イランにおける特別な宗教行事
イスラム暦の断食月ラマザーン月の最後の日にあたる今日、イランの人々は、特別な宗教行事を催します。
ラマザーン月の慣習は、イランの精神的な無形文化財に登録されており、これはイランの人々の間で、この文化が重要視されていることがうかがえます。今夜の番組では、ラマザーン月における祈祷の朗唱についてお話することにしましょう。
ラマザーン月、イランでは他の月とは違う形で特定の行事を行います。ラマザーン月の新月における打楽器のナッガーレを使った行事は、イスラム期以前にさかのぼります。このナッガーレという打楽器は、大小2つの片面太鼓で、両手で撥を持って演奏します。イランの人々は、新しい月が来たことを知らせるために、このナッガーレを演奏します。イランの国民的抒情詩である、フェルドゥースィーの『王書』にも、18回にわたりナッガーレが登場します。
イスラム以後、この慣習は引き継がれ、ラマザーン月の到来を知らせるこの慣習は、特別な重要性を持つようになりました。
歴史は、チャーヴォーシュ歌いという、特定の詩を読む歌い手が、ラマザーン月の到来を告げていたことを伝えています。ラマザーン月が始まる2、3日前に、彼らは街頭に出て、ラマザーン月の到来を告げ、イスラム教徒でない人々には、彼らの断食を妨害しないよう布告します。この、チャーヴォーシュ歌いは、ラマザーン月の最後の3日間、ラマザーン月へ別れを告げる歌を歌い、次のシャッワール月の到来を歓迎します。
その他、さまざまな歌の慣習が、この百年の間に忘れ去られています。この中で、集団で歌われる預言者の祝福を願う言葉が90種類以上、イラン各地に存在していましたが、残念ながら、現在、2種類のみが知られています。
ラマザーン月の音楽は、いくつかの種類に分けることができます。イランのイスラム教徒は、ある古いしきたりに基づき、ラマザーン月の開始の数日前から断食を始めていました。このため、夜明けを知らせるアザーンの1時間前に、屋上に上がり、アザーンを唱えて、人々に預言者の祝福を願う言葉を発するよう呼びかけていました。このような呼びかけは、たいていの場合イランの古典音楽旋法のチャハールガー旋法の形を取って行われました。この、夜明けの朗唱とよばれるものは、後に、フリーリズムの朗唱に加えて、打楽器の伴奏もつくようになりました。
この夜明けの朗唱は、アザーンが唱えられるあたりまで続けられ、アザーンが近くなったとき、対句の終わりに預言者への祝福を祈る言葉がつくような形で読まれました。これは起き抜けの人が断食前の朝食を取るのに遅れないようにさせるためのものだったのです。その後、朝の祈祷が読まれ、アザーンが唱えられました。
この慣習においては、打楽器や吹奏楽器も使われましたが、イラン各地ではさまざまな楽器が使われました。たとえば、北部のトルキャマーンの人々は弦楽器のドゥタールが、西部ケルマーンシャー州では、同じく弦楽器のタンブールが、そしてハーネガーと呼ばれる神秘主義の道場では、打楽器のダフが使われました。
断食明けが近くなると行われる行事の一つに、日没の1時間前、3回打楽器を鳴らすというものがあります。これは、どれほど断食明けに近づいており、いつに日々の仕事をやめるかを知らせるため、その間隔が短くなるというものです。
そのほかのラマザーン月の音楽に、ラマザーン月の新月、あるいは次のシャッワール月の新月が見られた時に行われるものがあります。この音楽行事の中では、町の名士たちが月を見て、新月であることを認めたとき、祈祷を朗唱する人々は、預言者の祝福を祈るよう人々に呼びかけ、ラマザーン月の到来を歓迎します。あるいはシャッワール月の場合、ラマザーン月に別れを告げ、神に対して、服従と信仰を受け入れるよう求めます。
祈祷の朗誦は、アザーンなどのように、夜明け前に行われます。これらは、過去において、イランの人々が決まった時間に信徒たちを起こす準備だったと考えられていました。よい声をもっていた人物は、朝のアザーンの1,2時間前に屋根の上に出て祈祷を朗唱していました。人々はこれで目覚め、断食前の食事を用意していたのです。
祈祷の朗誦の歴史は、ゾロアスター教出現以前にさかのぼります。崇拝するものと語らい、心のうちを話すのは、人間が神に近づく道のひとつであり、深いルーツをもつ文化として、イランの人々の間に広まっていました。中世イランの叙事詩、フェルドゥースィーの『王書』によれば、夜明け前に祈祷を詠う習慣は、昔からのイランにおける慣習だったのです。
しかし、祈祷の朗誦は、長い歴史の中で多くの変化を遂げてきました。イランの諸部族の音楽の研究者、フーシャング・ジャーヴィード氏は、次のように語っています。
「祈祷の恩恵における重要なものは、唯一神を認識させることであった。つまり、神に関するある種の見解の表現を、聴衆に対して行っていた。このため、祈祷などの朗誦は、難しい内容をわかりやすく伝え、飾ることのない内面の痛みや苦しみを語り、人々に心の安らぎを与えていた。このため、祈祷の朗誦は、ヒーリングミュージックとすることができる」
「祈祷の中では、部族的な偏った考え方は排除され、神や個人の信仰といったことが内容となっている。このため、古い時代のイランの人々の深い考え方が、この習慣となり、このため、これを軽んじることはできない」
イスラムがイランに入った後、祈祷の朗唱の習慣は広がりました。これはトルコ系やトルキャマン、クルド、ロル、バルーチ、ギーラキー、ガシュガーイー、シースターニーといった各民族の間で特別な地位を得ることになりました。
11世紀の神秘主義的な作品における一連の哀歌は、注目に値します。当時、ペルシャ語詩においては、イラク様式という形式が出現し、祈祷の繁栄の時代が始まり、新たな雰囲気がもたらされました。
重要なのは、芸術家の文化による哲学的な内容、敬虔な神秘主義者のモデル、忠告における特別な変化が祈祷の本質に影響を与え、それをより充実したものにしたことです。
また、祈祷は、ペルシャ語文学を変化させる役割を果たしました。たとえば、11世紀の神秘主義思想家のハージェ・アブドッラー・アンサーリーやアブーサイード・アボルヘイルといった人物は、神秘主義哲学を祈祷の中に混ぜ、また時代の経過により、抒情詩も明らかな祈祷の一側面となり、ハーフェズやアッタールといったペルシャ語詩人も、祈祷の内容の詩を詠んでいました。
しかし、イランの文化において、祈祷の多くは、対句2つを含む二行詩、あるいは4つを含む四行詩の形式でした。イランの祈祷の際立った特徴のひとつに、その音楽的な美しさがあげられます。
また、祈祷にはさまざまな種類が存在していました。つまり、喜びや悲しみといった祈祷を歌う人の状態に合わせて、いくつかに分類できます。ある祈祷は、神にのみ語りかけ、それ以外の言葉を使いません。また、ある一部は希望を託したものであり、ある一部は怒りや抗議を伴っていました。さらに、愛情表現を持つものもありました。
ハージェ・アブドッラー・アンサーリーの祈祷は、その深さや情熱により、愛や崇高な意味に満ち溢れています。