May 05, 2016 17:05 Asia/Tokyo
  • マジード・マジーディ監督
    マジード・マジーディ監督

最近、テヘランで「イスラム革命芸術における今年の人」と称する式典が開催されました。

この式典では、この分野の19人の芸術家の中から、70名の文化・芸術分野の専門家の厳正なる審査により「イラン暦1394年のイスラム革命芸術の人」が選考され、発表されています。

 

「イスラム革命芸術の今年の人」の表彰式典では、ノミネートされた全ての人物が紹介され、芸術家たちがこれらの候補者の一部を賞賛する中で、演説を行いました。絵画、文学、アニメーション、映画、演劇、テレビの各分野の芸術家が選ばれ、「革命と聖なる防衛」の文化の拡大、および革命芸術の分野における彼らの活動の履歴が提示されています。

 

今回は、この式典の実施にちなんで、「イスラム革命芸術の今年の人」に選ばれたイランの映画監督マジード・マジーディ氏をご紹介することにいたしましょう。

 

 

 

今回は、映画制作者のマジード・マジーディ監督が革命芸術における「今年の人」に選ばれています。イランの映画界における昨年の重要な出来事は、マジーディ監督の演出による注目の映画「預言者ムハンマド」が公開され、大きな収益を挙げたことでした。マジーディ監督は、受賞後の感想を、次のように語っています。

 

「私が思うに、本当の芸術家は、自らの命をかけて国境の安全を守り通した殉教者たちだったと言える。彼らの功績の大きな価値からすれば、我々のしたことは取るに足らないものだ。彼らは、私たちのために状況を整えてくれた。私たちの努力はすべて、映画「預言者ムハンマド」の制作に向けられた」

 

 

 

映画「預言者ムハンマド」について

 

映画「預言者ムハンマド」は、昨年を通してイラン各地の映画館で上映され、イラン国内外の多くの視聴者の注目を集めました。この映画は、マジーディ監督自身と、カームブーズィヤー・パルトウィー氏、そしてハミード・アムジャド氏らが共同で執筆した脚本に基づいて制作されており、イスラムの預言者ムハンマドの生誕前から彼が12歳になるまでの出来事を描いています。

 

映画「預言者ムハンマド」は、預言者ムハンマドの行動の真実を、世界各国の人々に示そうとしています。これは間違いなく、の記憶に残るものになるといえるでしょう。また、イラン映画における大作であり、預言者ムハンマド自身、そしてこの預言者が広めたイスラム教の真実を見事に描いています。この映画では、この偉大な人物の平和主義者的なイメージのほか、キリスト教やユダヤ教といったその他の天啓の宗教の信者に対する、預言者ムハンマドの振る舞いが映し出されています。このことは、預言者ムハンマドに従うと主張しながら、暴力に手を染めるテロ組織ISISやワッハーブ派などの過激派のやり方を、事実上否定しています。

 

映画「預言者ムハンマド」に対する各国や評論家の反応

 

一方で、映画「預言者ムハンマド」は西側諸国や世界におけるイスラム恐怖症プロジェクトや、テロ組織ISISに対抗する上での大きな一歩といえるものです。このことから、ISISやワッハーブ派がこの映画の鑑賞を禁止したことは、決して想像に難くないものでした。

 

映画「預言者ムハンマド」は、数多くの映画評論家や視聴者から絶賛されました。しかし驚くべきことに、一部のアラブ諸国はこの映画の制作が開始された当初から、この映画に反対する立場を示したのです。そうした中で、制作者側はこうした反対への反応として、批判する側の見解が事実と違うものであると表明しました。この映画は現実に、それまでにどの歴史書や宗教の説教師でもできなかった方法で、イスラムを紹介していました。しかし、一部の人々は今なお、イスラムのイメージを守る上での映画の重要性を理解できていない状態にあります。

 

 

 

マジーディ監督とその業績について

 

