アメリカン・ヒストリーX(1)
この時間は、1998年に制作された「アメリカン・ヒストリーX」についてお話しします。
「アメリカン・ヒストリーX」は、1998年に制作、公開された、トニー・キー監督の映画です。
この映画は、アメリカ社会が抱える人種問題や貧富の差を扱った、20世紀末の傑作とも言える作品です。
消防士だった父親が、黒人の家を消化中に売人に射殺されます。兄のデレクは、父親が黒人によって殺されたため、有色人種を憎むようになります。弟のダニーも、兄のデレクの影響を受け、彼と同じように白人至上主義者となります。
黒人を憎むデレクは、彼の車を盗もうとした黒人2人を殺し、刑務所に入ります。デレクは刑務所で、黒人の囚人ラモントの優しさを目にしたり、人種差別主義者の白人によって苦しめられたりしたことにより、心情に変化が生まれ、それまでの自分の道が誤っていたことを悟り、アメリカ社会が抱える人種差別の問題の原因は、白人と黒人の両方にあると考えるようになります。
デレクは、出所した後、それ以上、黒人を憎みながら生きていきたくはないと考えます。デレクは弟のダニーにも強制的に、人種差別の過激なグループとは縁を切らせます。しかし、こうして彼らの生活が平穏を取り戻そうとしていた矢先に、ダニーが黒人グループに殺されてしまいます。
アメリカン・ヒストリーXは、現代のロサンゼルスのネオナチや人種差別という繊細な問題を扱っています。この映画は、アメリカ人の若者の葛藤について語り、1990年代のアメリカの若者の間にあった嫌悪や白人至上主義の事実に近いものとなっています。このような若者たちは、通常、デレクやダニーのように人生で挫折を味わい、さまざまな人種差別グループに傾倒しています。
アメリカン・ヒストリーXは、アメリカの人種差別の根源や結果に対して衝撃的な捉え方をしています。また、この映画では苦い現実が描かれており、この映画が投げかける疑問に答えることは、簡単なことではありません。実際、アメリカン・ヒストリーXは、人種差別を、悲劇につながる大きな問題として捉えています。
アメリカン・ヒストリーXは、アメリカ社会の人種差別を扱った、この数十年のハリウッド映画の中でも、最高の作品と言えます。この人種差別や嫌悪には限度がありません。人生のあらゆる問題を包み込みます。白人が黒人を嫌悪し、黒人が白人を嫌悪する。それがアメリカの歴史です。
この映画では、嫌悪感が生まれる原因は、白人と黒人の双方にあるように描かれています。この嫌悪はずっと続き、アメリカ人の生活や考え方が変わらない限り、それをなくすことはできません。この映画は、ある苦い事実を示しています。それは、生きているのはアメリカ人の若者ではなく、嫌悪感だということです。そして、この映画が提示している解決方法は、白人と黒人の双方が、この嫌悪感を捨てることです。
ここからは、映画「アメリカン・ヒストリーX」の98分から始まるシーンについてお話しましょう。
デレクが3年ぶりに出所する場面です。彼は刑務所での恐ろしい経験や思い出を弟のダニーに話します。そして、学校の教師のスウィニーの話をよくきき、アメリカの歴史に関して記すよう、彼に勧めます。ダニーはエッセイを記し、そこで、兄弟が過激な思想を持つようになったルーツを探ろうとします。
ここで、ダニーの記憶の中に入り、父親が生きていた頃、家族がテーブルを囲み、食事を摂っていたシーンがフラッシュバックします。父親が生きていた頃のこのシーンでのデレクとダニーの兄弟の様子は、父が死んだ後の二人の様子とは大きく異なっており、彼らは父親の死後に、黒人を強く嫌うようになります。
このシーンでは、ウィンヤード家の食卓の場面がミディアムカットで現れます。父親が向こう側に、母親がこちら側に座り、その間に子供たちの姿が見られます。
食卓で、父親が皆に話しかけます。兄のデレクは、食事をしながら本を読んでいます。父はそんなデレクの様子を見て話しかけると、デレクは、試験があるのだが、準備ができていないので焦っていると言います。父は、いい点が取れないのが怖いのか、もしかしたらいい点が取れるかもしれないじゃないかと言います。デレクは、スイス人の教師がとても素晴らしい人で、博士課程を持っているのになぜ高校で教えているのか分からないほど卓越していて、他の教師とは違うと訴えます。
父が、どんな本が課題に出ているのかと聞くと、デレクは、今回の課題となっている本の名を挙げます。すると父は、その本を知らなかったためにどのような内容なのかと興味を示します。デレクは、黒人に関する本だと言い、黒人文学について教わっていることを明らかにします。すると父は、今学期は黒人の歴史について学ぶのかと尋ね、デレクは、それがスイス人の教師の提案だと伝えます。父はそこで、黒人への支持に難色を示し、本を読み、テストでよい点を取るのはいいが、なんでも与えられたものを飲み込んではならないと言います。デレクは、どんな内容か知っているのかと父に尋ねます。父親は、「黒人と白人の平等を訴えているのだろうが、それは簡単なことではない」と言い、博士課程を持つ教師から勧められた本以外の黒人文学は捨てるのか、残りも読むべきだと訴えます。そして、全体を見るべきだと言います。本だけでなく、仕事についても話し、白人を差し置いて、2人の黒人が雇われていると言います。デレクは、父親の影響を受け、それはひどいと言います。父は、その裏には政策があると訴え、デレクも、そのように考えたことはなかったと言います。父は納得した様子ですが、デレクは、スイス人の教師の話し方がよくて、彼の言葉に耳を傾けずにはいられないと言います。しかし父親は、教師の言葉は取るに足らないものだと言います。デレクもおそらくその通りだと言います。父は黒人のたわごとだと言い、デレクもそれに賛成します。そして父は、デレクに気を付けるように言い、デレクも、父の言うことを理解したと言います。
ここでフラッシュバックが終わり、父の言葉に当惑するダニーの姿がクローズアップされます。そこで、クローズアップされたダニーは、自分の愚かさに涙を流す彼の現在の姿に変わります。
このシーンでは、現在の場面はカラーで、フラッシュバックの場面は白黒で映し出されます。このような色使いは、かつてのダニーや兄のデレク、彼らの家族が、世界を白黒で見ていたことを示しています。そのような見方が彼らの世界を暗いものにしていました。しかし、ダニーは現在、世界を現実的にとらえています。つまり、すべての色、人種、民族を受け入れています。
この映画の中で、家族のシーンになると、デレクは両親の間、父に近い場所に座っています。これは、デレクの人格や考え方が、両親の言動、特に父親の影響を強く受けていることを示しています。
デレクと父親のシーンは、デレクと母親のシーンよりもかなり多くなっています。これも、デレクが母親に比べて、父親の影響を大きく受けていることを物語っています。父は、デレクとダニーの心に憎しみの種を植え付けます。これは、人種差別が、過去の人々の考え方に根差したものであることを示しています。過去の人々の考え方や行動が、新しい世代に影響を与え、アメリカ社会の他の人種に対して憎しみを抱かせています。