4月 06, 2020 18:11 Asia/Tokyo

コーラン第32章サジダ章叩頭(こうとう) 第7節~第9節

                                                        慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第7節

「すべてのものを創造した方は、それらをよいものとして創造し、人間の創造を泥から開始した。」(32:7)

(7) الَّذِی أَحْسَنَ کُلَّ شَیْءٍ خَلَقَهُ وَبَدَأَ خَلْقَ الإنْسَانِ مِنْ طِینٍ

第8節

「それから人間の世代の存続をただの液体によって定められた。」(32:8)

(8) ثُمَّ جَعَلَ نَسْلَهُ مِنْ سُلالَةٍ مِنْ مَاءٍ مَهِینٍ

前回の番組では、天と地の創造とそれらの管理が、すべてを知る神によって行われていることに関するコーランの節をご紹介しました。この2つの節は、次の2つの点を強調しています。一つ目は、神が創造したものは、無生物や動物、人間を含むすべてが可能な限り最高な形で創られており、神の創造にはいかなる欠点や欠陥も存在しないということです。二つ目は、この節が、すべての存在物の中でも、特に人間に言及していることです。神は、最初の人間を水と泥から作り、その存続を母親の胎内における精液の成長によって行われるようにしています。

 

人間の精液は、表面的には価値のない、ただの液体に見えますが、その構造や細胞は非常に複雑かつ正確であり、それは神の偉大さ、知識、力を示しています。

 

人間はチンパンジーの進化型だとするダーウィンの説とは異なり、この節は次のように語っています。「神の意志により、人間は最初、直接、水と泥から創られ、その点で最初の人間とその後に生まれた人間は異なっている。なぜならアーダムは泥から創られたが、その後の世代は精液から創られたからだ。一方、ダーウィンの説によれば、最初の人間にも両親がいて、精液から創られたことになっている」

 

サジダ章叩頭の第7節だけでなく、コーランでは多くの節で、アーダムには両親がいなかったことが強調されています。例えば、第3章アール・イムラーン章イムラーン家、第59節では、預言者イーサーはアーダムと同じだとされていますが、それはイーサーが父親がいないのに生まれたこと、アーダムも両親がおらず、泥から創造されたことを指しています。

 

第7節~8節の教え

  • 世界の秩序は最高の形になっています。なぜなら、神の無限の力と知識、英知に基づいて創造され、そこに欠陥や欠点が存在する理由はないからです。
  • 神は、無意味なただの水から、人間のような驚くべき価値のある創造物を創りました。
  • 人間は、水と土、精液から創られました。そのため、自分を優れた存在と見なし、高慢になるべきではありません。

 

 

第9節

「その後、人間[の姿]を均整にし、自らの魂を人間に吹き込んだ。また、あなた方のために目と耳、心を据えた。[だが]あなた方のうち、感謝する者はわずかである」(32:9)

(9) ثُمَّ سَوَّاهُ وَنَفَخَ فِیهِ مِنْ رُوحِهِ وَجَعَلَ لَکُمُ السَّمْعَ وَالأبْصَارَ وَالأفْئِدَةَ قَلِیلا مَا تَشْکُرُونَ

この節は、人間とその後の世代の創造のさまざまな段階に触れ、次のように語っています。「神は人間の姿を均整にし、力強い肉体を与えた。その後、人間に魂を吹き込むことで、他の生き物よりも優れたものとした。最初の人間は、泥から人間の姿にされた後、神の意志によって魂を得、特別な生命を享受した。そして現在まで続くその後継者たちは、母親の胎内で精液が成長し、胎内に留まる9ヶ月の間に特別な生命を享受する」

 

この節で神から与えられるとされる魂は、神が人間にさずけ、それを他の生物よりも優れたものにしている特別な生命のことです。

 

人間以外の生物にも、目や耳はあります。しかし、人間は、神から与えられた魂によって、目や耳から理解する事柄が、他の動物よりも非常に優れたものとなっています。神は人間に、目や耳といった五感に加え、理性や理解力、知性を与えており、人間はそれらの助けによって、自分が見たり聞いたりしたことを分析し、創造世界の法則を発見することができるのです。

 

人間はこれらの法則を、物理、化学、生物、その他の学問の枠組みの中で捉え、それに基づいてさまざまな発明や発見を行います。そのため、常に進化と発展を続けます。一方で、他の動物の生活方法にはいかなる変化も見られません。例えば、現代の蜂の巣の形は、1000年前の蜂の巣と同じ形であり、現代の蜂が作るハチミツも、1000年前の蜂と全く変わりません。

 

この節は、人間がもつ最も重要な知覚手段の目と耳、理性に触れています。そうした知覚手段には、表面的に見えるものと見えないものがあります。経験的な知識は、目や耳から獲得されますが、理論的かつ総体的な知識は、理性を通して手に入れられます。

 

当然のことながら、神から与えられたこれらの大きな恩恵には感謝が必要です。しかし残念ながら、多くの人間は創造主のことを忘れ、その恩恵に感謝しません。神に感謝する人もいますが、その感謝は、神の無限の恩恵にふさわしいものではないのです。

 

第9節の教え

  • 人間の尊厳のしるしのひとつは、神の魂が吹き込まれ、神から特別な生命を与えられていることです。
  • 感謝の第一歩は、自らと神を正しく知ることです。自分のことを知らない限り、神を知ることはえきず、神を知らない限り、神に感謝することはありません。
  • 人間は2つの側面を持つ生き物です。ひとつは物質的な側面、もうひとつは精神的な側面です。美徳を備えた高潔な人間は、物質的な側面を精神的な側面のために利用しますが、道徳のない卑しい人間は、精神的な側面を捨て、物質的なニーズを満たすことのみに夢中になります。