4月 22, 2018 18:58 Asia/Tokyo
  • ボパール化学工場事故
    ボパール化学工場事故

前回は、自然環境を破壊する重要な要因の一部についてお話しました。この数十年間において自然環境や人間の健康に弊害を及ぼしているもう1つの要因として、世界の一部の地域で発生している事故があります。その影響は、世界の自然環境の広範囲に及んでいます、今夜は、こうした事故や、それらが世界の自然環境に及ぼす影響について考えることにいたしましょう。

ボパール化学工場事故

過去数十年間で、世界の自然環境では大規模な事故が発生しています。その影響が非常に甚大であったことから、世界の人々は現在の世界で行われている活動に注目を寄せています。そうした大惨事の一部は、1980年代にインド中部の町ボパールで発生した、ボパール化学工場事故です。

1984年12月2日の深夜、インド中部マッディヤ・プラデーシュ州の町ボパールにあるアメリカ企業、カーバイド社が管理する化学工場で、MIC・イソシアン酸メチルがガス状となって流出し、北西の風に乗ってこの町に放出されました。MICは、猛毒の化学物質であり、またボパールの町は人口密集地帯でした。このため、この町に住むおよそ4000人の人々が急性中毒により死亡し、およそ20万人から30万人が後遺症を抱えることになったとされています。イソシアン酸メチルは、主に農薬に使用され、人間の呼吸器官や神経システムに直接影響を及ぼします。

ユニオンカーバイド社の調査の結果、ガスの流出の原因はイソシアン酸メチルの入ったタンクに大量の水が流入し、発熱反応を起こしてこれがガス状となり、安全弁が開いて流出したことであると判明しました。この事故は、世界の大企業に対する反対や嫌悪感を招き、環境保護団体や人権団体、医療関係者や一般市民などの間でこうした企業が人々の健康や自然環境に配慮していないことに対する、大規模な抗議の波を引き起こしました。

ユニオンカーバイド社がこの事件の犠牲者や被害者に損害賠償を支払ったものの、この事故による自然環境への影響は今なお地域に残存しており、毎年この事故の発生日には、これにちなみ世界各地で抗議デモが行われます。

 

チェルノブイリ原発事故

人間の健康や自然環境に甚大な被害を及ぼした、20世紀のもう1つの大惨事として、旧ソ連、現在のウクライナで発生したチェルノブイリ原発事故が挙げられます。この事故は、原子力産業に対する国際世論の見方に決定的な影響を及ぼしました。この痛ましい事故が残したメッセージとは、人命や環境の健康が経済発展の犠牲になってはならないというものでした。それでは、この大惨事はどのようにして発生したのでしょうか?

1986年4月26日の夜半、当時のソ連・キエフ州プリピャチにあるチェルノブイリ原子力発電所の4号炉で、メルトダウンの後に爆発が起こりました。その結果、膨大な量のプルトニウムが世界全体に放出されています。爆発により生じたキノコ雲はウクライナ、ベラルーシ、ロシアという広範な地域に大量のウラン、プルトニウム、ヨード、ストロンチウム、セシウムを拡散し、これによる放射能汚染はヨーロッパや日本でも報告されています。国際環境NGOのグリーンピースは、この事故による死亡者数を3万2000人と算出しています。また、WHO・世界保健機関も、この事故により500万人の人々の健康に影響が及んだと発表しました。それ以後、この事故の最も深刻な影響を受けた地域では、甲状腺がんの患者が激増しています。

チェルノブイリ原発事故の後、この原発の原子炉からの風が直接吹き抜ける森林のうち、およそ4平方キロメートルが赤く変色し、枯死(こし)しました。この森林のうち、原発から最も離れた地域に生息していた動物さえも死滅し、或いは生殖ができなくなりました。その地域にいた牛は早期に死亡あるいは甲状腺に被害を受けたために寿命が短縮されています。さらに、この地域の動植物には突然変異が起こり、巨大化や奇形化が見られました。

チェルノブイリ原発は、プリピャチ川の川岸に位置しています。この河川は当時、ウクライナの首都キエフの住民200万人以上が使用する水をまかなっていました。しかし、チェルノブイリ原発事故の発生により、プリピャチ川も汚染され、キエフの住民の飲料水の確保源は、やむなくこの河川からドニエプル川の支流デスナ川に変更されました。いくつかの調査結果からは、水質汚染の影響で、この地域の動物や魚が危険物質であるセシウムに汚染されていることが判明しています。この汚染は、非常に長期間にわたるものでした。それは、2010年にドイツ国内の400箇所から採取された試験サンプルにおいて、許容量をはるかに上回る放射能が検出されたからです。現在、チェルノブイリ原発事故によるセシウムや放射性物質の影響は減少しつつありますが、専門家はその汚染の影響が今後100年は残るだろうとみています。

