光の彼方への旅立ち、アル・ゲサス章(10)
コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第38節~第42節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第38節
「フィルアウンは言った。『長老たちよ、私は自分以外にあなた方のための神を知らない。[だが、さらに調査するために]ハーマーンよ、泥の上に炎を起こし[、レンガを焼き]なさい。それで私のために高い塔を作りなさい。恐らくムーサーの神から知らせを受けるかもしれない。まことに私は彼を嘘つきだと考える』」 (28 :38)
قَالَ يَا أَيُّهَا الْمَلَأُ أَيُّكُمْ يَأْتِينِي بِعَرْشِهَا قَبْلَ أَنْ يَأْتُونِي مُسْلِمِينَ (38)
前回の番組でお話したように、フィルアウンとその宮廷の人間たちは、預言者ムーサーの使命を否定し、彼の奇跡を魔術だと呼びました。そのような彼らが、先人たちはムーサーの神を知らず、崇拝していなかったと主張していたのです。この節は次のように語っています。「フィルアウンがムーサーと対決し、彼の真理の言葉が人々の間に浸透するのを防ぐためにしたことの一つは、高い塔を作り、自分と民の長老たちがそれに昇り、ムーサーが主張する神が空に見えるかどうかを確かめるよう指示したことだった」
実際、フィルアウンは、大衆を欺くためにそのような指示を出しました。彼は、人々に、自分自身こそが神であり、あなたたちにとって他の神など存在しないということを言おうとしていました。しかし同時に、フィルアウンにはムーサーとの個人的な敵対はないこと、無意味に彼の言葉を否定しているのではないと訴えるために、高い塔を作り、あなたたちの長老たちも、私の言葉が正しいことを自分の目で、天には神などいないこと、ムーサーが嘘をついていることを確かめてほしいと言ったのです。
第38節の教え
• 高慢さ、覇権主義的な精神は、真理を受け入れる妨げになります。
• 真理を追求するふりをして大衆を欺くことは、覇権主義者たちが、人々の思考を逸脱させるために用いる手段の一つです。
• 覇権主義者たちは、自分をすべてのものの中心だと考えています。彼らは自分こそが大地の支配者、所有者であり、他人には何の権利もないと考えます。
第39節
「彼[フィルアウン]とその軍勢は、不当に地上で覇権を振るい、我々のもとに立ち返ることはないと考えていた。」 (28 : 39 )
قَالَ عِفْريتٌ مِنَ الْجِنِّ أَنَا آَتِيكَ بِهِ قَبْلَ أَنْ تَقُومَ مِنْ مَقَامِكَ وَإِنِّي عَلَيْهِ لَقَوِيٌّ أَمِينٌ (39)
第40節
「だから我々も彼とその軍勢を捕らえ、海に投げ入れた。見るがよい。圧制者たちの最後がどのようなものであったかを」 (28 : 40 )
قَالَ الَّذِي عِنْدَهُ عِلْمٌ مِنَ الْكِتَابِ أَنَا آَتِيكَ بِهِ قَبْلَ أَنْ يَرْتَدَّ إِلَيْكَ طَرْفُكَ فَلَمَّا رَآَهُ مُسْتَقِرًّا عِنْدَهُ قَالَ هَذَا مِنْ فَضْلِ رَبِّي لِيَبْلُوَنِي أَأَشْكُرُ أَمْ أَكْفُرُ وَمَنْ شَكَرَ فَإِنَّمَا يَشْكُرُ لِنَفْسِهِ وَمَنْ كَفَرَ فَإِنَّ رَبِّي غَنِيٌّ كَرِيمٌ(40)
これら2つの節は、フィルアウンとその側近たちの現世での行いの結末に触れ、次のように語っています。「彼らの真理に対する抵抗、創造物の起源と復活の否定、そして人々への圧制により、我々は彼らに現世で懲罰を与え、大きなナイル川に溺れさせた。そう、その川は彼らの生命と権力、富の源であったが、彼らの墓場となり、フィルアウンの軍勢たち全てを飲み込んだ」
この2つの節は、フィルアウンたちの滅亡の原因となった、彼らの統治の2つの特徴に触れています。一つは、自分たちを人々よりも高い地位にあると考える優越主義と覇権主義の精神です。そしてもう一つは、弱者に対する圧制であり、彼らの当然の権利を奪ったことです。
第39節~第40節の教え
• 真理に抵抗してはなりません。その結末は消滅です。
• 復活と来世でされる清算を信じないことは、人間を高慢にします。それは圧制や逸脱、犯罪の源です。
• 神の懲罰は、来世に限られません。神は覇権主義者を現世でも卑しめ、辱めます。
• 歴史を通して、圧制者たちは同じ運命を辿りました。
第41節
「また我々は彼らを、[地獄の]業火へと導く先導者にした。彼らは復活の日に助けられることはない。」 (28 :41)
قَالَ نَكِّرُوا لَهَا عَرْشَهَا نَنْظُرْ أَتَهْتَدِي أَمْ تَكُونُ مِنَ الَّذِينَ لَا يَهْتَدُونَ (41)
第42節
「我々は現世で彼らを呪った。復活の日[にも]、彼らは醜い表情になる」 (28 : 42)
فَلَمَّا جَاءَتْ قِيلَ أَهَكَذَا عَرْشُكِ قَالَتْ كَأَنَّهُ هُوَ وَأُوتِينَا الْعِلْمَ مِنْ قَبْلِهَا وَكُنَّا مُسْلِمِينَ (42)
現世でのフィルアウンの結末を述べた前の節に続き、この2つの節は次のように語っています。「罪を犯した人々が地獄へと向かう復活の日、フィルアウンたちは、彼らの前を移動していた。現世で罪を犯した人たちの先頭にいたが、来世でも同じである。彼らは現世で、常に、その時代の虐げられた人々、弱い立場にある人々から呪われ、嫌われており、歴史を通して、敬虔な人々にも呪われている。このような穢れた性質は、最後の審判で明らかにされ、彼らは醜い泣き顔となる」
第41節~42節の教え
• 現在、自分の権力や可能性に満足している人々は、最後の審判で助けを持たず、権力でさえも、その人の助けにはなりません。ましてや他人を助けることなどできません。
• 圧制者に対する呪いや嫌悪、彼らに反対する声を上げることは、神から認められた事柄です。
• 現世での生活で、不信心者や逸脱した人々に従う人々は、最後の審判でも、不信心者や迷った人々のあとから地獄に向かい、彼らと共に集められます。
• 人間は、現世での醜い行いにより、来世で、表情が醜くなります