イランの名声、世界的な栄誉
ナジモッディーン・クブラー(1)
今回は12世紀から13世紀にかけてのイランの神秘主義思想家で、クブラーウィーヤ教団の創設者ナジモッディーン・クブラーについてお話しましょう。
クブラーは西暦1145年ごろ、現在のイランから中央アジアの一帯であるホラーサーン地方、歴史的にはハーラズム地方のヒヴァにて、学識ある名家に生まれました。彼はアフマドと名づけられ、後に神秘主義の大家となりました。
ナジモッディーン・クブラーことアブー・アブドッラー・アフマド・ハーラズミーはクブラーウィーヤ教団の創設者であり、神秘主義的指導者でした。彼の称号「クブラー」については、様々な説話が存在します。一部の人々はこの称号が、彼の賢明さによるものだと考えており、一部は彼が大変若い頃に行った論争の中でつけられたものだと考えています。
ロシアの東洋学者ベルテルスは、ナジモッディーン・クブラーについて、次のように語っています。「確かにナジモッディーンが語っていたように星ではないが、彼は東から神秘主義の世界に上っていた太陽であり、彼の精神性はイスラム世界に広まり、各地の宗教指導者は彼の意志に従い、その人間性を利用することで頭角を現した」
クブラーは初等教育を地元で受けました。彼は若い頃からハーラズム地方の学者界隈の中で注目を集め、父や師の意見で、学問を求める人間の慣習に従い、旅に出ました。イランの北東部ネイシャーブール、中部イスファハーン、西部ハメダーン、北西部タブリーズ、南西部フーゼスターン、アラビア半島のヒジャーズ地方やエジプトなどを旅し、学問を収める中で、当時の学術的な大家と交流しました。
クブラーはハーラズムから離れて旅をしていたころの人生の最高の時期を、様々な場所での研究に費やしました、学者の名声を聞けばその人物のところに行き、その人物にあっていました。このため、クブラーは特定の師に付き従っていたということはなく、優れたハディース学者、天文学者、哲学者で言語学者であり、人類学者とみなされていたのです。
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