイスラムの経済体制の価値観の基本を実行することで、環境に悪影響を与える外的要因を減らし、持続可能な発展を実現し、人権を回復し、ひいては自然環境や天然資源の保護にむけた適切な下地を整えることができるのです。
このような教えに基づき、イランイスラム共和国憲法の第50条においても、自然環境保護が強調されており、次のように述べられています。
「イランにおいては、現在の世代と未来の世代が社会的な存続により発展する環境の保護は、大役の義務とみなされる。このため、自然環境を破壊、或いは汚染し、取り返しの付かない結果をもたらすような経済活動や、それに類似した活動は禁止される」