イスラム教徒の女性としての私(4) 
(last modified Thu, 16 Mar 2017 07:26:01 GMT )
3月 16, 2017 16:26 Asia/Tokyo
  • イスラム教徒の女性としての私(4) 

私の名前はマルヤムです。イスラムに改宗した後で、自分の名前を選びました。

現在、私はイスラム教徒の女性の一人で、慈愛ややさしさを、預言者ムハンマドの娘、ファーティマのような女性から学んでいます。ファーティマは善を集めたような人物でした。彼女の生涯の中で特別な点の一つで、私にとってとても興味深いのは、彼女が他人を大切にし、彼らのために祈っていたことです。シーア派2代目イマーム・ハサンは、次のように語っています。

エ「私の母は常に朝から、隣人や宗教上の同胞のために祈っていた。私は母に聞いた、なぜ自身のために祈らないのかと。母はこう語った、まずは隣人、その次に自分の家族であると」

これは、個人主義や自己中心主義により道徳が忘れ去られてしまっている現代の世界において、非常に価値あることです。祈りやほかの人々に対する親切により、私たちは世界の人々、特に制限や抑圧を受けている人々とつながることになります。ファーティマは、たとえ最後の審判であっても彼らの仲裁者になろうとするほど、他人の問題を解決しようとすることに関心を持ち、彼らの赦しのために神に対して願いをかけていました。預言者ムハンマドは、ファーティマに対して、神の御前で友人や宗教上の同胞の仲裁をするふさわしい地位を得ることになると述べていました。

ファーティマの生誕日

ファーティマはイスラム的な装いを身につけ、女性の集団とともにメディナのモスクに行き、そこで演説を行い、モスクにいたすべての人々を驚かせました。彼女のこのような生涯は、女性が必要な場所にあって、社会参加し、義務を最高の形で果たせるということを示しています。私はイスラム教徒の女性として、成熟すべきなのではないでしょうか。