カルバラ、イマームホサインの巡礼の壮大な終点
今日はシーア派3代目イマーム、ホサインの殉教日です。イマームホサインはイスラムの預言者ムハンマドの孫で、680年にカルバラで殉教しました。
預言者イブラヒームが神の命によりカアバ神殿の基盤を築いたあと、全ての神の僕をカアバ神殿に呼び集めました。カアバ神殿に向かうことができた人々は、それに従いました。数百年がたち、イマームホサインもイブラヒームの呼びかけに応えてカアバ神殿に向かいました。しかし彼の巡礼は通常のものとは異なった巡礼となりました。
イマームは聖地でも安全ではありませんでした。すべての人にとって、野生の鳥獣や植物、不信心者にとってすらも安全であるはずのメッカの地は預言者一門にとっては安全な地ではなかったのです。彼はカアバ神殿の周りを回っているとき、腐敗したウマイヤ朝の圧制者ヤズィードの兵士が彼を殺すために聖地にやってきたのを知りました。そのためメッカ巡礼の儀式を途中でやめ、別の場所に向かいました。
道中に出会った人々のすべてが彼にウマイヤ朝との戦いに関して警告を発しました。というのも彼らは真理や自由を求め、独裁に反対する人々に対して、非常に残酷な対応をとっていたからです。このためイマームに出会った人の誰もが彼にこう言いました。「あなたはむき出しの剣のほうに向かって行くようなものだ」
イマームホサインは、夢の世界でも知らせを受けていました。道中、突然、彼の息子のアリーアクバルがイマームを見ると、イマームは涙を流しながら、コーランの節を悲しげに読み上げています。彼はどうして悲しんでいるのかと聞きます。イマームは答えます。「今、夢を見た。その中で声を聞いた。その声は、このグループが祭壇に向かっていき、名誉あふれる死を遂げるのだと言っていた」。息子は尋ねました。「お父さん、私たちは真理と正義の道を進んでいるのではないですか?」。イマームは答えました。「そうだ。私たちすべてが帰する神に誓って、私たちは真理の道を進んでいる」。そこでアリーアクバルは勇気を出して言いました。「それでは殉教を恐れることなどないのですね」
イマームホサインは、クーファに向かう途中で、ウマイヤ朝の圧制との戦いにおける人々の支援を期待するのをやめました。最後通告で彼らに支援を求め、圧制者と生きることは屈辱だとし、ウマイヤ朝への対抗に警告を発していた人々に対してこう言いました。「私は彼らを恐れない。神に誓って彼らは私の血が流されるまで私を解放しないだろう」
イマームホサインが現在のイラクの南部にあるカルバラの地にたどり着いたとき、彼と共に行動し、彼がイマームであることと、神や預言者の声に誓いを立てていた人々との契約が改められると、新たなメッカ巡礼が開始されたかのようでした。それは神への愛情を軸に回る巡礼であり、その巡礼における捧げ物は、イマームホサインの理想の道において、あらゆる犠牲を払う用意のある清らかな心の持ち主の命でした。
イマームホサインの教友たちは勇敢さ、献身、神の道における殉教、イマームへの忠誠を最大限に美しく顕現しました。そしてそれは歴史の中で世界の自由を求める人々のモデルとなったのです。
教友や親族のすべてが犠牲になった後、最後はイマームホサインの番でした。彼は戦場にやってきて言いました。「神よ、私はやってきた。もはや私の子供も教友も誰一人として残っていない」。彼の妹のゼイナブがイマームの声を聞きつけて、彼のもとに飛んできました。彼女は嘆き悲しみながら言いました。
「私の人生が終わっていたならばいいのに・・・真理、正義、人間性の先頭に立つあなたが、見識をもって、気高く、殉教の覚悟をしながらここに居るのは私にとって非常に辛いことです」
ゼイナブはこの後、激しい悲しみから地面に倒れ、気を失ってしまいました。イマームホサインは、勇敢な妹の傍らに座り、彼女の顔に水をかけて意識を取り戻させました。そして彼女を励まし、真理の道において忍耐強くあるよう言いました。そして彼の母が彼のために作った古い衣服を巡礼服として身に着けました。イマームホサインはその衣服に穴を開けて、敵が彼の殉教後もそれを持っていかないようにしました。そして馬に乗って戦場の中心に向かっていきました。
このようにしてイマームホサインは彼にしかできなかった壮大な巡礼を完遂したのです。彼の前にも後にもこのような巡礼を行った人物はいません。この巡礼の布告者は神であり、その聞き手は預言者の孫、ホサインであったのです。
神はイマームホサインに満足しています。なぜならイマームは神以外への愛情はないというほどの覚悟で、自らの心を神の愛で満たしていたからです。それ以上に、神の存在や神の満足のためにあらゆる執着を自分の内から排除していました。こうした執着を捨て去り、神に結びつこうとすることは神への愛情の深さを物語っています。イマームは神の道において、メッカやメディナといった土地、富や安定した地位、家族や家庭への執着すべてを否定し、神以外のものを見つめず、それらを神の道における殉教のために差し出したのです。
イマームホサインの蜂起の輝き、永続性は、何よりも宗教性と人間性の側面によるものです。イマームは自らの蜂起の目的は勧善懲悪、預言者の宗教の復活だと述べていました。その一方で、戦時中であろうとその後であろうとヤジード軍が犯した冷酷な犯罪により、イマームホサインの敵は歴史の中で圧制、腐敗、無知の象徴として知られるようになりました。ヤジード軍は戦争の後、その多くが預言者一門だった女性や子供を捕虜にしました。
イマームホサイン、その子供たち、教友たち、彼の道において殉教した清らかな精神の持ち主に神の祝福がありますように。