視点
イランの女子スポーツ選手の活躍
1979年のイスラム革命以来、イラン女性の社会的地位は向上しました。その一例が、世界大会などで活躍する女子スポーツ選手たちです。
1979年のイスラム革命以来、イラン女性の社会的地位は向上しました。その一例が、世界大会などで活躍する女子スポーツ選手たちです。
昨年9月に中国・杭州で開催されたアジア大会で、イランの女子選手たちは輝かしい成果を残しました。イランが獲得した合計54個のメダルのうち、およそ3分の1にあたる16個が女子選手が獲得したものです。
その中には、アジア大会初出場の選手やイラン女子選手として初めてメダルを獲得した選手もいました。例えば、ファラーナク・パルトゥーアーザル選手は、イラン女子選手として初めて自転車競技でメダルを獲得し、タラーネ・アフマディー選手がスケート競技で獲得した銀メダルは、これまでに同種目でイラン女子選手が獲得したメダルで最高位のものとなりました。
また、重量挙げでイラン女子選手としての記録を更新したエラへ・ラッザーギー選手も忘れてはいけません。
こうした功績が続く中、ある一本の映画が物議を醸しました。この映画は、イランの女子水泳選手が主人公で、記録を更新したものの服装の不適切さなどを理由に記録が認められないというストーリーです。映画はイラン国内での上映許可は得られず、海賊版がネット上で流通しました。
女性の権利を訴える映画製作者が国際大会で活躍するイラン女子選手には注目しない一方で、間違いだらけの映画が国際映画祭を席巻し、イランの女子スポーツ選手の現状としてまことしやかに伝えられるのです。
この映画のスタッフや出演俳優らは、映画が実際の出来事にもとづいて作られたものだと主張しますが、ではなぜ、クラッシュ競技で銀メダルを獲得したザフラー・バーゲリー選手や、スケートのタラーネ・アフマディー選手の活躍を映画の題材にしないのでしょうか?
イラン・イスラム共和国は、女子のクラッシュや重量挙げ、スケートに反対していません。イラン国内では女子水泳の大会も開催されています。ただ、国際大会の場合は、観客席などにいる男性の存在やイスラム的服装に反対する各スポーツ機関により、イランの女子選手が出場できずにいるのです。
こうした解説をもってしても、イランの女子スポーツ選手の活躍を無視することができるでしょうか? 女性の服装を定めた宗教規律を守りながら女性のスポーツ参加機会を保証し、メダルを獲得した女子選手を称えて街中にポスターを掲示する側と、そうした選手たちの活躍を無視してイメージダウンを図る側と、どちらがイラン女性の敵でしょうか?