3月 18, 2022 01:55 Asia/Tokyo
  • シーア派12代目イマーム・マハディ
    シーア派12代目イマーム・マハディ

前回までは、預言者の末裔とされ、人々を指導する立場にある聖なる人物、すなわちイマームと呼ばれるシーア派の12人の偉人たちの生涯などについてお話しました。

今回は、前回まで数回にわたりお話しました、将来再び姿を現す事が約束されているシーア派12代目イマーム・マハディがお隠れの状態にある時代に、誰が人々の指導という宗教的な役割を担っているかについてお話することにいたしましょう。

人間が社会的に生存し、個人として精神的な完全の極致に到達するには、包括的かつ完全な法規範のほか、善良な思想を持つ公正な指導者や行政担当者が必要です。すでにお話したように、神は使者たちを通じて幸福な生活を送るためのロードマップを人類に伝達しています。その最終段階においても、イスラムの預言者がイスラム教という枠組みでの幸福の指南書を、人類にもたらしています。

言うまでもなく、イスラムの預言者が23年の歳月にわたって艱難辛苦を耐え忍び、普及伝播させた掟や戒律は、特定の時代や一部の限られた人々のみを対象としたものではありません。イスラムの預言者とこれに続くその聖なる末裔であるイマームたちは、完璧なる人間の具体的な模範として、自らの生きていた時代にイスラム教徒を教え導く責務を担っていたのです。今回は、このテーマにスポットを当ててみたいと思います。

これまで何回かにわたり、シーア派最後のイマームで、人類の救世主とされる12代目イマーム・マハディについてお話するとともに、現在はこのイマームが人類の目に触れないお隠れの状態にあること、そしてその理由についても説明いたしました。

ここで、次のような疑問が生じてきます。それは、救世主である最後のイマームがお隠れの状態にある時代において、人々を宗教面で指導する役割を担い、人々の宗教的な疑問に答えるのは誰なのか、というものです。

 

聖なるイマームたちの生涯や言行をたどってみると、これらの偉人たちが宗教法の原則やその枝葉末節にまで精通したイスラム法学者や学者の育成に、特に配慮していた事がわかります。すなわち、彼らはコーランや預言者の伝統、イマームたちの言行に照らして、イスラムの掟を解釈できる学者の育成を目指していたのです。これらのいわば思想家たちは、遠く離れた町にまで足を運び、イスラムの教えを人々に伝授していたのです。

 

 

イマームたちが生きていた時代にも、イスラム法学者やハディースと呼ばれる伝承の語り手たちに問い合わせることが習慣化していました。シーア派6代目イマーム・サーデグは、在位中に現在のサウジアラビアの町メディナに暮らしていました。しかし、当時のイランの北東の町マルヴに暮らしていた人々、あるいは遠くの町に住んでいてこのイマームに直接会えなかった人々は、伝承の語り手を通じて自らの抱える疑問を解決するしかなかったのです。

このように、イマームたちの時代には宗教学者が現場において積極的に活動していました。彼らは、人々とイマームの学問的な橋渡し役を担っており、イマームたちも宗教の英知の習得に関して、人々を宗教学者たちに任せていたのです。

しかし、最後のイマームであるマハディがお隠れとなっている時代には、イマームとの直接のやり取りができないことから、こうしたやり取りの制度は全体的に変化しました。この時代には、宗教学者や神学者の役割が際立って顕著になります。イスラム学者たちは、イスラムの伝承に関する奥深い知識を有しており、それらを分析して、戒律に関する推論を導き出すことができるのです。数ある伝承においては、最後のイマームがお隠れの間は、一般人はこうした学者や伝承の語り手に質問ができるとされています。

一般の人々は、オリジナルの資料をもとに宗教的な戒律について推論する専門家でないことから、最後のイマームがお隠れ中の間は、一般人に宗教の戒律を認知させるという責務はイスラム法学者に委託されています。これらの学者たちは、イスラム法学や法律、イスラムの教育や戒律の専門家です。