チェルノブイリ原発事故の記念日

 

原油流出事故

この数十年間において、自然環境に深刻な弊害をもたらしたもう1つの大惨事として、海洋への原油の流出が挙げられます。現在、世界の海域では年間1万4000件もの原油流出事故が発生しています。それらの1つ1つは規模の小さいものですが、それらが結集すると時には大惨事となります。

1989年3月24日、アメリカ・アラスカ州のプリンスウィリアム湾で、エクソン・バルディーズ号から4200万リットルもの原油が流出しました。また、1993年にはスコットランド地方シェットランド諸島の海域で、9800万リットルの原油流出事故が発生しています。しかし、自然環境に最大の大惨事を引き起こしたのは、やはり2010年4月20日に発生したメキシコ湾源油流出事故といえるでしょう。この事故では、イギリスの石油大手BPの石油掘削施設ディープウォーター・ホライズンで天然ガスが引火爆発し、11人以上の作業員が死亡したほか、400万バレル以上の原油がメキシコ湾に流出しました。この事故は、不手際による事故としては史上最悪とされており、原油の流出面積は300平方キロメートル以上に及びました。この海域に生息する生物の多くが危険にさらされ、その住処を破壊されることとなりました。

これまでの調査から、あの事故以来7年近くが経過した現在も、依然としてメキシコ湾の生物に影響が出ていることを示すものとして、これらの生物に見られる裂けた傷口、病班やただれ、各種の奇形などが指摘できます。深海に生息する珊瑚や海草、イルカ、マングローブ、そして海域に生息するそのほかの動植物が、原油の流出による被害を受けました。BP社は、この事故による被害への損害賠償として11億ドルを漁業の関係者や企業に支払いましたが、この事故が自然環境にもたらした被害まで補填できているのかには、疑問が残ります。

原油流出事故

 

アラル海の枯渇

今なお自然愛好家の間で遺憾な出来事とされているもう1つの大惨事として、中央アジアにある塩湖・アラル海の枯渇が挙げられます。アラル海は、全く注意を払われなかったことから消滅してしまいました。この湖はイランの北方、そしてアフガニスタンとウズベキスタンの間に位置し、世界で4番目に大きい湖とされていました。1960年代の初めに、当時のソ連政府は自然改造計画と称して、この湖に注ぐアムーダリヤー河の中流に運河を建設し、この湖の湖水を乾燥地帯である現在のウズベキスタンとトルクメニスタンに誘導し、これらの地域での米やウリ、そして綿花を初めとするそのほかの農産物の生産に使用することを決定していました。当初、このプロジェクトは順調に進み、1988年にはついに、ウズベキスタンは世界最大の綿花の輸出国となりました。これは大きな栄誉でしたが、自然に手を加えたことは、後に大きな反応となって返ってくることになります。

1961年から1970年にかけて、アラル海の湖面は毎年20センチずつ低下していきましたが、このことを重視する人は誰もいませんでした。しかし、1970年代に入ると、この数字は3倍に増加し、1980年代にもこの傾向が続き、湖水面の下がり幅は年間80センチから90センチに達しました。1991年にソ連が崩壊し、ウズベキスタンは独立したものの、水に関する政策は変更されませんでした。アラル海の水量の減少と、その塩分の濃度が上昇したことから、この湖に生息する魚の多くが死滅し、この地域の水産業もさびれ、人々は他の土地への移住を余儀なくされました。アメリカの環境活動家レスター・ブラウンは、1991年にこの地域を訪れた際、次のように述べています。

アラル海の枯渇

 

「飛行機の窓から眺めると、水のない湖の底はさながら月面のように見える。そこには、もはや動植物の姿は見られない。湖の跡地である湿地、そして普通なら沢山の生物がうごめいているところが見られるはずの水溜りでさえ、時折ペリカンやマガモに似た鳥が目につく程度である。飛行機の窓から見ると、そこには死にかけている1つの生物界が明確に見て取れる。かつて、漁業の中心地だったアラル海の沿岸の村は、今や放置され、また常に干上がっていく湖水から、何キロメートルも遠ざかってしまっている。まさに、アメリカ西部にあったかつての銀鉱山が、今やゴーストタウンと化してしまったように、これらの村ももぬけの殻となり、死にかけているエコシステムや崩壊しつつある経済を見事に具現している。我々の目の前に広がるアラル海は、本当の意味で干上がってしまっているのである」

アラル海のこうした惨状は、世界のメディアで報道されました。ロンドン発行の新聞デイリー・テレグラフは、アラル海の枯渇を地球の自然環境面での最悪の大惨事と報じています。しかし、この苦い経験により、自然環境に対する人間の知識を向上させ、強欲を減らすことはできたのでしょうか?残念ながら、現在ある数々の証拠は、人類は依然として自らの利己的な道を歩み続けていることを物語っています。