7月 06, 2019 21:43 Asia/Tokyo
  • アメリカのロングビーチイスラムセンター
    アメリカのロングビーチイスラムセンター

新たにイスラム教に改宗した、アブー・ハーディーさんは、イスラム教への改宗の経緯について、次のように語っています。

「私がイスラム教に改宗した経緯は、アメリカ西海岸のロングビーチの街から始まります。私が4歳のとき、両親が離婚し、その後父は別の町に行くことになり、私と双子の兄弟、妹は、母と共にロングビーチに残されました。母は私たちの生活費を稼ぐために、大変に苦労しましたが、高等教育を受けておらず、特定のスキルもなかったことから、低賃金に甘んじなければならず、従って私たちの生活費をまかなえない状態でした。こうした生活は最終的に長続きせず、私達は生活を続けるために祖父のもとに身を寄せることになりました」

 

アブー・ハーディーさんは、家族の間のいさかいから逃れるため、音楽の世界に逃避していました。父親がクラシック、ロック、ジャズのアルバム全集を数多く持っていたことから、アブー・ハーディーさんは音楽に簡単に触れることが出来ました。彼は孤独な状態で多くの時を過ごし、楽譜を注意深く記憶していました。そして、音楽テープから歌詞や曲を覚えるようになり、次第に演奏に興味を持つようになりました。彼はこれについて、次のように語っています。

「12歳のとき、初めてエレキギターを買いました。私は、指が痛くなるほど部屋で練習したのを覚えています。祖父は私が熱狂的に音楽に興じているのを見て、私を救おうと考えました。彼は日曜日の朝になると、私の部屋の戸をノックし、『教会に行く時間だ』と言っていました。私もベッドから起きて服を着ていました。しばらくすると、教会に行くのが楽しくなりました。教会では多くの友達を見つけ、キリスト教や神学、哲学について聖職者の人と詳細に議論しました。聖職者の人々は教育を受けていた人で、神学の修士などの学位を持っていました。この議論の中で、私はキリスト教では新たな点に到達することは出来ず、私の心の中の問題も解決されることはないことを悟ったのです。教会には通い続けましたが、音楽への関心は冷めることなく、結果的に友人たちと音楽グループを結成することになりました」

 

彼はまた、次のように続けました。

「私は音楽グループのメンバーになることで、宗教や教会という言葉を全て自分の頭の中から払拭しました。地元のパーティーで演奏活動を始め、それと同時に、合同練習や即興演奏のイベントも組むようになりましたが、それらの集まりの場ではアルコール飲料や麻薬なども良く見かけました。私は、一人で友人たちやグループのメンバーの行動を観察していましたが、彼らの行動にはどこかに問題があると考えるようになり、次第に受け入れることの出来ない違和感を覚えるようになりました。私は、自分が『泥沼にはまり込んでいくように』感じたのです」

 

アブー・ハーディーさんは、音楽グループに留まるという、その永遠の希望を叶えたものの、相変わらず心の安らぎは得られないままでした。彼は、これについて次のように語ってくれました。

「若さや、音楽や楽しみの真っ只中で、私の心の内では葛藤が渦巻いていました。私は、自分にも精神があり、それがどこに向かって動いているのかを知らなかったのです。私の全身に心の欲求が浸透し、それ以外のものは全く目に入らなかった一方で、私の欲求の中に暗闇が存在しているのを見ました。私は、自分がその時持っていたものに満足できなかったのです。叶えられた私の希望の全ては、それにたどり着くために人生の全てを費やし、いざたどり着いてみると全てはかなく消えている蜃気楼のようなものだったのです。この考えを忘れるために、より多くのアルコール飲料をのみ、より楽しく過ごし、もっと演奏し、スタジオにこもろうとしました。しかしそのいずれも意味はなく、状況は依然として変わらなかったのです」

イスラム

アブー・ハーディーさんはまた、続けて次のように語ってくれました。

「私にとってすべての物は無意味なものとなり、友達と楽しく過ごすこと、音楽を練習すること、新曲を作ることは以前のように楽しいものではなくなっていました。私は、ますます自分の殻に閉じこもるようになりました。そんなある日、とうとう私は現実に屈し、ほぼ2年間遠ざかっていたことを行ったのです。私は祈りを捧げました。神に向かって『何が私にとってよいのか分かりません』と語りかけ、神に対して、私の塞ぎこんだ心境を取り除き、私が現世と死後の両方において成功できるような正しい道を示してくれるよう求めたのです」

