歴史の一頁;イラン暦バフマン月15日
(last modified Sun, 03 Feb 2019 11:14:31 GMT )
2月 03, 2019 20:14 Asia/Tokyo
  • パフラヴィー王政のバフティヤール首相
    パフラヴィー王政のバフティヤール首相

4日月曜は、イラン暦バフマン月15日にあたります。

今から40年前のこの日、イランイスラム革命の創始者ホメイニー師のイラン帰国から3日が経ち、パフラヴィー王政側と国民との闘争は急速にその目的に近づきつつありました。

当時の王政のバフティヤール首相は、インタビューにおいて国民をなだめようと努め、表向きには民主主義や自由の要求を受け入れるかのように振る舞い、国民の革命継続を断念させようとしました。

首相はこのインタビューで「ホメイニー師による暫定政権の結成を許さない」と表明していました。しかし、その時点で既にイランの各都市では国民によるストライキや抗議デモが拡大、兵士や軍関係者らが次々と反旗を翻して基地から逃亡、さらに政府関係者や議員らの辞任が相次ぎ、政府はもはや国情を統制管理できなくなっていたのです。

 

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