後世に残る告別;聖地ゴムでの先代最高指導者の葬儀は100万人規模、一大英雄伝が終幕
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テヘラン南方の聖地ゴムにて、先代最高指導者ハーメネイー師の壮大な葬儀が行われ、同地の近郊にある聖地ジャムキャラーン・モスクからゴム市にあるマアスーメ聖廟に最も近い地点まで、数百万人もの人々が集結し、数時間前に終了しました。
(last modified 2026-07-07T20:20:25+00:00 )
7月 08, 2026 05:17 Asia/Tokyo
  • テヘラン南方の聖地ゴムでの先代最高指導者の葬儀は100万人規模に
    テヘラン南方の聖地ゴムでの先代最高指導者の葬儀は100万人規模に

テヘラン南方の聖地ゴムにて、先代最高指導者ハーメネイー師の壮大な葬儀が行われ、同地の近郊にある聖地ジャムキャラーン・モスクからゴム市にあるマアスーメ聖廟に最も近い地点まで、数百万人もの人々が集結し、数時間前に終了しました。

【ParsTodayイラン】イルナー通信によりますと、現地時間7日火曜の早朝から、ゴム市圏内にある聖地ジャムキャラーン・モスクとマアスーメ聖廟を結ぶ7キロのルート上は、先だって殉教したイランイスラム革命最高指導者アリー・ハーメネイー師への最後の別れのために集まった群衆で埋め尽くされていました。

ゴムでの葬儀は現地時間の7日午前8時頃に始まり、殉教したハーメネイー師とその家族の棺を乗せた車両は、模範的な秩序を保ちながら追悼者の大群衆の中を静々と進みました。棺がゆっくりと運ばれていく中、人々の感情の波、抑えきれない涙が伴い、「ハーメネイー師よ、我は貴方のおそばにある」「これほどの軍勢はすべて指導者への愛のために集まった」といったスローガンを連呼する多くの声が飛び交いました。

この葬儀のために、イランの最も遠い都市や村々からも夜通しかけて大勢の人々がゴムに赴いてきていました。中には、この歴史に残る行列にほんの少しの間参加するためだけに、何時間もかけてコムにやってきた人も大勢いました。多くの人々にとって、この葬列への参集は最高指導者の長年にわたる指導力、闘争、そして不屈の精神に対する宗教的な敬意の表明だったと言えます。

群衆の中には、トルコ属、ロル族、バルーチー人、クルド人、アラブ系、トルキャマン族など、イランの様々な民族が民族衣装を身にまとい、肩を並べて立ちつくしていました。式典には、イラン以外の国々から来た学者も国旗を掲げて参列していました。こうした人々が大勢参列していたことは、この日の悲しみがイランの国境内にとどまらず、様々な国の神学校やイスラム革命の支持者までもが、この大きな悲劇を分かち合う同志であると自覚していることを物語っています。

この式典の特筆すべき点の一つは、1990年代、2000年代、さらには2010年代生まれの十代の青少年らが多数参集したことです。殉教したハーメネイー師の言葉や教えと共に幼少期を過ごした彼らの多くが、1979年のイスラム革命当初の世代と肩を並べてこの告別式に参加し、この偉人の歩みと理念の継続性を体現した形となりました。

葬列ルート上では、「シーア派3代目イマーム・ホサインの道における殉教者らのために」と書かれた赤旗が怒りを込めて振りかざされ、流血のメッセージを叫びながら殉教者の棺が運ばれるルートを辿っていました。また人々は、殉教したハーメネイー師と現最高指導者モジュタバー師の肖像画を掲げ、式典の荘厳さと精神性をさらに高めていました。

この日のゴム市は決して単なる葬儀の場にとどまらず、国民の情愛、忠誠、連帯の場と化していました。数百万人が参列したこの葬儀は、イスラム革命の英雄伝に新たな1ページを刻み、イランの歴史に永遠に刻まれるであろ、歴史に残る告別となっています。

なお、これに先立ち、殉教した先代イランイスラム革命最高指導者ハーメネイー師の葬儀は、今月6日にはテヘランでも数百万人規模で行われており、7日火曜には聖地ゴムで実施されました。加えて、8日水曜には隣国イラクの2つのシーア派聖地、ナジャフ及びカルバラーにて、そして9日木曜にはイラン北東部ホラーサーンラザヴィ―州の聖地マシュハドにて葬儀が別途に行われる予定であり、一連の葬儀後、ハーメネイー師とその家族の聖なる亡骸は最終的にマシュハドにあるシーア派8代目イマーム・レザー霊廟に埋葬される予定です。

 


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