光の彼方への旅立ち、アンキャブート章(2)
コーラン 第29章 アンキャブート章 蜘蛛 第8節~第13節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第8節
「我々は人間に、両親に孝行するよう勧告した。もし2人があなたに知らないものを私と同等に据えさせようとしたら、彼らに従ってはならない。あなた方は私へと帰る。そこで私は、あなた方が行ったことをあなた方に知らせるだろう。」(29:8)
وَوَصَّيْنَا الْإِنسَانَ بِوَالِدَيْهِ حُسْناً وَإِن جَاهَدَاكَ لِتُشْرِكَ بِي مَا لَيْسَ لَكَ بِهِ عِلْمٌ فَلَا تُطِعْهُمَا إِلَيَّ مَرْجِعُكُمْ فَأُنَبِّئُكُم بِمَا كُنتُمْ تَعْمَلُونَ(8)
第9節
「信仰を寄せ、ふさわしい行いをした人々、我々は彼らを必ず、善良な者の仲間とするだろう」(29:9)
وَالَّذِينَ آمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ لَنُدْخِلَنَّهُمْ فِي الصَّالِحِينَ(9)
イスラム初期、数人の若者たちがイスラムの預言者ムハンマドに信仰を寄せ、偶像崇拝をやめました。しかし、彼らの両親は多神教徒で偶像崇拝者であり、預言者の教えを捨てるよう、若者たちに求めていました。母親の中には、子供たちを愛情面から圧迫しようと、断食をする者もいました。しかし、子供たちにイスラムの教えを捨てさせることはできませんでした。
この2つの節は、そのような若者たちと、家族に不信心者や多神教徒がいる全ての人に向けて次のように語っています。「家族の結びつきと、宗教上の結びつきの間に矛盾ができた場合、神の宗教を守ることは、両親の満足を得ることよりも重要である。愛情や感情を理由に、宗教を捨ててはならない。とはいえ、両親への敬意は常に必要であり、可能な限り、両親に孝行し、彼らのニーズを満たすことを怠ってはならない」
この節は続けて、両親や子供たちなど、全ての家族に向かって次のように語っています。「あなたたちの現世での行いはすべて記録される。そしていつの日か、それらの行いの責任を取るべき日がやって来る。最後の審判で、清らかな人や善良な人の仲間となれるのは、信仰を持ち、よい行いをした人々のみである」
第8節~第9節の教え
● 両親への孝行は、人間として誰もが行うべきことです。彼らがイスラム教徒であろうと、不信心者であろうと、両親に献身的に尽くし、孝行すべきでしょう。
● 多神教崇拝への呼びかけは、実際、根拠のない愚かな行いへの呼びかけです。なぜなら、多神教崇拝は、科学的にも、理性的にも何の根拠もないからです。
● 子供たちには、自由に正しい道を選ばせるべきです。親は、自分たちが歩んだ道を子供たちに強制することはできません。
第10節
「人々の中には、『私たちは神に信仰を寄せた』と言いながら、神の道において嫌がらせにあうと、人々の嫌がらせを神の責め苦のように捉え[、信仰を捨て]る人々がいる。そして、もし汝の神からあなた方に助けや勝利が届けられれば、このように言う。『私たちはあなた方と一緒にいた。神は世界の人々の心をよりご存知なのではないか?」(29:10)
وَمِنَ النَّاسِ مَن يَقُولُ آمَنَّا بِاللَّهِ فَإِذَا أُوذِيَ فِي اللَّهِ جَعَلَ فِتْنَةَ النَّاسِ كَعَذَابِ اللَّهِ وَلَئِن جَاء نَصْرٌ مِّن رَّبِّكَ لَيَقُولُنَّ إِنَّا كُنَّا مَعَكُمْ أَوَلَيْسَ اللَّهُ بِأَعْلَمَ بِمَا فِي صُدُورِ الْعَالَمِينَ(10)
第11節
「間違いなく、神は信仰を寄せた人々を知り、偽善者たちをも知っている」(29:11)