マジーディ監督は、映画制作者であるとともに、イランの著名な脚本家、そして俳優でもあります。彼は、1998年に映画「運動靴と赤い金魚」により、イラン人映画監督として初めてアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされました。

 

マジーディ監督は、1959年にイラン北部にあるターレシュの町で生まれ、高等学校を卒業後は映画と美術の分野で勉学を継続しました。彼は、1979年のイラン・イスラム革命の前に、演劇の分野での芸術活動を開始し、革命後は映画俳優としての経験を積みました。出演したそれらの映画において、マジーディ監督は革命を支持する人物、あるいは学校の教師のキャストを演じ、革命直後の後世に残る一部の映画に出演しています。

 

その後、マジーディ監督は映画制作を手がけるようになりました。彼は、現在までにいくつかのドキュメンタリー映画や短編映画、さらに8本の映画を製作しており、これらは全てイラン国内外で絶賛されています。マジーディ監督がこれまでに受賞した国際的な賞には、2001年の映画「少女の髪留め」による、モントリオール国際映画祭のグランプリ受賞、1998年の「運動靴と赤い金魚」でのアカデミー賞外国語映画賞へのノミネート、さらにその他の2つの作品による、モントリオール国際映画祭でのキリスト教会審査員賞などがあります。

 

マジーディ監督はまた、第14回ロンドン映画祭では、「父」により優秀作品賞を受賞しています。さらに、2008年のベルリン映画祭では、「雀の唄」により金熊賞に輝きました。彼の作品「少女の髪留め」は、アフガニスタンのイスラム教徒の受けた災厄や苦しみとともに、彼らの誠実さや勤勉さを描いており、イスラム教徒の団結に被害を及ぼしているという、一部の民族へのゆがんだイメージを訂正するものです。

 

マジーディ監督の映画制作は、映画「運動靴と赤い金魚」によりイラン国内と国外で変化しました。彼は、国際的な作品では、貧しいながらも決して、苦痛でも暗澹たるものでもない社会の最下層の人々の生活を描いています。彼の作品においては、貧しいことは決して嫌悪の源ではなく、貧しい人々は偉大な精神にあふれています。

 

マジーディ監督のもう1つの映画「太陽は、ぼくの瞳」は、映画「運動靴と赤い金魚」がもたらし期待に見事にこたえるものでした。この映画の主人公は、マジーディ監督のその他の作品と同じように子供ではありますが、目が不自由であり、ほかの世界とつながりを持つ少年、モハンマドです。モハンマド少年は、父親に放り出されながらも精神性にあふれており、こうした特別なものの見方により、冷却化した父親との関係が修復されていくというあらすじになっています。この作品をもって、マジーディ監督の映画の作風などが完成され、数多くのファンが生まれることになりました。彼は現在、国際的に権威ある人物となっており、革命後に活動を開始し、世界の最高峰に上り詰めた世代の第1人者となっています。彼の作品は、精神性にあふれるテーマを平易な形で提示し、人々に親しまれるアジアのイメージやアジアの神秘主義を提示しています。

 

マジーディ監督に関する評価

 

ある映画評論家は、「マジーディ監督の作品はイスラム革命のアイデンティティや宗教的な内容を描いているため、革命芸術のイヤーパーソン賞を受賞するにふさわしい」と述べています。マジーディ監督は、映画俳優、そして映画制作者としての活動を開始したときから、常に具体的で正確な内容や思想に基づく路線を追求してきました。彼は、自身の全ての作品において、一貫して自分の持つ宗教信仰や信条を提示しています。映画におけるマジーディ監督の視点は、イスラム革命の本質の重要な部分から生まれたナショナリスト的なものです。彼は、こうした視点を現在の出来事において、そして時には他国の文化に近づく中で表現しています。マジーディ監督は、芸術に精通し、選りすぐれた技術を持っているため、世界の視聴者をも惹きつける一連の作品を生み出したのです。