May 31, 2018 22:50 Asia/Tokyo
  • 第40章ガーフェル章罪を赦すお方
    第40章ガーフェル章罪を赦すお方

今回は、第40章ガーフェル章罪を赦すお方を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

ガーフェル章は、「ハー・ミーム」というアラビア語のアルファベットで始まる、コーランの7つの章のうちの最初の章になります。これらの章は連続しており、どれもメッカで下されました。預言者ムハンマドは、これらの章はコーランの核だとしています。また、伝承でも、これらの章は、コーランの王冠であり、花であるとされています。

 

ガーフェル章は、全部で85節あります。その名前は、神を、罪を赦す方として紹介している、この章の第3節から取られました。神の性質のうち、不信心者への現世と来世の責め苦の警告、預言者ムーサーとフィルアウン、フィルアウンの一族の敬虔な人間の物語、最後の審判の様子、唯一神信仰と多神教信仰の問題、預言者への忍耐の呼びかけなどが、この章で述べられている事柄です。

 

ガーフェル章の第1節から3節を見てみましょう。

 

「ハー・ミーム。この書物は全知全能の神から下されたものである。神は、罪を赦し、罪の悔悟を受け入れ、厳しい懲罰を下し、多くの恩恵を与える方であられる。彼の他に神はいない。すべての人は神のもとへと返される」

 

この章はまず、コーランの偉大さについて述べ、その書物をもたらしたのは、最高の性質を持つ神だとしています。神は全能であり、神の無限の知識によって、コーランはすべての人間の幸福と成長に必要なニーズに応えています。ガーフェル章の第3節は、神の別の性質に触れています。「神は罪を犯した人を赦し、罪の悔悟を受け入れ、厳しい懲罰を下し、多くの恩恵を与える。彼の他に神はなく、すべての者は神へと帰する」

 

 

ガーフェル章の特徴は、フィルアウンの一族の敬虔な人間の物語が語られていることです。これは、預言者ムーサーとフィルアウンの物語の一部で、この章にしか出てきません。フィルアウンの一族の敬虔な人間は、フィルアウンの統治機関の重要人物でしたが、心の中でムーサーを信じ、ムーサーとその教えをしっかりと守っていました。この物語のために、この章は、敬虔な人間を意味する「ムウミン」章とも呼ばれています。この章の4分の1ほどの節は、この人物の神の道における努力について述べられ、ガーフェル章の第28節から始まります。

 

フィルアウンが、ムーサーを殺そうとしたとき、唯一の神を信じながら、その信仰を隠していたフィルアウンの側近の一人が立ち上がり、「あなたたちは、自分の神はアッラーだと言う人物を殺そうとするのか?彼は神からの明白な根拠をあなたたちにもたらしたというのに」と叫びました。

 

フィルアウンの一族の敬虔な人物は、預言者ムーサーの命を守り、圧制者フィルアウンに対抗しようとしたために、コーランの中で賞賛を受けます。フィルアウンに対する彼の抗議と忠告の物語は、コーランの中で、特別な壮麗さを伴って述べられています。この人物は、信仰を持ち、賢明で、有能であり、フィルアウンがムーサーを殺すのを妨げました。また彼らに、その行いの結果を良く考え、性急な行いをしてはならない、そうでなければ後悔することになると忠告し、このように言いました。「もしムーサーが嘘つきであれば、最後には不名誉を蒙り、その罰を受けることになるが、もし本当のことを言っていれば、少なくとも約束した責め苦の一部があなた方に下ることになるだろう。いずれにせよ、彼を殺すのは賢明ではない。神は嘘をつく者を導かれない」

 

フィルアウンの一族の敬虔な人物は、それだけに留まらず、やさしい口調で言いました。「人々よ、現在、統治体制はあなた方のものである。それはこの土地を支配し、あらゆる点で勝利を収めている。このような恩恵への感謝を忘れてはならない。神の責め苦が私たちに下ったとき、誰が私たちを助けるのというのか?」

 

 

この人物の言葉は、どうやらフィルアウンの側近たちに影響を及ぼしたようであり、彼らはある程度、穏やかになりました。そのとき、フィルアウンが沈黙に耐えられず、彼の言葉をさえぎって言いました。「私はよいと思うこと以外をあなた方に示すことはない。ムーサーは殺害されるべきであり、それ以外の道はない。私はあなた方を成長以外の道に導くことはない」

 

そう、歴史において、すべての圧制者は、自分の意見のみを正しいものと見なし、他者に注目することはありません。

 

