12月 24, 2019 14:44 Asia/Tokyo
  • アリー・ブン・ホジュヴィーリー
    アリー・ブン・ホジュヴィーリー

今夜も前回に続いて、イラン中世の神秘主義思想家、ホジュヴィーリーについてお話しすることにしましょう。

アリー・ブン・ホジュヴィーリーはイランの思想家で、神秘主義者です。彼はイランとインドで名声を得て、両国で多くの支持者を得ました。インドではダーター・ガンジバフシュという名で知られており、パキスタン・ラホールにある彼の廟は、巡礼地となっています。

前回は、ホジュヴィーリーがおそらく10世紀から11世紀にかけての時代に生まれたこと、現在のアフガニスタンのガズナ近郊のホジュヴィールという村に生まれたことについてお話しました。

ホジュヴィーリーは当時の学問の多くを学び、それらをよく知っていました。彼はコーラン学、ハディース学、イスラム法学や神学を故郷のガズナで学び、知識を求める中で長い旅を始め、多くの大家に弟子入りしました。この旅の中で、レバノンに住んでいたアボルファズル・ホッタリーという思想家を知り、彼を師として選びました。そして現在のパキスタン・ラホールが彼の旅の終わりとなり、ここで著書『隠されたるものの開示』を記し、完成させました。

彼の著書『隠されたるものの開示』によれば、ホジュヴィーリーがラホールに滞在する前に、現在のインドやパキスタンの町の多くを訪れ、そこで学者に会い、インドの文化や慣習、信仰を完全に知っていました。彼は多くの旅を経てラホールに住み着くと、そこの人々は皆彼の弟子となりました。彼がラホールで住んでいた場所は、そのまま彼の廟となりました。

ホジュヴィーリーがラホールに入った時期についてはよくわかっていません。歴史家などはこれについて様々な内容を語っています。パキスタンの偉大な詩人イクバール・ラーホーリーはホジュヴィーリーのインド・パキスタンあたりのパンジャブ入域について詩を詠み、ホジュヴィーリーがこの地に入ったことで、この地には生活と喜びが生まれたとしています。

ホジュヴィーリーはラホールで数多くの仕事に従事してきました。ヒンドゥー教徒の歴史家は、ホジュヴィーリーの業績、とくにイスラムの拡大における功績を認めています。

19世紀の著述家ヌールアフマド・チシュティーは次のように記しています。

「ホジュヴィーリーがラホールに入ったとき、パンジャブの王が彼の弟子となり、またイスラムに改宗した。彼はその王をシェイフ・ヘンディと名づけた。彼の子孫も、召使のように、ホジュヴィーリーの廟のそばにいた」

ラホールのホジュヴィーリー廟、ダーター・ガンジバフシュ

ホジュヴィーリーが死去した年についても、多くの見解の相違があり、1072年から1077年の間と考えられています。しかし、明らかなのは、ガズナ朝の王イブラーヒームの時代になくなったということです。彼の廟は、そのイブラーヒームによって建てられました。彼の廟は昔から巡礼地とされています。

『イランの名声、世界的な栄誉』は、IRIB国際放送ラジオ日本語からお送りしています。今夜は11世紀のイランの神秘主義思想家ホジュヴィーリーについてお話しています。

ホジュヴィーリーの著作『隠されたるものの開示』から、彼がそのほかにも9つの著作の執筆を行ったことがわかっていますが、そのいずれも散逸しています。一部の作品は盗難にあい、一部はほかの人物が自分の著作としているということです。ホジュヴィーリーはこの盗難の繰り返しを防ぐために、『隠されたるものの開示』の中で、何度も自身の名を述べています。

『隠されたものの開示』

ホジュヴィーリーは詩集も記しており、『隠されたるものの開示』の中で、これについて、誰かがこの詩集を自分の名前で出したと記しています。しかし、ホジュヴィーリーはその詩集の言語について何も記さず、アラビア語だったかペルシャ語だったのか知りえません。

そのほかの著作として、『ソッファの教友たち』という、神秘主義思想に関する著書があり、これは9世紀から10世紀にかけての神秘主義者のハッラージについて記した本ですが、これもホジュヴィーリーの詩集と同じように、誰かが自分の著作として盗作したということです。『信仰の書』という作品なども、散逸してしまっています。

ホジュヴィーリーのものとされる『秘密の開示』という論文は、最初、8ページのみが印刷されました。この作品は数回にわたり、ウルドゥー語に翻訳されました。驚くべきことに、多くの研究者はこの作品をホジュヴィーリーのものだとし、それを引用していますが、その内容は、これが偽物であることを示しています。この論文の文体は後の時代のいわゆるインド様式で、一方で、『隠されたるものの開示』は9世紀のサーマーン朝時代初期の文体で、この2つの文体の違いは明らかです。

この贋作『秘密の開示』の著者は、自身のつたない思想を神秘主義思想として宣伝し、神秘主義思想の大家としての地位を得ようとしていました。この本の中で使われている多くの言葉や表現は、著者がホジュヴィーリーや当時の散文に傾倒していたことを示されています。

ホジュヴィーリーが晩年記した『隠されたるものの開示』は、ある程度、彼のラホール滞在に関係しており、アブーサイード・ホジュヴィーリーという同郷の人物が彼に質問した事柄への答えとして書かれています。この著作はイスラム法や神秘主義思想、研究や知識についての価値ある本です。また、偉大な神秘主義者の性質についても述べており、神秘主義についてペルシャ語でかかれた最初の本です。これは神秘主義の偉人の言葉を集めたものではなく、神秘主義思想における完全な体系とされています。

 

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