コーランとは?(2)
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聖典コーラン
今回はまず、コーラン第6章アル・アンアーム章家畜、第19節をお聞き下さい。
「言え、神は私とあなた方の間の証人である。[その最高の理由とは、]あなた方と、このコーランが届けられる全ての人々に警告するために、私にこのコーランが啓示されたことである。[そして私は、神の命に逆らうことを恐れさせる]」
聖典コーランは、預言者ムハンマドの永遠の奇跡であり、選ばれた人間である預言者に啓示された節から成っています。偉大なコーランの解釈者であるタバタバイー師は、啓示について、次のように記しています。「啓示とは、預言者の心の内にある特別な理解であり、それを理解できるのは、神の恩恵に授かった人々のみである」

人類は、自分と世界に関する全ての問題を知っているわけではありません。そのため、神の導きが必要であり、啓示は、そうしたニーズを満たすために提示されました。人間は、自らの理性によって、様々な問題を理解します。例えば、理性によって、正しく考え、よい行いをし、醜いものから遠ざかるべきだということを理解します。と同時に、時には、善悪を判断する上で、過ちを犯すこともあります。そこで、啓示が理性を助け、人間が正しい理解によって道を突き止め、逸脱や迷いに陥るのを助けるために、詳細が明らかにされるのです。
コーラン第6章アル・アンアーム章家畜、第91節によれば、啓示は、神がそれによって、人類に見識と教育を授けるための手段です。コーランは人類の知識の最大の源です。人間は、啓示を通して、多くの真理を知り、世界の神秘を理解します。もし啓示の教えがなかったら、歴史的な真理や知識の多くは、人間に明らかにされていなかったでしょう。そのことは、第3章アールイムラーン章イムラーン家、第44節に述べられています。言い換えれば、啓示は、道しるべであり、人類の歴史の中で、重要な変化の源になっているのです。神の啓示によって、預言者たちは、目に見えない世界とつながりを持ちます。彼らは啓示を受け、彼らの任務は、啓示された事柄を透明な鏡のように受け取って反映させ、神のメッセージをそっくりそのまま、人々に伝えることなのです。
コーランによれば、啓示は継続的なものでした。神の預言者たちは、それぞれが異なる形で啓示を受けていました。コーラン第4章アン・ニサーア章婦人、第163節には次のようにあります。
「我々は汝に啓示を下した。ヌーフと、彼の後の預言者たちに下したように。そしてイブラヒームとイスマイール、イスハーグ、ヤアグーブ、イスラエルの民、イーサー、アイユーブ、ユーヌス、ハールーン、スレイマーンにも啓示を下し、ダーヴードには詩篇を与えた」
コーランは、このようなやり方により、預言者ムハンマドの清らかな心に下されたものこそ、それ以前の預言者たちにも下された啓示であるということを強調しています。神は、反対者たちの侮辱に対し、預言者ムハンマドを擁護し、預言者を認めて、第53章アン・ナジュム章星、第2節から4節で次のように語っています。
「あなた方の友人[であるムハンマド]は、決して逸脱したのではなく、目的を見失ったわけでもない。また決して、自分の心の赴くままに語っているのでもない。彼がもたらすのは、彼に下された啓示にほかならない」
この3つの節により、神は自らの使徒を、あらゆる逸脱とは無縁であるとしています。

コーランの最初の幾つかの節がメッカで下されたときから、預言者は、コーランが自分の言葉ではなく、神の言葉であること、いかなる人間にも、それと同じものをもたらすのは不可能であることを宣言しました。そして、もし信じられなければ、試してみるがいい、誰でも好きな人の助けを得るがよいとしています。預言者ムハンマドの神の最後の使徒としての使命は、人々に聖典と英知を教えることにありました。そのため、コーランの暗記と節の習得に努め、ある言葉が忘れられたり、表現が変えられたりするのを心配していました。神は預言者にそのような心配はいらないことを伝え、コーランを胸の中で保護すること、コーランの単語の朗誦や意味の理解を容易にすることを預言者に約束しました。
コーランは、最も完全な最後の天啓の書物です。この永遠の書物は、救済のメッセージと純粋な真理に満ちており、そこに偽りが入り込む隙はありません。コーランは、あらゆる歪曲から守られています。他の天啓の書物と比べた際のコーランの特長の一つは、誰も、その節に手を加えることができず、時の経過の中で、歪曲や曲解から守られてきたということです。そのため、その表現や文章は、神から啓示されたときのままであり、そこにはいかなる変更も加えられていません。
前回でもお話したように、コーランは、全部で114章あり、それぞれの章に幾つかの節があります。啓示が下された預言者の時代から現在まで、コーランの章や節がどのように分割されるかのついて、多くの議論が行われてきました。例えば、それらが下された時代に注目する方法、長さや節の数によるもの、そしてどのような言葉や表現によって、どのように始るかなどです。
節という言葉は、しるしを意味します。節は実際、神の存在と、神の類まれなる性質を示しています。コーランでは、夜と昼、太陽と月、大地の成長、雨、風、雲の動き、言語や肌の色の違いといった自然現象を、世界の創造主である神のしるしとして挙げています。また、預言者サーレハのらくだ、ムーサーの杖、イーサーの誕生、ヌーフの方舟、その他の奇跡は皆、しるしに相当し、概し
コーランは、人間が幸福になるための優れた指南書です。この書物の中では、創造世界、自然、知識、正しい生き方、世界の未来、政治、社会関係や経済関係、道徳など、多くの事柄が記されています。このような問題を扱っている節は、宗教的な戒律や礼拝行為について書かれた節よりも多くなっています。
コーランの章には、世界、自然現象、動物に関する名前の章が数多くあります。例えば、第53章アン・ナジュム章星、第91章シャムス章太陽、第54章アル・ガマル章月、第113章アル・ファラグ章黎明、第16章アン・ナフル章蜜蜂、第27章ナムル章蟻です。また、宗教の教えや最後の審判に関する名前のついた節もあります。例えば、第7章アル・アアラーフ章高壁、第55章ラフマン章仁慈者、第56章アル・ワーゲア章出来事、第76章アル・インサーン章人間、第81章タクウィール章たたまれた時、第82章アル・インフィタール章裂けるとき、そして第97章アル・ガドゥル章みいつです。この他の章は、社会的、政治的な問題に関するものであり、その名前もそうした内容に基づいてつけられています。第33章アル・アハザーブ章連盟、第42章シュウラー章相談、第63章アル・ムナーフェグーン章似非信者たちが、それにあたります。この他、歴史的な物語や問題に関する章もあります。第10章ユーヌス章ヨナ、第12章ユーソフ章ヨセフ、第17章アル・イスラー章イスラエル、第19章マルヤム章マリア、第21章アル・アンビヤー章預言者、第26章シュアラー章詩人などがそれにあたります。また、第49章アル・フジュラート章私室のように、社会的な行動や道徳について述べた章や、社会問題を提起している章もあります。このように、コーランの章の名前は、その内容の幅広さを物語っています。
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