しかし、フィルアウンの一族の敬虔な人物は、再び、自分の民に対してこのように警告します。「人々よ、以前の民たちの責め苦の日と同じ日があなたたちにも来ることを恐れる。ヌーフ、アード、サムード、そして彼らの後に現れた人々と同じような運命を恐れる。これらの民は、不信心と多神教信仰、反抗の道を選んだ。私たちは彼らがどのような運命に陥ったかを見たはずだ。激しい台風によって消滅した人々もいれば、稲妻や地震によって滅びた人々もいる。あなた方もこのような神の大きな災難に巻き込まれる可能性があるとは考えないのか? 覚えておくがよい。あなた方にどのようなことが降りかかっても、その原因は自分たちにある。神が僕に圧制を加えることはない」

 

この敬虔な人物は、続けて次のように語っています。「人々よ、私は人々が互いに呼び合い、互いに助けを求めるのに、その声がどこにも届かなくなる日を恐れる。その日、あなたたちは背を向けて逃げ出す。だが、神の責め苦に対して、あなた方を守る場所はどこにもない」

 

フィルアウンの一族の敬虔な人物は、預言者ユーソフに触れ、彼もまた、かつてエジプトに行き、歴史的にも彼らとそう離れてはいないと語りました。ガーフェル章の第39節では、この人物が、人々に、現世の人生の短さと来世の永遠性に注目するよう呼びかけ、このように語ったとあります。「人々よ、現世に心を奪われてはならない。現世の生活ははかないものであり、来世は永遠の住処である」

第40章ガーフェル章罪を赦すお方

 

ガーフェル章の第40節にはこのようにあります。

 

「誰でも悪い行いをした者は、それ相応の懲罰のみが下る。だが、善い行いをした者には、男であろうと女であろうと、敬虔であれば楽園に入り、そこで無限の日々の糧を得る」

 

フィルアウンの一族の敬虔な人物は、英知に溢れた言葉により、罪を犯した人に対する神の正義を述べ、彼らの罪に即した分だけ懲罰があるとする一方で、敬虔な人間の善い行いに対しては、無限の報奨があるとしています。その報奨は、それまで誰も、見たことも聞いたことも、また想像さえしたこともないようなものです。

 

フィルアウンの一族の敬虔な人物は、それ以上、自分の信仰を隠すことができませんでした。ガーフェル章の第41節と42節によれば、彼は最後に大きな声で叫びます。

 

「人々よ、私はあなた方を救済へと呼びかけるというのに、あなた方は私を業火へと導くのか? あなた方は私に、唯一の神を信じず、何も知らないものを神と同等に据えることを求めている。私はあなた方に、寛容で愛すべき神への信仰を呼びかける」

 

彼は続けて、次のように語っています。「あなた方が私に呼びかけるのは、現世と来世において朗誦するのにふさわしくないものである。私たちは皆、神のもとへと返され、節度を守らない者は、業火の住人となる。神の怒りがあなた方を襲うとき、あなた方は私の言葉が正しかったことを知るであろう。私は自分の責務を神にゆだねる。神は僕たちの行いを見ておられる」

 

神も、この敬虔な僕を放置することはありませんでした。ガーフェル章の第45節にはこのようにあります。

 

「神は彼を悪いたくらみから守り、フィルアウンの仲間たちに厳しい責め苦を下した」

 

このコーランの物語りの教訓に満ちた点の一つは、圧制者や不信心者の表面的な華やかさ、富や権力は、彼らの正しさや真の力を示すものではないということです。歴史からも分かるように、圧制者たちは、神の責め苦を前にしては完全に無力です。そして運命を決定する日、彼らは秋の枯れ葉のように、強い風が吹けば簡単に地面に落ちて消滅してしまうのです。

 

 

ガーフェル章の第60節で、神は僕の前に慈悲の扉を開き、彼らに対し、神を唱えて礼拝をやめないよう求めています。

 

「あなた方の主は言った。『私を唱えなさい、そうすれば、あなた方の祈りが聞き届けられるだろう』と。まことに私への崇拝をやめ、高慢になる者は、まもなく、屈辱にまみれて地獄に落ちるだろう」

 

この節は、人間の幸福や導きにおいて、祈祷や礼拝がいかに重要であるかを物語っています。祈祷の明らかな効果の一つは、人間に世界の主を知るように呼びかけ、人類にとって、それ以上に重要な資本はないということを理解させることです。一方で、祈祷により、人間は創造世界の唯一の神を必要としていることを悟り、神の前にひれ伏し、さまざまな不幸や逸脱の源となる高慢さを捨てます。そうすれば人間の見方は変わり、すべての恩恵は神からのものだと考え、神を敬愛し、神に従うようになるのです。

 

明らかに、祈りが聞き届けられることは、無条件ではありません。そのためには、目的が純粋であること、内面が清らかであること、罪を悔いること、恵まれない人々の要求をかなえてやることなどが条件となります。その場合、祈祷はその人に自信を与え、失望を防ぎ、さらなる努力を促します。明らかに、祈祷は人間の努力の代わりにはならず、人間は可能な限り努力し、その善行の報奨を偉大なる寛容な神に求めるべきなのです。