6月 23, 2018 18:57 Asia/Tokyo
  • 精神面での安全を確立する方法
    精神面での安全を確立する方法

今回は、魂の健康に精神面での安全が果たす役割や、精神面での安全を確立する方法についてお話することにいたしましょう。

前回は、すべてのイスラム教徒が果たすべき責務についてお話しました。このため、イスラム教徒は自分とその他のものとの4大関係において、自分自身、神、他人、周りの自然に必ず注目せずにはいられません。そうしたイスラム教徒は、神との関係において、神に服従し、神を思い起こすことが自分にとって相応しいと考えています。そのため、彼らは神を思い起こすことで、自らの魂の健康を最高レベルに引き上げることに努めます。

魂と精神の健康における重要な概念の1つは、精神面での安全です。精神面での安全がない場合、人生は無意味なものになり、魂の健康は実現しません。恐れが存在する場合、精神面での安全は存在しないことになります。

精神面での安全とは、恐怖感のない精神状態や魂を持つことであり、人間にとってこうした安全のもとで、平穏や喜びに満ちた生活を送れることは、大きな恩恵でもあります。神からのこの恩恵は、人間が自分自身をよく認識し、この自己認識が神を知るという行動に至ったときに、最高のレベルに達します。それは、己を知る者は、神をも知ると言われている通りです。

 

己を知る者は神をも知る

 

 自分自身や神をよりよく認識しようとする人は、自分がいかに物質的、精神的な財産を持っていても、結局は神の僕であることに気づきます。神は、人間やその他の存在物の創造主であり、彼らの本当の主なのです。このような神に服従する事は恥ではなく、神の真理を見出した人にとっては、これ以上ない最高の栄誉だといえます。これについて、シーア派初代イマーム・アリーは、神に対する祈祷において次のように述べています。

“おお、神よ、我はあなたの僕であるだけで十分である。また、あなたが我の創造主なる神であられるだけで、我にとっては十分な名誉である。あなたは、我が愛すべき神であられる。これゆえ、あなたも我を愛したまえ”

 

人間の魂の健康のレベルを上げる安全や確信に至るためには、全身全霊を挙げて神を思い起こす必要があります。コーランの見解では、人間は神を思い起こすことによってのみ安らぎを得られるとされ、第13章、ラアド章「雷電」、第28節には次のように述べられています。

“誠に、神を思い起こすことによってのみ、心は安らぎを見出すのである”

神という地位は、安全を意味します。このことから、神を思い起こし、神とのつながりを築く人は誰でも、安全や安らぎを得ることになります。興味深いことに、神を思い起こすことで、人間と神との4大関係のうちの3つの関係、すなわち自分自身や他の僕たち、そして他の創造物との関係も修正されます。このことから、自分の内面の健康、そして精神や心の病気の回復と、心の安らぎや安心に向けた最も重要な足がかりの1つは、神を思い起こすことだと言えます。

 

誠に、神を思い起こすことによってのみ、心は安らぎを見出すのである

 

人間は、神を思い起こせば思い起こすほど、自分自身に対する認識も深まります。ですが、神を思い起こす事を忘れてしまうと、ありのままの本当の自分をも思い出せなくなってしまいます。このことから、コーランでは、自己忘却の原因は神を忘却してしまうことにあるとされ、第59章、アル・ハシュル章、「集合」第19節では次のように述べられています。

“そして、あなた方は、神を忘れた人々のようであってはならない。彼は、彼ら自身の魂を忘れさせたのである。これらの人々は、神への服従という路線から外れてしまったのである”

コーランのこの節によれば、自らを忘れ、自分で自分のことが分からなくなることは、神を忘れるという罪に相当します。神の存在を忘れることは罪であり、神はこの罪の責任として、その人に自分自身を忘れさせるのです。

 

神を思い起こすことは、魂の健康の維持や、心の病気を回復させ、精神面での安らぎや確信を得るために最も重要な足がかりだと言えます。また、人間に秘められた才能を開花させ、建設的な進路を進み、怠慢を改善する方法の1つでもあります。

このため、コーランや預言者の伝統は、人間に怠慢さを回避させるための宗教的行為として神を思い起こすことを挙げており、人間は朝昼晩の全ての瞬間において、起床してから就寝後、さらには食事中や食後、闘病中や病気の回復後、すなわち宗教的な祝祭日なども含めた日々の全ての瞬間において、適切に神を思い起こすべきだとしています。

 

ですが、ここで次の点に注目する必要があります。それは、神を思い起こす目的が、単に神の名を口に出して唱えることのみにあるわけではない、ということです。心配事を抱えていたり、何かを恐れている人に対しては、「神は、私たちの必要を満たしてくれる、神は素晴らしい番人で援助者でもある」と言う文句を回数多く唱えることが推奨されています。

そして、逆境に陥ったり、自分の身に悲しい出来事が起こった人は、次のように唱えることがよいとされています。「神よ、あなたのほかに、救いを求め崇めるべき神は存在しません。そして、あなたは決して誰かから抗議されることはありません。暴虐者だったのは、間違いなく私のほうでした」

これらの文句を唱えることは確かに効果的であり、これらを恒常的に唱える事でしかるべき効果があり、人間の心を神に気づかせることは事実です。しかし、その目的はあくまでも、全身全霊をかけて全知全能な世界の創造主の存在に気づくことにあります。そして、この気づきこそが、善良な事柄に向かう活動の出発点となり、その人と罪との間に、鉄壁の分離壁を作る事になるのです。

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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