イスラム学者がこのような特質を有することから、当然ながらイスラム以外の学問の専門家であったとしても、イスラム学の専門家でない人は、イスラム学者に従うことになります。たとえば、大学教授や医師であっても、イスラム学の専門家や権威者でなければ、しかるべき資格のあるイスラム法学者に従う必要が出てきます。それは、逆に位の高いイスラム法学者であっても、医学や工業技術の問題に関しては医師や技術者に従うことと同じです。

 

イマームたちが存命だったた時代は、一般人は自らが抱えていた問題を直接、あるいは間接的にイマームに質問して判断を仰ぎ、自分たちがどうすべきかの回答を迅速に得ていました。しかし、最後のイマームがお隠れ中である現在では、問題はまた別です。こうした時代には、専門家が学問的、専門的な方法により伝承・ハディースを研究、解析し、時代のニーズにかなった必要な回答を導き出します。ですから、最後のイマームがお隠れの時代には、こうした敬虔な宗教学者こそが、宗教の戒律を一般人に説明する責務を担っている、いわば宗教の番人なのです。

イスラムの法学者、あるいは宗教学者はイスラム学を専門とし、宗教の教えや戒律に関する推論を導き出す技能を身につけた段階に達しています。このため、彼らは様々な問題に関するイスラムの戒律を見出し、宗教的に合法であるか否かを判断できると同時に、預言者やイマームの時代には起こらなかった新しい出来事についても裁断を下し、適切な解決法を見出せるような、学術的な判断力を身につけていなければなりません。

いずれにせよ、最後のイマームがお隠れ状態にある時代には、敬虔で学識豊かなイスラム学者たちが、偉大なるこの隠れイマームの代理人として、行く手を照らすともし火のようにイスラム教徒たちを指導し、彼らの疑問に答える責務を担っており、できる限り人類社会をイスラムに沿った目標に向かって導かなければなりません。

実際に、偉大なるイスラム法学者たちは一般人の教育という塹壕において、イスラムの価値観や信条を守る番人として、最も際立った存在だといえます。これらの人々は、様々な時代において、説教師としての位置づけを生かし、価値ある書物や論文の執筆、教育の場の結成、自分たちとは違った意見を持つ人々との討論などにより、イスラムの教えの普及伝播に向けた大きな一歩を踏み出しています。

もう1つの大切な点をあげるならば、卓越したイスラム学者たちは、本筋からの逸脱や異端などの要素をイスラムから払拭するための重責を担っているといえます。このため、最後のイマームのお隠れ状態が始まって以来、自己献身的な学者たちは、異端や逸脱との戦いにいかなる努力も惜しまず、そのために命までをも捧げてきたのです。

 

最後のイマームのお隠れの時代には、偉大なるイスラム法学者たちは、イスラムの英知という偉大なる遺産を守るために然るべき役割を果たし、人類の幸福の維持において、イスラムが教えとく方法が優位である事の証明に努めてきました。この時代には、悪魔が陰に陽に人類をそそのかし、イスラム教徒の信条の基盤を揺るがし、追いはぎのように人々の信仰心を奪い去ろうとしています。しかし、無明や迷信という暗雲がイスラムに手を伸ばそうとしたときには常に、時代の趨勢を見極めたイスラム法学者たちが啓蒙活動を行い、無明や無知を吹き払うべく、一般人を教育する現場に足を踏み入れています。

歴史を通して行われてきた、イスラムの神学者や法学者による聖なる戦いには、数多くの英雄伝や自己献身が秘められています。現在、私たちが触れているイスラム法学やコーランの解釈、修辞学、哲学、倫理などをはじめとするイスラムの諸科学は、宗教の英知の様々な分野における偉大な思想家たちの多大な努力の賜物にほかなりません。宗教学者たちは、この塹壕において2つの中軸的な役割を果たしてきました。まず1つは、イスラムの諸科学のテーマを、イスラムの源泉であるコーランや預言者の伝統・スンナから発掘し、それらを体系的に整理したことです。そしてもう1つは、イスラムの原則やその枝葉末節を、歪曲や誤った解釈から守るべく、最大限に努力してきたことだと言えます。

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

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