وَلَيَعْلَمَنَّ اللَّهُ الَّذِينَ آمَنُوا وَلَيَعْلَمَنَّ الْمُنَافِقِينَ(11)
前の節に続き、この2つの節は、別のグループの敬虔な人々に触れています。彼らは人生がうまくいっているときには信仰を寄せ、信仰を守ることが難しくなったときには、信仰を捨て、敬虔な人々に味方するのをやめます。しかし、問題が解消し、敬虔な人々が再び力を握ると、自分が信仰を持つ仲間であるかのように示します。彼らはこのように言います。「私たちはいつでもあなたたちと共にいた。だからこの勝利でもあなたたちの仲間である」
この節は続けて、次のように語っています。
「神は、すべての人間の心の内を把握しており、誰が信仰を保持するために命を捧げる用意があるか、誰がわずかな困難によって信仰を捨ててしまうかをよく知っておられる」
第10節~第11節の教え
● 一部の人々の信仰は、心からのものではなく、単なる言葉上のものです。信仰の主張のすべてを信用してはなりません。その人が真の信仰を持っているか否かは、困難に陥った際に明らかになります。
● 時に信仰を寄せ、それを守り抜くことには犠牲が伴います。信仰を持つ人は、さまざまな困難を受け入れ、それに耐えます。
● 偽善者は、状況に合わせて態度を変化させます。困難や危険が訪れた際には逃げておきながら、勝利や安定が訪れた際には人々に寄り添い、その利益にあずかろうとします。
第12節
「不信心に走った人々は、信仰を寄せた人々に言った。『私たちの道に従いなさい。私たちがあなた方の罪の重荷を背負うだろう』 しかし彼らは、少しもその人々の罪を背負うことはない。間違いなく、彼らは嘘を言っている。」(29:12)
وَقَالَ الَّذِينَ كَفَرُوا لِلَّذِينَ آمَنُوا اتَّبِعُوا سَبِيلَنَا وَلْنَحْمِلْ خَطَايَاكُمْ وَمَا هُم بِحَامِلِينَ مِنْ خَطَايَاهُم مِّن شَيْءٍ إِنَّهُمْ لَكَاذِبُونَ(12)
第13節
「明らかに、彼らは自分たちの[罪の]重荷も、また別の重荷も自分の重荷と共に背負うことになるだろう。明らかに、最後の審判の日、彼らが[神と預言者に]関連付けていた偽りについて質問されるだろう」(29:13)
وَلَيَحْمِلُنَّ أَثْقَالَهُمْ وَأَثْقَالاً مَّعَ أَثْقَالِهِمْ وَلَيُسْأَلُنَّ يَوْمَ الْقِيَامَةِ عَمَّا كَانُوا يَفْتَرُونَ(13)
多神教徒は、敬虔な人間に信仰を捨てさせ、多神教崇拝の道に戻らせようとしていました。この節は次のように語っています。「彼らは信仰を寄せていた人たちに向かって言う。『私たちの道と先人たちの道に戻り、預言者から手を引きなさい。もしそれが過ちでなければ、私たちやあなた方は何も責められない。もし罪であっても、私たちがあなた方の罪を背負い、あなた方が責められることはない』」
この2つの節は続けて、次のように語っています。「彼らはこのような偽りの主張の中でこのように言う。『懲罰と報奨は神の手の中にあり、彼らが決めることではない。彼らは、罪を犯した人から責め苦を取り除くことも、その人を免罪にすることもできない。とはいえ、もし誰かがこのような誤った言葉によって他人を道に迷わせ、信仰を捨てさせようとすれば、最後の審判で責め苦が下されるだろう。また、その人を迷わせた多神教徒は、自分の罪だけでなく、道に迷った人の罪も背負うことになる』」
第12節~第13節の教え
● 敵たちは、敬虔な人々から手を引くことはありません。時に偽りの約束によって、敬虔な人々を不信心や多神教崇拝の道へと引き戻そうとします。
● イスラムの世界観では、他人の罪を背負ったり、他人の罪を自分が背負うと主張したりすることは誰にもできません。
● 他人を迷わせる人は、その他人の罪に加担したことになり、逸脱した人々の罪の責任を負うことになります。まただからと言って、逸脱した人の罪が軽減されるわけではありません。