自然環境はなぜ重要なのか?
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自然環境について考える
皆様もご存知のとおり、現在世界で注目されている最も重要な問題の1つに、自然環境とこれに関係する問題があります。
自然環境は、その名の通り生物が生きていくとともに、人類のニーズを確保するための源でもあります。しかし、神からのこの恩恵は現在、きわめて不当な扱いを受けています。
現在、世界では自然環境が衝撃的なスピードで破壊されており、このことから世界各国や国家機関、国際機関は自然環境に特別な注目を寄せています。この問題が重要であることから、ラジオ日本語では自然環境に関する番組をお届けすることにしました。この番組では毎回、自然環境を形成するそれぞれの要素と、これを脅かす汚染要因について検討してまいります。第1回目の今夜は、自然環境がなぜ重要なのかについてお話することにいたしましょう。
自然環境とは、人間をはじめとする生物の生活が存在している全ての環境を意味します。これは、相互に作用しあう、生きている存在物と、外的、物的な要素の集合体により構成され、生物の行動や成長に影響を及ぼします。言い換えれば、自然環境とは空気や水、大気圏、土壌、そして人間を取り巻く動植物といった、地球上の自然的な要素の集合体ということになります。
もっとも、世界各国が自然環境の明白な要素として考えている重要性に注目すると、自然環境という概念はそれぞれの国によって異なる可能性があります。例えば、海洋の水資源の保護や漁業の問題を特に重視している国では、自然環境の問題もまずこのアプローチにより定義されます。また、森林や牧草地の保護が大切だとされる国では当然、自然環境も森林や牧草地という要素が強調されることになります。ですが、自然環境をどのように定義する上でも、人間の暮らしが自然環境に左右され、人類の存続は自然環境を抜きにしては考えられないということを忘れてはなりません。それは、自然環境を除外することは、人類の滅亡につながるからです。実際、自然環境は人間が存在しなくとも成り立ちますが、人間は自然環境なしには生活できないのです。
地球環境学の専門家によれば、その専門領域によって大きく4つに分けられます。その1つは岩石圏、次に地表面の70%を覆う水圏、さらに大気圏、そして生物が生息する生物圏です。
これらに加えて、太陽の役割も忘れてはなりません。地球は、太陽の光の70%を吸収し、そのうちの1%を、植物や海草が光合成により吸収します。残りの30%は、宇宙空間に放射されます。地球上の生物は、太陽の光なしでは生存できないのです。
地球の全ての部分には、様々なエコシステム・生態系が存在しており、これが全体として自然環境を形成しています。もっとも、自然環境を定義する上で重視されるのは、自然の定義と区別される要素となる人間の役割です。自然界と自然環境とを区別する人間の役割です。自然は、自然や生物、生物以外の要素の集合体ですが、これに対し自然環境は人間と自然の相互作用に注目し、また人間の視点から定義されています。
しかし、人間は好むと好まざるとにかかわらず、自然の成り行きとして自らの自然環境を変化させています。OECD・経済協力開発機構が、2001年に発表した統計によりますと、現代の世界における自然環境の構成要素のほぼ全てが、人間の活動の影響を受けているということです。特に、20世紀は工業技術面でそれまでのどの時代よりも驚異的な成果があったため、人間による自然界の征服が限度を超えたことから、自然環境の危機の世紀と呼ばれています。
第1次、第2次世界大戦、これらの戦争の終結後の絶え間ない軍備競争、様々な核爆弾の爆発、人口の急激な増加、急速な工業化、天然資源の枯渇、そして自然環境の汚染は、この時代における人間の破壊活動の実例です。このため、環境保護の専門家は、地球の破壊や汚染の最大の要因は人間にあると考えています。実際、人間は文化の進歩発展を主張していながら、自らの住んでいる環境を汚染しているのです。
自然環境の不適切な利用により、世界が抱えている問題の一部は地球の温暖化、オゾン層の破壊、森林破壊、砂漠化、肥沃な土壌の塩化、淡水の酸化と淡水源の減少、土壌の疲弊、毒物の使用の増加などがあり、何より重要なのは自然環境の汚染です。
国連が「自然環境、人間の福祉と生物の多様化」と題して発表した、最新の調査の1つには、次のように述べられています。
「人類がこの50年間で世界の生物の多様性に与えた損害は、それまでのどの時代よりも甚大である。この傾向が止まらなければ、人類は世界にある基本的な資源を失うことになる」 現在、世界でおよそ35億人が生活を維持し食物を確保する上で、海洋や自分の身の周りの自然に依存しています。一方で、人類がここ数年にもたらした変化により、一部の地域では水生生物の個体数が9%にまで減少しています。世界の総人口のおよそ70%は、今なお旧来の方法で天然資源を活用しており、このことは21世紀の人類の生活における自然のサイクルの重要性を物語っています。
言うまでもなく、環境汚染の問題は現代人を深刻な問題に直面させている、最も重要な問題の1つです。この問題が重要である理由は、生命を脅かす兆候が現れており、大規模な環境破壊により現在と未来の世代の人々を脅威に直面させていることにあります。
人間が、安全で健全な環境なしには生存できず、自然体の生活を継続できないことに疑いの余地はありません。このため、近年においては環境保護が生命の存続のための最も重要で基本的なニーズの1つとして、全ての人々に注目され、健康的で安全な環境を保持する権利は、その他の権利とともに人権の1つとして、学術界や環境保護主義者の間で注目されています。
幸いなことに、健康的な環境を有する権利は、現在ではもはや叶えられない願望ではなく、およそ40年間に及ぶNGOや国際機関、学術機関の努力の後、国家、地域、国際レベルにおいて1つの権利として完全に知られています。1972年のストックホルム宣言、1982年の世界自然憲章、1992年の環境と開発に関するリオ宣言などは、人類が健全な環境を有する権利・環境権の必要性を強調しています。
環境権という概念が世界規模で認知されるとともに、この権利は世界各国でこれまで以上に検討されるようになり、1970年以降に採択、あるいは全体的に修正された基本的な法律として注目されています。例えば、イラン憲法の第50条には、環境権の認知について述べられています。
多くの国による経済、文化、社会面での振興計画に関するこれらの法律に加えて、この権利を実現させる方策も予想されています。環境権や継続的な発展を同時に必要とする発展の権利は、人間の尊厳や威信の側面の1つとみなされ、現代人にとっての権利と未来の世代のためのその実現の条件を補完するものです。しかし、環境に関する法律や取り決めは、危険で不適切な活動や、大気および水質の汚染、山地や海洋への廃棄物の投棄が阻止され、法律を実施する責任者と人々、そして各国の政府間で協力や連携がなされて初めて、効力を発揮します。そして、こうした場合のみ、環境保護にある程度の希望が生まれてくるのです。