イラン石油国有化記念日 
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20日は、イラン石油国有化記念日です。
(last modified 2025-10-27T01:35:03+00:00 )
3月 19, 2022 23:03 Asia/Tokyo
  • イラン石油国有化
    イラン石油国有化

20日は、イラン石油国有化記念日です。

この日は、イラン国民と覇権主義国や植民地主義国家との闘争の歴史における記念すべき日の1つです。

イギリスは、当時王制下にあったイラン政府と、同国にとって屈辱的な協定を締結し、これにより70年間にわたってイランの河川や森林、炭田、鉄、銅、鉛、石油などの天然資源の利用を独占することとしました。これらの資源のうち、イランの利用枠はわずか15%のみでした。

1902年にも、当時のイラン政府により別の協定が締結され、イラン勢域における石油の採掘や油田の探知、開発、石油の売却は、同国北部の5つの部門以外は全て、60年間にわたりイギリスに委ねられることとなりました。この協定でも、石油採掘源におけるイランのシェアはおよそ16%のみであり、このわずかな金額は単に利用権としてイラン政府に支払われるはずでした。しかし、その一方で、イギリスはこのわずかな金額すらも払おうとはしなかったのです。

 

植民地主義国家や覇権主義国との間の協定締結という苦い歴史はなおも続き、さらに1933年にもイランにとって屈辱的な契約が締結されてしまいました。この協定は、国会内で特に闘争家として名高い聖職者カーシャーニー師を初めとする、社会の知識階級の強い抗議を受けました。こうした抗議により、最終的に1951年3月20日の石油国有化に向けた下地が整うことになりました。

石油の国有化は、当時のモサッデグ政権の安泰につながりましたが、それでも植民地政策の流れは収まりませんでした。アメリカとイギリスが企てたクーデターにより、モサッデグ政権は1953年8月に転覆し、アメリカとイギリスは新たな方法によりイランへの勢力を拡大したのです。

モサッデグ氏

 

イランの石油は、油井の探知・発見から採掘まで緊迫したプロセスをたどりました。しかし今日、イランの石油産業は別の視点から将来に向けた歩みを踏み出しています。過去60年間に及ぶイランの石油・天然ガス産業の運営管理において、この産業はいくつかの理由によりイラン経済の原動力としての役割を果たし、今なおその位置づけを維持しています。しかし、イランの石油産業は、その過去を振り返ることで長く続く将来の形成を目指すものです。

 

現在、イラン南部の南パールスガス田の全てのフェーズは、イラン及び世界最大のエネルギーの拠点として操業を継続しています。イランの製油能力は、日量およそ185万バレルに達しており、今後はさらに新たな製油所の操業プロジェクトにより、この量は日量320万バレルに増量することになっています。

イランは、これまでの25年間、制裁を受けたにもかかわらず、石油産業において目覚しい能力を獲得し、製油、石油化学、天然ガスの加工などのプロジェクトの実施により、様々な製品を生産し、その一部を石油産業における技術面での経験とともに他国に輸出しています。

 

現在、イランは石油の主要な5つの加工品のうち、ガスオイル、灯油、黒灯油、液化ガスの4つの加工品の輸出国であり、現時点では国内で必要とされるガソリンの一部のみを他国から輸入し、国内に分配しています。

現在、イランの近隣諸国の間では、イランの石油産業が経済の基盤としての位置づけを定着させる方向に向かっています。石油資源を保有することは、生産経済における余剰価値を生み出し、また経済のそのほかの部門における生産を向上させることに、確実に直接的な影響を及ぼすことになるのです。