光の彼方への旅立ち、アル・ゲサス章(11)
コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第43節~第46節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第43節
「以前の民たちを消滅させた後、我々はムーサーに啓典を授けた。人々への慈悲と導き、啓蒙の源となるように。恐らく彼らは訓戒を受けるであろう」 (28 :43)
وَصَدَّهَا مَا كَانَتْ تَعْبُدُ مِنْ دُونِ اللَّهِ إِنَّهَا كَانَتْ مِنْ قَوْمٍ كَافِرِينَ (43)
前回の番組でお話したように、フィルアウンとその軍勢の結末は、ナイル川に溺れる、というものでした。この節は次のように語っています。「イスラエルの民をフィルアウンの支配から救った後、我々は彼らを導き、彼らの思考と洞察力のレベルを高めるために、啓典をムーサーに授けた。彼らがそれを利用し、神の特別な慈悲と恩恵にあずかることができるように」
とはいえ、彼らが啓典を信じず、真理に抵抗すれば、現世で神の責め苦を与えられた過去の民と同じように、彼らもまた、滅びてしまうことでしょう。
第43節の教え
• 神の預言者たちが現れ、啓典が下されたのは、神の偉大な恩恵の一つであり、神の慈悲に基づいたものでした。それは人間が洞察力と導きにより、幸福へと至るためです。
• 神の掟は、歴史を通して、常に不変のものでした。真理の道を外れたあらゆる民は、最後には滅ぼされるのです。
第44節
「我々が[預言者の]命をムーサーに委ねたとき、汝は[トゥールの山の]西側におらず、[その出来事の]証人でもなかった。」 (28 :44)
قِيلَ لَهَا ادْخُلِي الصَّرْحَ فَلَمَّا رَأَتْهُ حَسِبَتْهُ لُجَّةً وَكَشَفَتْ عَنْ سَاقَيْهَا قَالَ إِنَّهُ صَرْحٌ مُمَرَّدٌ مِنْ قَوَارِيرَ قَالَتْ رَبِّ إِنِّي ظَلَمْتُ نَفْسِي وَأَسْلَمْتُ مَعَ سُلَيْمَانَ لِلَّهِ رَبِّ الْعَالَمِينَ (44)
第45節
「だが我々は[様々な時代に]様々な民を現し、彼らに長い年月を過ごさせ[、彼らの運命は忘れ去られ]た。汝はマドヤンの人々の間に住んでいなかったため、[彼らの状況を知らず、マドヤンの人々に関する]我々の節を彼らに[メッカの人々]読むこともできなかった。だが我々は[預言者たちを]遣わし[、汝を預言者として遣わし、マドヤンの人々の運命を汝に啓示したのだっ]た」 (28 :45 )
وَلَقَدْ أَرْسَلْنَا إِلَى ثَمُودَ أَخَاهُمْ صَالِحًا أَنِ اعْبُدُوا اللَّهَ فَإِذَا هُمْ فَرِيقَانِ يَخْتَصِمُونَ (45)
これら2つの節は、コーランで以前の民や預言者たちについて述べられている事柄は、イスラムの預言者の真正を証明するものだという点を強調しています。イスラムの預言者ムハンマドは、これらのいずれの場面にも存在していませんでしたが、その民に関する出来事を詳しく述べています。ムーサーがトゥールの山で預言者に任命された出来事は、預言者ムハンマドが生まれる何百年も前に起こったことですが、預言者ムハンマドに下されたコーランの中で、一部の詳細と共に述べています。
コーランでは、ムーサーがエジプトから逃れたマドヤンの町で、預言者ショアイブと知り合い、彼の娘と結婚したことなど、マドヤンの町での出来事が述べられています。また、ムーサーが10年間、マドヤンの町にとどまり、その後、エジプトに戻ったことにも触れられています。同じように、数千年も前の多くの民の物語についてもコーランの中で述べられています。
第44節~第45節の教え
• コーランに登場する歴史上の出来事は、一般に、実際に遭遇した出来事ではなく、預言者の時代のメッカの人々はそれを知りませんでした。
• コーランの奇跡とイスラムの預言者ムハンマドの真正を証明する根拠の一つは、実際には遭遇しなかった出来事を述べているところにあり、コーランの節の大部分がそれで占められています。
第46節
「また、我々が[ムーサーに]呼びかけたとき、汝はトゥールの山の傍らにはいなかった。だが[この啓示は]汝の主からの慈悲であり、汝以前の警告者を持たなかった人々に、汝が警告を与えるようにするためのものである。恐らく彼らは注意されるであろう」 (28 :46)
قَالَ يَا قَوْمِ لِمَ تَسْتَعْجِلُونَ بِالسَّيِّئَةِ قَبْلَ الْحَسَنَةِ لَوْلَا تَسْتَغْفِرُونَ اللَّهَ لَعَلَّكُمْ تُرْحَمُونَ (46)
預言者ムーサーに関してコーランが述べている事柄は、実際に遭遇した事柄ではなかったと強調する前の節に続き、この節は、イスラムの預言者ムハンマドにこのように語りかけています。「我々が汝に下した事柄は神の慈悲であり、汝がイスラエルの民の運命を述べ、人々に警告を与え、彼らが自分たちの行いの結末を恐れるようにするためのものである」 明らかに、イスラムの預言者の時代のメッカの人々は、以前の民の運命を教えてくれる預言者を持っていませんでした。預言者ムハンマドの時代より200年、300年前にも、そのことを教えてくれる預言者は現れていませんでした。とはいえ、フード、サーレハ、ショアイブといった預言者たちが、アラビア半島とその周辺に遣わされていましたが、彼らの時代からはだいぶ経過しており、その痕跡はすでに消え去っていました。
第46節の教え
• 預言者が遣わされ、啓典が下された目的の一つは、人々が怠惰に陥って、来世のことを忘れないようにするため、人々に警告を与えることにあります。
• 理性と本能は、多くの真理を人間に示します。しかし、このような内面の声に気づかなくなる多くの要素が存在します。そのため、預言者たちは人間に警告を与え、恐らく彼らが考え、真理の道に返ることができるようにしているのです。
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