7月 15, 2018 23:13 Asia/Tokyo
  • チェヘルソトゥーン宮殿
    チェヘルソトゥーン宮殿

今回は、イラン中部イスファハーンにあるチェヘルソトゥーン宮殿についてご紹介しましょう。

チェヘルソトゥーン宮殿の庭園は、イランの国家遺産に登録されており、2011年にはユネスコの世界遺産に登録されました。

 

イスファハーン

 

イスファハーンの町は、ザーヤンデルードと呼ばれる河川の存在により、数多くの庭園や緑豊かな平原が見られます。庭園が多く存在するイスファハーンの町は、歴史的な都市設計に関する経験を完全に象徴したものです。この町にあるチェヘルソトゥーン庭園は、サファヴィー朝時代の宮廷の庭園の例であり、1643年に完成されました。この美しい庭園は、アッバース1世の統治時代、1599年にイスファハーンが首都に選定された後に、チャハールバーグの美しくて長い通りのそばに建設された庭園の一つです。チャハールバーグ通りのそばに数多くの庭園が並んでいますが、それは、イスファハーンの都市設計の原則の一つとなっていました。そのうち今でも残っているのは、ハシュトベヘシュト庭園と、チェヘルソトゥーン庭園の2つで、他の庭園はただ、その名が残っているのみです。

 

 

チェヘルソトゥーン庭園は、イスファハーンの町の区画の内部、チャハールバーグ通りの西、歴史的なイマーム広場の東に位置しています。この庭園は、6万7000平方メートルを超える面積を有し、縦横がほぼ同じ長さの長方形をしています。アッバース1世はチェヘルソトゥーン庭園の中に、複数の小さな部屋のある建物を建設しました。その建物が、チェヘルソトゥーン宮殿の核となりました。サファヴィー朝の第7代皇帝、アッバース2世の統治が始まり、チェヘルソトゥーンの建物は、外国の来賓をもてなす目的で拡張され、そこにエイヴァーンと呼ばれるテラスや広間が加えられました。それには、鏡の広間、18本の柱の広間、鏡の広間の北と南にある大きな2つの部屋、玄関の両側にあるエイヴァーン、壁や天井が絵画や鏡細工、タイル細工で装飾された広間の前の大きな池が含まれます。アッバース2世の統治時代、宮殿の広い広間は、公式な外国の客人を迎えるための場所となっていました。しかし、ソルターンホセインの時代、チェヘルソトゥーン宮殿は火事にあい、その後、そこに修復が施されました。ところが、ガージャール朝のナーセロッディーンシャーの息子の治世の1883年には、この建物は意図的に破壊されてしまいました。

 

チェヘルソトゥーン宮殿では、大規模な装飾、鏡細工、壁の絵画、木製の柱とその上のムカルナスと呼ばれる鍾乳石状の装飾が最も美しい形で見られます。チェヘルソトゥーンの宮殿の壁の絵画は、イランにある最高の建築装飾の例とされています。この壁の絵画は、サファヴィー朝とその後の時代の歴史的な出来事を描いたものです。メインの広間の中央の絵には、ガージャール朝時代の著名な画家の署名がありますが、それ以外は全て、作品が書かれた日付や署名はありません。

 

この宮殿のデザインには、イラン人の技術が駆使されています。建物の外側と内側は、調和の取れたものとなっており、どこが外側の終わりで、どこが内側の始まりなのか、区別がつかなくなっています。メインのエイヴァーンには、この宮殿の特徴である数多くの柱があり、この宮殿が40本の柱を意味するチェヘルソトゥーンと名づけられた由来となっています。40という数字が神聖なものであること、またエイヴァーンの20本の柱が、正面のプールの水面に映り、合わせて40本に見えるために、この宮殿はチェヘルソトゥーンと呼ばれるようになりました。建物の正面のプールは、長さが110メートル、幅は16メートルで、現在もこの宮殿に独特の美しさと新鮮さを与えています。かつて、広間の中央の池の四方にあるライオンの口から水が流れたり、建物の周りにある水路のところどころに石の噴水があったりして、宮殿にさわやかさをもたらしていました。宮殿の正面にあるプールは、水面に宮殿の様子が映るように設計されており、プールの底が暗いのは、それができるだけ深く見えるようにするためです。

チェヘルソトゥーン宮殿

 

チェヘルソトゥーン庭園の正面の入り口から中庭に入っていくと、宮殿とその正面のプールの景色が見る者をひきつけます。庭園のプールの両側にある通路と、そこに植えられた木は、共に、訪れた人々を散策へといざなっています。こうして、宮殿のメインの建物に自然に導かれるような空間が造られており、プールの水が、この通路の空間のさわやかさを増しています。一方で、チェヘルソトゥーンのエイヴァーンは、宮殿の外側と内側を視覚的に結びつける仲介役を果たしています。

 

チェヘルソトゥーン庭園は、外国の賓客を正式にもてなすための場所として造られました。メインの広間の壁にある貴重な絵画は、サファヴィー朝時代から残っています。そのため、今日、メインの広間は博物館として利用されています。チェヘルソトゥーンのエイヴァーンからは、3つの扉を通して、宮殿の幅一杯を占める広間へと入ることができます。壁の上部には、3つの大きな油絵が飾られており、17世紀の華やかな生活が描かれています。壁の下の部分にあるのは、イスファハーンのイマーム広場にあるアーリーガープー宮殿と同じように、村や避暑地の散策地の景色画です。

 

チェヘルソトゥーン宮殿

チェヘルソトゥーン庭園は、ほぼ平らで、傾斜はほとんどありません。この庭園では、水が機能的な役割を果たし、美しさの点でも注目を集めています。そのため、水は庭園の中央にあるプールに静かに留まっており、その一方で、宮殿の周りにある水路の水の流れは、植物を潤すと共に、美しさを増しています。庭園の空間には数多くの花壇があり、庭園の景色を多様性のあるものにしています。フランスの考古学者は、チェヘルソトゥーン庭園の植物について、旅行記の中で次のように記しています。「背の高いスズカケの木が、庭園のプールの両側に並び、光り輝いている。その足元には、色とりどりの花が咲き乱れていた」

 

チェヘルソトゥーン庭園の現在の植物の種類や並び方は、過去のそれとは異なっています。古く大きなスズカケの木の多くは、失われてしまい、クルミやイチジクなどの木が見られます。とはいえ、この庭園の主な木は、スズカケやニレの木で、それらは花壇の周りに植えられています。

 

チェヘルソトゥーン宮殿は、1937年、イスファハーンのチェヘルソトゥーン博物館となり、その後、1948年に正式に開館しました。歴史、文化、芸術に関する遺物や作品を収集し、保管すること、それらに関する研究の可能性を整えること、そしてイスラムの芸術・文化や先人たちの生活様式を人々に紹介すること、これらが、この博物館の目的となっています。チェヘルソトゥーン宮殿博物館にある品々は、イランの優れた芸術家によって作られたもので、美と芸術に溢れた生活を送る国の人々の文化を示しています。この博物館には、イスラム以前から現在にいたるまでの芸術作品が収集されており、10世紀の手書きの写本、9世紀から17世紀の陶器やガラスの器、アッバース1世の注文を受けて作られた白と青の陶器の器、17世紀のじゅうたん、サファヴィー朝時代の象眼細工の施された木製の扉などがあります。