南西部フーゼスターン州のシャードルヴァーン橋(日本語のナレーション付)
(last modified Wed, 27 Nov 2019 12:40:00 GMT )
11月 27, 2019 21:40 Asia/Tokyo
  • 南西部フーゼスターン州のシャードルヴァーン橋
    南西部フーゼスターン州のシャードルヴァーン橋

今回は、イラン南西部フーゼスターン州にあるシャドルヴァーン橋を映像とともにご紹介してまいりましょう。

 

アジアの伝承においては、サーサーン朝ペルシアの王シャープール1世が、その在位中にローマ帝国の3人の皇帝を破ったとされています。

シャープール1世は、ローマ帝国の皇帝ヴァレリアヌスの軍勢を征服した後、ヴァレリアヌスとその7万人の軍勢を捕虜としました。ヴァレリアヌスは、シャープール1世の足元にひれ伏し特赦を願い出、これに対しシャープール1世はその釈放の条件として、イラン南西部を流れるカールーン川での通過用の道路の建設を命じています。

ヴァレリアヌスとその軍勢は、イランの英雄叙事詩人フェルドウスィーによれば3年、歴史家モストウフィーによれば7年ともいわれる抑留期間中に、シューシュタルの町にあるカールーン川の上に花崗岩とモルタルによりシャードルヴァーン橋を建設しました。

この橋は、カールーン川の水を2つの支流に分断しており、カールーン川は二手に分かれてシューシュタルの町の方向へと流れ、地元ではギャルギャル川と呼ばれています。

シューシュタルの地元民は、長い歴史において水を利用し、経済や農作物を流通させています。

アケメネス朝時代においては、経済が農業に依存していたことから、町の間をギャルギャル川が通過していることで、粉引き用の水車が設置され、当地の人々はそれにより穀物をひいて粉にし、その結果安価で人々の間にパンが供給されることとなりました。それから時代が経過し、現在ではこの水車は回転しておらず、ここを訪れる人々に美しい光景とさわやかなせせらぎの音を提供する滝となっています。

伝えられるところでは、イランの伝説上の王朝の1つ・ピーシュダーディー朝のフーシャング王がシューシュの町の周辺を周遊していた際にカールーン川の岸にたどり着き、ここが心地よい場所だと感じたことから、ここに都市を建設し、シューシュタルと命名するよう命じたとされています。

シャードルヴァーン橋により、長年にわたりダムとして水が貯められているとともに、シャティート川の上の通行がしやすくなっています。

この橋は、全長500メートル以上にのぼり、世界史上最も長い橋の1つとされており、水が通り抜けられるよう44の大きな穴と43の小さな穴が設けられています。

現在では、毎日のようにカールーン川での安らぎとくつろぎを求める人々がこの橋を訪れています。

 

ラジオ日本語のユーチューブなどのソーシャルメディアもご覧ください。

https://www.youtube.com

https://twitter.com/parstodayj

https://www.instagram.com/parstodayjapanese/

 https://soundcloud.com/user-61496028

タグ