1月 27, 2020 14:23 Asia/Tokyo
  • モウラーナー・ホセイン・ヴァーエズ・カーシェフィーの墓廟
    モウラーナー・ホセイン・ヴァーエズ・カーシェフィーの墓廟

今回も前回に引き続き、15世紀のイランの学者で精力的な執筆家、ヴァーエズ・カーシェフィーについてお話しします。

カーシェフィーはさまざまな価値ある貢献を行い、後世に残る作品を記しました。今回でも、カーシェフィーの作品について紹介することにしましょう。

ヴァーエズ・カーシェフィーことキャマーロッディーン・ホセイン・サブゼヴァーリーは、精力的な作家であり、また宗教学や天文学、コーラン解釈、数学に通じた学者であり、ティムール朝時代のイランの影響力ある説教師であるとお伝えしました。彼は初等教育を当時学問が盛んだったサブゼヴァールで終え、その後イラン北東部のマシュハドや現在のアフガニスタン西部のヘラートに赴きました。

カーシェフィーは長年、説教や布教活動に従事し、ティムール朝の王、ホセイン・バイカラとその大臣、アミール・アリーシール・ナヴァーイーの時代、当時イスラム法学の大家が勤めていたヘラートの説教師となりました。また、カーシェフィーが多くの散文・韻文による作品を記したということは、すでにお話しました。

任侠とは、寛容さや勇気、男らしさを意味する言葉です。しかし、性質を現すこの言葉は当時、神秘主義思想が混ざり、社会的なものとなりました。神秘主義的な偉人はいずれも、任侠の神秘主義的な概念を定義しています。任侠と神秘主義思想の関係は昔から存在しています。任侠の文化と概念が広がることで、自然とこれに関する独立した論文が記され始め、それが一種のジャンルや形式となりました。この種の書はイスラムの精神性と文化の歴史に関する重要な資料とみなされています。

任侠について論じた最初の本は、1021年にアブドルラフマン・ソッラミーが記しました。この種の書は段階的に大きな発展を遂げ、それ、文化的、社会的、経済的、政治的な点から大変重要になるほど、複雑な本質を帯びるようになりました。

イランでは、15世紀から16世紀にかけて、任侠の文化的な拡大が見られ、サファヴィー朝期、任侠はイランの一般の人々に広がっていきました。この結果、数多くの任侠に関する本が記されました。この種の本の多くは、サファヴィー朝期以降に記されましたが、著者はあまり学のない人物だったために、多くの間違いを含む散文だったのです。

カーシェフィーによる『王の任侠の書』は、任侠に関する本の中で最も優れた本であり、また神秘主義的な書物の中で最も重要なものです。この概念に関する研究者によれば、これはペルシャ語、アラビア語における神秘主義的な任侠についてのもっとも詳細な本であり、さまざまな集団の道徳や慣習、服装、関係のあり方に関する貴重な情報が含まれています。

カーシェフィーによる『王の任侠の書』が、ほかのすべてのこの種の書物より優れているのは、任侠が変化していく過程の中で得られた、その価値ある情報によります。この書物はイランでは、任侠が15世紀近くまで広がっていたことを示しています。

ほかの点でも重要な書物です。現代の宗教学者、ラスール・ジャアファリヤーン氏は、説教やこの書物に関する一部の研究論文を引用し、この作品はイランにシーア派が広まる中で、12イマーム派の信仰が変化していく兆候を示している、としています。この本の9章は、ベルトの締め方について扱われています。この中で、2つの説教について伝えられており、その中のひとつは12人のイマームについてで、もうひとつは完全にシーア派の説教となっています。

ムハンマド・ジャアファル・マフジューブ教授は、『王の任侠の書』の特性について語っています。マフジューブ教授はまた、カーシェフィーの作品の中で、この書は彼のもっとも貴重な作品だとしています。さらに、次のように述べています。

「ペルシャ語とアラビア語で記されている、任侠のあり方についての新旧の書物の中で、『王の任侠の書』は、ほかのものよりも詳細で包括的、正確だ。さまざまな任侠の原則について語っている書は、その以前の内容や、見解についての証拠が記されていない。どんな人物の慣習として残っているものなのか、その慣習の生まれた背景はどのようなものかについて、ほかの任侠の書では注目されていないが、カーシェフィーはそういった内容すべてを注意深く見て、完全に説明し、ほかの本を参照する必要がないよう、この任侠のあり方についての詳細を余すところなく説明しようとしている」

この作品における情報源は、第一に彼自身の経験や教育であり、それについで、多くの本を活用しています。前時代の学者であるガザーリーやホジュヴィーリー、アブドルラッザーク・カーシーの著作が、この作品を記す上での参考文献とされました。

『王の任侠の書』は、7章が任侠や任侠の徒などに関する慣習の包括的、あるいは詳細な説明に割り当てられています。この本は、イランの文化史や、社会史、宗教史を理解するのに大変重要な作品です。

カーシェフィーは作品の内容に精通し、またすばらしい散文を記すことで、任侠、あるいは一般の人々の文化に関する百科事典を記しました。この書は、このテーマに関する最も重要な作品のひとつとみなされています。この本は、任侠に関するコーランや預言者ムハンマドと12人のイマームの伝承の記述や、これらの伝承の解釈については、ほかに並ぶものがありません。

 

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