6月 11, 2018 16:26 Asia/Tokyo
  • 「大統領の執事の涙」のポスター
    「大統領の執事の涙」のポスター

この時間は、2013年のハリウッド映画、「大統領の執事の涙」についてお話ししましょう。

映画「大統領の執事の涙」は、リー・ダニエルズ監督による歴史ドラマ映画で、2013年に公開されました。この映画の全編は132分です。

 

この映画は、大統領の執事であるユージン・アレンの実生活をもとにしています。アレンは7代に渡ってアメリカ大統領に仕えてきました。

 

この映画は、黒人の平等を求める闘争や人種差別に関する衝撃的な内容を含んでいます。アメリカの黒人の市民権を求める運動が広がりを見せていた時代を描きながら、この国の人種差別の構造的な特徴を批評しています。

 

大統領の執事の涙の長所は、3つの点から分析することができます。

 

一つ目は、この映画が、歴史的な視点によって、黒人の抵抗や闘争が、どのようにして彼らの生活状況の改善につながったのかを示そうとしていることです。二つ目は、市民権運動に対する2つの世代の黒人の見方を描き、特に1960年代から80年代までの、人種差別の撤廃に向けた、父親と息子の異なる支援の方法を示していることです。そして三つ目は、20世紀後半のアメリカ大統領の交代が、アメリカの黒人の市民権回復にどのような影響を与えたのか、知ることができる点です。

 

ここからは、大統領の執事の涙のあらすじをご紹介しましょう。

 

映画は、セシルゲインズの幼少時代の紹介から始まります。1926年、セシルはアメリカ南部の綿花農園で働いています。セシルは、農園の白人の主人によって父親を殺害され、母親が嫌がらせを受けるのを目にして育ちます。セシルは、地主の女主人のアナベス・ウェストフォールによって、家の使用人となります。数年後、セシルは大きなホテルに行き、そのホテルの執事となります。彼はこのホテルで、白人の前では沈黙を守ること、顧客の望みを予想することなどのノウハウを学びます。その働きを評価され、彼はホワイトハウスの執事にならないかと誘われます。セシルはこうして、アイゼンハワーからレーガンまでの7人の大統領に仕えることになります。

 

セシルの妻のグロリアは、彼の勤務時間が長いことに不満を持っています。セシルには2人の息子がいます。長男のルイスと次男のチャーリーです。チャーリーは、ベトナム戦争に志願し、この戦争で亡くなります。ルイスは、大学で公民権運動に傾倒していきます。

 

ルイスの活動は、主に平和的な抗議運動に参加する、というものでしたが、これによって何度も、白人至上主義団体のクークラックスクランや警察などから暴行や脅迫を受け、とうとう刑務所に入ることになってしまいます。その後、ルイスは、キング牧師の平和的な方法では意味がないと考え、過激な運動へと傾き始めます。そして、保守的な父親のセシルとの間に、心理的、政治的な距離ができてしまいます。

 

その後、さまざまな出来事によって、父と息子の距離がだんだん埋められるようになり、父も、少しずつ、黒人に対する差別への抗議運動に参加します。ルイスは、アメリカ議会の議員となり、映画は、オバマ大統領の選挙での勝利によって幕を閉じます。この出来事にセシルは大変驚きます。

 

 

ホワイトハウの黒人の執事たちとセシル

 

息子のルイスが、平等を求める運動によって刑務所に入れられてしまいます。60分から始まるシーンでは、カメラは、なすすべを失って床に横たわっているケネディ大統領の姿が映し出されます。

 

ケネディ大統領の姿

 

