光の彼方への旅立ち、ファーテル章 (1)
コーラン第35章ファーテル章創造者、第1節~第3節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第1節
(1)الْحَمْدُ لِلَّهِ فَاطِرِ السَّمَاوَاتِ وَالأرْضِ جَاعِلِ الْمَلائِکَةِ رُسُلا أُولِی أَجْنِحَةٍ مَثْنَى وَثُلاثَ وَرُبَاعَ یَزِیدُ فِی الْخَلْقِ مَا یَشَاءُ إِنَّ اللَّهَ عَلَى کُلِّ شَیْءٍ قَدِیرٌ
「賞賛は神のみのものである。神は天と地の創造者であり、2対、3対、4対の翼を持つ天使たちを使徒とされる。神はお望みのものを創造される。まことに神は、すべてのことを可能とされる」
ファーテル章は、アル・ファーティハ章・開端章をはじめとするコーランの一部の章と同じように、神への感謝と賞賛で始まっています。この賞賛は、天と地のこれほど偉大な世界が、神の力によって創造されたことに対するものです。とはいえ、これらのすべての問題の処理は天使たちによって行われ、この天使たちも神によって創造されています。天使たちはそれぞれのグループごとに特定の任務を有しており、彼らの力は異なっています。コーランはそれを、2つ、3つ、4つの翼を持つ、と表現しています。それは、天使たちの異なる階級や能力を示していると考えられています。
明らかに、天使は物質的な存在ではなく、物理的な存在としての翼を持つ鳥と同じと見なすことはできません。この言葉は、人々がイメージできやすいように用いられています。
この節は、天使たちに触れた後、神が過去に世界を創造し、それをそのまま放置したと考えるべきではなく、創造は今も続けられており、神はいつでも望むものを創造され、彼の創造に終わりがないことを強調しています。神の力は永遠のものであるのです。
第1節の教え
- 神は、さまざまな要素に基づいて創造の秩序を打ち立てています。神は絶対的な力を持っていますが、世界のさまざまな事柄の処理は、天使たちによって行われます。
- 神はいつでも、お望みのものを創造することができ、世界は広がり続けています。
- 天使たちの使命や任務はそれぞれに異なっています。彼らは、精神性を教え導く責務を担っています。
第2節
(2)مَا یَفْتَحِ اللَّهُ لِلنَّاسِ مِنْ رَحْمَةٍ فَلا مُمْسِکَ لَهَا وَمَا یُمْسِکْ فَلا مُرْسِلَ لَهُ مِنْ بَعْدِهِ وَهُوَ الْعَزِیزُ الْحَکِیمُ
「神が人々に降り注がれるあらゆる慈悲には、妨げとなるものはない。また、神が妨げるすべてのものは、神以外には解放すことは不可能である。神は英明で偉大な方であられる」
前の節では、神の創造について語られていました。この節は、神の大きな慈悲について語っています。その慈悲は創造の基盤であり、創造された後、あらゆる存在物はそれを必要とします。あらゆる存在物の存続に必要なものは、神の慈悲に基づいて与えられ、それを妨げられるものは存在しません。また、神がある存在物からその慈悲を奪った場合、誰もそれを補ったり、挽回したりすることはできません。
慈悲という言葉は、愛情という感情面での意味だけでなく、神のすべての恩恵を含みます。人間に与えられるすべてのものは、物質的なものであろうと、精神的なものであろうと、すべて、神の慈悲であるのです。
この節は終わりに、神の2つの性質を強調しています。ひとつは、無限の力であり、もうひとつは、すべてに及ぶ英知です。神のすべての行いは、英知と力に基づいています。神がよしとした場合に、力によって創造が行われたり、与えられたりします。また、神がよしとしなかった場合には、世界中が望んだとしても、それが実現されることはないのです。
第2節の教え
- 神の慈悲は、神の怒りに優先されます。人間が慈悲を受け取る道を閉ざさない限り、原則は慈悲にあります。
- 神の意志と力は、神の英知に従うものです。神が何かを行わないとき、それは神が無力であるためではなく、神が英知に従って、それを行わないと決めたためです。