視点、ファジル・夜明けの10日間;イラン国民の団結の具現
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15年振りに祖国の地に降り立ったホメイニー師と出迎えた人々
1日土曜はイラン暦バフマン月12日に当たり、イランイスラム革命の勝利という歓喜の出来事へと至る10日間の初日です。
今から41年前の1979年2月1日、イランイスラム革命の創始者ホメイニー師が15年間に渡る国外追放を経て遂に、イラン国民の熱狂的な歓迎のもとに帰国し、祖国イランの土を踏みました。この日は、イラン現代史上最も強く人々の記憶に刻まれた日となりました。旧パフラヴィー王政とイラン国民との戦いはこの日に転換点を迎え、ホメイニー師の帰国から10日後、旧王制に対する米国の絶大な支援にもかかわらず、イラン国民による革命は勝利の栄冠を手にしました。
現在、あの記念すべき革命から41年の歳月が経過しました。当時から現在までのすべての日々において、米国は常に数々の陰謀、反革命分子や打倒された王制系列の因子を支援し、イスラム体制となった現在のイランを内部から弱体化させ、内部崩壊を目論んできました。しかし、イラン国民は敵の陰謀を退け、これに打ち勝つ事で対イラク戦争などの運命を左右する緊迫した重要な日々をみごとに乗り越えてきました。実際に、米国はこれら過去の歳月において、ありとあらゆる力を尽くしてイスラム革命に打撃を与え、イラン国民を屈服に追い込もうとしました。しかし、これらの陰謀はいずれも実現には至りませんでした。こうした歴史的な経過において、以下のような3つの重要な要因が役割を果たしてきました。
第1の要因は、数々の陰謀に対するイラン国民の抵抗や忍耐力です。
イラン国民は一丸となって結束し、イスラム革命の歴史における偉大なる日々を打ち立てました。これらの特徴が続いた結果、敵を常に脇に追いやり、また数々の脅迫もイラン国民の力や結束の強化にとって追い風となる機会に変えたのです。
第2の要因は、敵の目的達成を阻止してきたイスラム共和制のソフトパワーが挙げられます。
第3の要因は、イラン国民が持つ、敵を認識・識別する力です。イラン国民は、緊迫した重要な日々において、敵を認識する上で常に聡明さを持って行動し、決して敵の目的達成の隙を与えることはありませんでした。
これらの優れた点は、イスラム革命が躍動感を維持したまま存続する理由の一端ともなっています。これまでの多くの米国による陰謀やテロ、制裁にもかかわらず、地域や国際舞台でイラン国民の威信や力を増大させる原因となっています。
実際に、イスラム革命とこれを源とする現体制は幾多の困難にもかかわらず過去41年間、日々より強く深く根付き、今後もより強大になると考えられます。
イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、1年前のこの時期、すなわちイスラム共和制が成立50周年へと向かう10年間を迎える直前に、イスラム革命の重要な第2の歩みと呼ばれる声明を発表しました。この声明では、「イスラム共和制は今、自己形成や社会形成、文明建設の第2段階を迎えている」と説明されています。
「革命の第2の歩み」声明は、イスラム共和制が新しい章へと踏み出す、自己形成、社会形成、文明建設の第2段階に入るための戦略です。
この新時代において、革命的な価値観や理念が薄れるどころか、むしろイラン国民は確固たる意思や喜びとともに、イスラム革命の理念やその価値ある目標追求を決意しているのです。
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