セシルが部屋に入ってきます。彼は薬と水をのせた盆を手にしています。ケネディが、私は一日に何個の薬を飲むか知っているかと尋ねます。セシルは微笑みながら、103個だと答えます。ケネディ大統領は、起き上がりたいので助けてくれと言います。セシルはケネディ大統領の手を取り、立ち上がらせます。ケネディ大統領は立ち上がり、セシルにこう言います。「あなたの息子が公民権運動に参加しているのは知っている。彼は今、キング牧師とともに刑務所にいるだろう」 セシルはためらいながら、彼の様子を知っているかと尋ねます。ケネディ大統領は、「きっとたくさん殴られているだろうが、これまでの経歴から、もうそれにはすっかり慣れている頃だろう。彼はこの2年で16回も逮捕されているのだから」と言います。セシルはその通りだと答えます。セシルは少し、落ち着きを失いますが、盆を手に取って部屋を出て行こうとします。他に用事はありませんか?とセシルが尋ねると、ケネディ大統領は何もないと言います。セシルが急いで部屋を出て行こうとすると、ケネディ大統領がこう言います。「私は今まで、あなたたち黒人がどのような苦痛に耐えてきたかを理解したことはなかった。あなたの息子を刑務所で見るまでは」 セシルが立ち止まります。ケネディ大統領は続けます。「弟から、彼らは心を変えたのだと言われた」 セシルはケネディ大統領に向き直ります。ケネディ大統領は、彼らは私の心も変えたのだと言います。

 

このシーンの後、ケネディ大統領は、演説の中で、公の前で、白人と有色人種の権利の平等を訴え、アメリカ議会に対し、この問題に関する法を制定するよう求めます。しかし、その後、過激な人種差別団体によって暗殺されてしまいます。

 

 

このシーンでは、カメラや光の使い方によって、ケネディ大統領の立場が優位であることを示されるだろうという予想に反し、カメラは、セシルとケネディ大統領を同じ種類やレベルの人間として捉え、2人の間に距離や差別を設けていません。またそれは、ケネディ大統領が、黒人の抗議者のことを理解していなかったこと、彼らの苦痛を目にしたことが、ケネディ大統領に大きな印象を与えたことを示しています。このことは、支配権は白人の手にあるものの、大統領のような白人の中にも、黒人の市民権の獲得を助けたいと考えている人物がいることを物語っています。

 

2013年の映画である大統領の執事の涙は、アメリカの政治的、社会的な変化により、20世紀の初めから半ばと比べて、白人に対する黒人の行動や抵抗の形が変わったことを示しています。この闘争の中で、さまざまな見解を持った黒人の世代の違いが影響を与えています。

 

この映画は、アメリカ社会の黒人の役割に関する、父と息子の異なる見方を扱っています。執事を務めてきたセシルは、人生の進歩は、賢明に働き、穏やかに要求することの中にあると考えています。一方で、ルイスは、団体の結成や運動によって、問題を解決したり抵抗したりすることを信じています。この映画は、どちらのやり方も、黒人の平等を求める闘争が実を結ぶためには必要であることを訴えています。

 

黒人を示すとき、この映画でも、喫煙者、麻薬常習者、低所得者といった特徴が描かれています。しかし、執事や活動家の黒人については、そのような型にはめることが避けられています。黒人は、社会の混乱につながるような暴徒として描かれてはいません。黒人の暴力的な傾向は、社会の秩序を乱したり、戦争をしたりするためではなく、ルイスのように、アメリカの専制的な政治体制の支配に抗議し、人道に反する価値観に疑問を呈し、市民権を手に入れるためのものです。ルイスの弟のチャーリーも、自らベトナム戦争に行くことを志願します。

 

映画「大統領の執事の涙」は、白人の優位に対する黒人の地位の低さを示す執事という職業への考え方を排除しています。この映画で、黒人の執事は、これまで番組で紹介した多くの映画とは異なり、非常に賢く、礼儀正しい人物として描かれています。

 

白人の家に仕える使用人への多くの見方は、黒人が仕えることによって、黒人に対する圧制が増え、黒人と白人の距離が開く、というものです。しかし、この映画のシーンでは、キング牧師がこのように語ります。

 

「白人の家に黒人が仕えることで、人種に対する見方を変えることができる。信頼できること、勤勉であること。それは少しずつ、人種間の対立を減らす。執事がどれほど役に立つが分かるだろう。多くの場合、彼らは知らないうちに、その土台を作っているのだ」

 

ラジオをお聞きの皆様、今夜はここで時間がきてしまいました。次回のこの時間は、「大統領の執事の涙」の別の2つのシーンについてお話しする予定です。