 

アブー・ハーディーさんは、真理の道にたどり着くために努力しようと決心しました。こうした中で、母親のイスラム教の改宗は、彼に新しい道を示し、イスラム教やその教えについて調べようという好奇心を描きたてたのです。彼はこの経緯について、次のように語ってくれました。

「私が15歳のとき、母が大学のイスラム学の授業に参加し、それからしばらくして、イスラム教に改宗しました。母は2,3回、イスラム教について私に話してくれましたが、それ以上にイスラム教に改宗した母の行動は、私の関心を惹きつけました。なぜなら、その振る舞いが大変好ましいものになり、彼女は困難な状況にあっても自分の信念を曲げなかったからです。この変化は、私の心の中に、当時気づくことのなかった種を植え付けることになりました。母はイスラム教改宗から3年後、イスラム的な装いであるヘジャーブを被りました。このことは、私にとって大変注目に値する問題でした。それは当時、私の住む地域ではヘジャーブを被っている女性は大変に少なかったからです。しかも彼女は、ある有名な大病院で看護師を務めており、同僚の反応に耐えなければなりませんでした。このため、私の探求する選択肢の一つは、イスラム教にあったのです」

 

アブー・ハーディーさんは、様々な宗教を調べ始めました。しかし、イスラム教にたどり着いたとき、彼は大変驚かされ、そのために彼は母親にも助けを求めることになったのです。彼はこれについて、次のように語っています。

「私は母に『助けてもらいたい』と言いました。すると母は、『もしよければ、明日一緒においで。あなたをイスラム教徒の友人に紹介するわ』と言ったのです。私は次の日、母の友人のところに行きました。そこには、数人のヘジャーブを被った女性と背の高い男性が一人いました。母は、この男性の名前がムハンマドであると説明し、彼らと話し始めました。ムハンマドさんは、自分がシリア出身であると語りました。しかし、英語は完璧で、彼はほとんどなまりのない英語を話していたのです。普通の会話を行った後、彼は私に『神を信じているか』と問いかけました。私は『はい』と答えたところ、『宗教は何ですか?』と聞いてきました。私は、『キリスト教徒の家庭に生まれましたが、もう教会には行っていません』と答えました。ムハンマドさんはなぜかと聞いてきました。私は、彼がイスラム教徒なので、教会に行っていないといえば喜ぶと思ったのです。そこで私も、三位一体説や原罪など一部のキリスト教信仰など、それまで誰からも満足の行く答えを得られなかった疑問を抱えているいると語りました。しかしその一方で、宗教を持っていることは自分の日常生活には影響を及ぼしていなかったのです。そして私は彼に、『自分は音楽グループに所属していて、もう教会には行っておらず、また三位一体説を初めとする、聖書の中の様々な内容について信じていません』と告げました。これに対し、ムハンマドさんは『君のご先祖様の宗教は、神に到達する唯一の方法ではなく、他の道も存在する。私はイスラム教について君に話そう。もし、君から見てそれが論理的で全く弱点がないと思えたら、イスラム教についてもっと考えて見たらいいよ』と答えました」

 

このシリア人男性のムハンマドさんと話したことによって、アブー・ハーディーさんはイスラム教を受け入れるという決意を固めました。彼はこれについて、最後にこのように話してくれました。

「ムハンマドさんと神の唯一性、預言者であること、礼拝やその他のイスラム教の事柄について話し合い、その議論は朝の4時まで続けられました。私は全力を尽くしましたが、イスラム教の中にはいささかの弱点も見出せませんでした。ムハンマドさんは非常に分かりやすく、単純に語り、その推論も論理的でした。彼の話は、キリスト教に関する私の全ての問題を解決してくれ、最後には何も言うことはありませんでした。その後、私はよく考え、様々な問題について調べた後、最終的にイスラム教の真理を見出し、信仰告白を行いました。その後音楽スタジオに行き、音楽グループのメンバーに『自分はもう来ないから、別のギタリストを探して欲しい』と告げました、このときからもう、そこには足を踏み入れていません。神の恵みにより、この日から私の信仰心はより強まっているのです」

 

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